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キャベツは至る所に

感想文、小説、日記、キャベツ、まじめ twitter ⇒ @kanran

山本直樹自薦短篇集

ぼくは高校の時に、ブックオフで『ありがとう』を全巻読んで以来、山本直樹がすごく好きだ。とても面白いと思う。
『ありがとう』は、90年代にじっくりと崩壊を続けていった《家族》というコミューンについて、すごく過激に、でも幾許かの希望とか愛情を含みつつ展開していた。マンガを初め、何のこともよく知らなかったぼくにとって、未知に踏み出すためのキッカケになったマンガだった。当時は「自分の知らないところに面白いものがゴロゴロしている」という希望に囚われることで生きながらえていて、『ありがとう』はそうした刺激の一つだった。得てしてそうして思い出に残ったものには、知識をつけた後も思い入れを持ち続けるものだ。

読めば読むほど、引用とかパロディの影をちらつかせる山本作品だが、全三冊に渡り刊行された自薦短篇集では、本人の言うところの「パクリ元」とか影響されたもの、当時の作業環境などが惜しげもなく詳らかにされる。大変面白い。




明日また電話するよ

明日また電話するよ


◇ 第一集「明日また電話するよ」

別に1・2・3巻で時期を分けているわけではなく、全巻通じて、2000年ごろの作品の後にポコッと95年ごろの作品が入ったりもする(これは2巻で言っていたことだが、Macによる作者一人での作業に移った後の時期の作品を、今回まとめているらしい)。
じゃあ統一性はないのか、というとそうでもないのが面白い。ご存知の方も多かろうが、山本直樹は「森山塔」名義でエロ漫画を大量に描いていて、山本名義でもこれはもはやエロ漫画だろってな作品はたくさんある。山本名義の作品では『BLUE』と『堀田』が有害図書指定されている。当然短篇集の中でも、セックス描写のない作品はほぼない。ていうか今ざっと読み返したら全くなかった。
まあとにかく3冊ぶっ続けでヤッてたり他にも何かしてたりする。
一応、各巻のオビにはそれぞれ違うキャッチが付いている。「明日また電話するよ」のキャッチは「夢幻と感傷」。
何かが終わってしまうことの悲しみみたいなものは、全体に漂っている気がする。「みはり塔」みたいに(こういう結末を迎える山本作品は多いけど)望ましい着地点にこれから到着できるのか? というような作品もそうだし、「Cl2」の読後感にもペーソスがある。エロばっかり、「コールド」みたいに軽妙な洒落の応酬ばっかりみたいな作品でも、何かセンチメンタルな気分をあおられてしまう。

その極致と言えるのが表題作。コレはホントに素晴らしい。エロ漫画と言ってしまえば恋愛漫画の良さを表現しきれないし、恋愛漫画と言ってしまうとエロ漫画としての良さを表現できない。これはタイトルが先行した作品らしいけど、「明日また電話するよ」というフレーズ自体が持つ「悲しいのに悲しくない」という雰囲気を出そうとしたらしい。この試みは物の見事に成功している。何回読んでも泣きそうになる。

巻末企画は「山本直樹の歴代ハマリモノ集成」。
はっぴいえんどとかボブ・ディラン、ザッパ、内田百ケン好きなんだろうなーと知ってはいたが、結構コレも範疇だったのね、と思うのがしばしば。ナウシカの影響でちょっと巨乳が好きになるとか、「サージェント・ペパーズ」では「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」にシビれたとか言ってるのを見ると、フフフ成程、と思うけど、『論理哲学論考』とか『探求Ⅰ』とかも同時に並列しているのが作家の奥行きとか頭脳のキレを説得付ける。という読み方も安直か。


夕方のおともだち (CUE COMICS)

夕方のおともだち (CUE COMICS)


◆ 第二集「夕方のおともだち」


キャッチは「不安の残像」。
山本作品にはクスリとか催眠みたいな要素はちょこちょこと出てくるもので、どこからが現実か幻想か、みたいな表現がよくある。そういう表現の中に、切れ味の鋭いスリルが潜んでいたりすると、心の柔らかい部分が刃物で素直に切りつけられるようなショックを味わえる。作者も気に入っているという、一発目「渚のアルバム」なんかはまさにそれ。何だこのオチ、と思えど、通り魔みたいに走り去っていく読後感。
このエントリを書きながら、改めて帯文とか一巻ごとのまとまりがあるのかとか、色々考えているけど、キャッチがそのものズバリ。的確。「ファンシー」のクライマックスなんて、『2001年宇宙の旅』(というと言いすぎだけど)のよう。静けさそのものがサスペンス過ぎて、もはやホラー。
表題作はSMについてのお話。最近『RED』を読んで山本直樹の技巧に触れた気になってたけど、この作品も見事。一瞬でガラッと雰囲気を剣呑にさせる、いわゆる「魔」みたいなものの存在感が凄い(その点では、併録されてる「奥さんいいじゃないですか」も光っている)。
とにかくもう、ラスト近くのプレイは筆舌に尽くしがたい。特定のジャンルを除いて、グロ系のコピペとかではそうそうビビらないけど、今回は久しぶりに読んでて竦んだ。ある程度成熟したドノーマルな人にぜひ読んでほしいですね。エ○○○した○○○にカ○○○とかもう。我が身の当該部がギューってなりました。

巻末企画は1万2千字に渡る作者ロングインタビュー。
ファン必見とはまさにこのこと、というのは3冊全体に言えるんだけど、結構重要なことをたくさん言っている。最後の、Q:「山本直樹にとってセックスとは何か?」、A:「やりたくないっていう人の気持ちがまったく理解できない(笑)」という流れが見事。ここを踏まえると、山本作品すべてのエロシーンに納得が行く心地がする。別に納得しなくてもいいのかもしれないけど。その後のオチも秀逸。


世界最後の日々

世界最後の日々

◇ 第三集「世界最後の日々」

キャッチは「無限の邂逅」。
表題作は全5話構成。しみったれていて空虚でどうしようもないゼロ年代へ向かって、今ほどしみったれてもないだろう、空虚でもないだろう、どうしようもなくはないだろうと信じて突っ走る、90年代中頃のあの感じがよく出てるなーと思います。当時の評価がすごく気になる。ぼくはノストラダムスの予言って当時結構信じてて、99年当時は中1でしたけど、マジに世界なんて終わっちまえばいいと思ってました。まあ神経過敏なガキの類型だったということです。

全体的にベーシックな作品が並んでいる印象。前の2冊を絡めて言うなら、第一集は山本直樹を知らない人に、第二集は山本直樹をかなり読んでる人に勧めたい。では第三集はというと、山本直樹をそこそこ知ってる人に勧めたい本、という印象。個人的にね。
例えば「イマジナリ」なんかは、ほぼエロだけで進むのに最後の一ページだけでガラッと新しい表情がつく感じが素晴らしいし、「青空」のクリアーに混濁した感じも印象的。ぼくがこれまでに山本直樹の短篇で感じてきた魅力が、ちょっとハードだったりカオティックなフォルムをとりつつ、第三集には詰まっていると思う。だからこそ、「へえ、山本直樹ってこういう感じなんだ」という感想より、「そうそう、山本直樹にはこういう面白さがあるんだよな」って思うのに適している。

巻末企画は「父娘インタビュー 娘から父へ、今いちばん聞きたいこと」。
表現者の子供の真摯な意見、というのが面白い。「作家の子供」って独自のナルシシズムを帯びてることが通例だけど、山本さんのところのお嬢さんはある程度ドライに、なおかつ肉親への愛を殺さずに質問してる感じがして、それに対して山本直樹も真摯に答えてるっぽくて面白い。終盤に結構重要なことを言ってるので、いかに山本直樹を読むか! と苦心していて、なおかつ未読の方はぜひ。


・まとめ

山本直樹は何がいいってドライだからいい。安易な湿り気で人の感情を揺さぶろうとしていない。よくある形のお涙頂戴ではない、でも泣かせに来てることは分かる、泣かされて泣くのは抵抗あるぜ、と思うけど結局ほだされてしまう、そうして感動してしまう力がある。

ぼくはメジャーとマニアックならマニアックを好むが、それは単に通ぶりたいからだけではない(そういうキモチよさも今までに知ってしまったけど)。メジャーはマニアックを通らずにも出来るが、往々にしてマニアックはメジャーを回避した先に存在する。それならマニアックにこそ沢山の止揚が起きるはずで、止揚の起こるところには豊かな面白さがあるはずだ。
ぼくたちは至極限定的な状況を除いて、引用やフィードバックなしにはアクションできない。山本直樹は引用する。そこには引用元へのピュアな憧れや、自分より遥かに大きいものに対する敬意がある。やるなら面白く、という姿勢が、潔く、強烈に保たれている。
ナンセンスな言葉遊びとかジョークの濫発から、「ドライさ」即ち「スカし」なのかも、と思ったこともあったが、上の3冊を読むとそれは違うのだと分かる。
あれは面白さのために選択された、方法の一つでしかない。そしてその多くが面白い。だから山本直樹が好きだ。