キャベツは至る所に

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『分からない』

 ぼくたちはずっと、何でもかんでも分かりたがってどうしようもない。そのくせ評論家のことは扱き下ろす。
 実際、評論家になんてなりたくない。見つけてきた問題に自分なりの結論を出して、落ち着きたいだけなのだ。自分の理屈が正しいということを心の底から信じようとすると、誰かに確かめたくなって仕方がない。俺はこう思う、それについてどう思う? 相手を選ばず訊いてしまったらうるせえ馬鹿野郎と言われるようなそういう問いに、応えてくれる友人はいた方が良かったのか否か。いま思うと、いてくれて良かった。共感と反発に溢れた言葉のやり取りがなかったら、これほど夢中で生きていられたか分からない。
 ぼくたちはいろんなことを語ってきた。どういう風にもだ。熱っぽくも、湿っぽくも語ったし、虚栄心によっても、正義感によっても語った。ありふれた営みだと今では言える。しかしこれは唯一無二だという思いだった。ぼくたちは誰にもできないことをして、それをぼくたちの間だけに封じ込めているのだというつもりだった。これは放射すればちょっとした騒ぎになるエネルギーだと、価値ある実験なのだと思っていた。そういう意識もまた凡百のものであったと、よく分かっている。いや、当時を顧みて偉そうに言うまでもなく、当時のぼくたちにもおよその見当は付いていたのだ。ぼくたちは大したことがないんだと、自分の持ち物を全部燃やしても、求めるほど大きくて強い火を熾せるとは限らないのだと。だけど、世界を便利に扱うために必要不可欠な、常識とか客観みたいな能力を一切使わずに、全身全霊で信じ切っていた。それでもぼくたちにとってのこれは、幸せの土壌ぐらいにはなってもいいものなのだということを。
 何かを作りたいという欲求がある。今でもある。あれはガキの熱病ではなかった。クリエイターという存在への憧れなんてのも、今やない。作るだけなら簡単で、何かを作ったらその人はもうクリエイターだ、それだけの話なのだ(何人かのそういう人物に出会ってみてよく分かったが、たかだかものを作れるだけのことを鼻にかけている人間の傲慢たるや、ヤバい)。ただ単に、自分の頭や体の中でかたちになってくれないものを落ち着かせる方法を考えた時、何かを作るのがたった一つの手段である場合がある。もしくは、ある完成形を突然予感してしまったがために、知った以上はやらねばならぬと着手することがある。
 ぼくたちは分かりたい。分かるためにこそ何かする。世の中の多くのものが人の手と想像力で作られているのだと実感した時、自分も何をか作ることで、とんでもない解決方法を発想するんじゃないかと夢を見る。物を作ることがどうしてか特別扱いされてしまうのは、それが、分かるための最も正当な方法であると信じているからだ。そう信じる奴が多くて、信心が積もりに積もって塔になっている。塔というのは総じて大した建築だけど、一方で、その高さがばかばかしくもある。
 格好悪いことはしたくない。そう思わないといけない。汚れ仕事を引き受けたくないとか、失敗したくないとかいうことじゃない。裏切ってはいけないものを見定めなくてはいけない。ぼくやぼくの友達はそう心に決めて、いろいろなものを作った。これ以上ないくらい取るに足らないものを、本当にたくさん作った。物を作るというのは、悲しいかな、スペースを埋めてしまうということで、つまらないものにスペースを取られると、人は攻撃的になる。すごい顔になったり、すごいこと言ったりする。需要と供給の問題はむずかしいものだから、もしも完璧なやり方でそれを広めることができていたら、賞賛されたり、もっとやれと言ってもらえたのかもしれない。きっと多くの人がそうしてきたように、お世辞抜きですばらしいものもちょっとはできた。ぼくがそうできたのはぼくの誇りであり、友達がそうできたのはぼくの喜びだ。
 世界にも、社会にも、個人にも、物語がなければいけない。脈絡がまったくなかったら人は生きていけない。理不尽だけしかないけど生きていけというのは無理な言い種だ。仕事をしたら金を取られたとか、優しくしたら殴られたとか、そんなことばっかりなら死にたくもなる。ああしたからこうなるという道理がしっかりしていることは大切だ――ものを作る中で勉強になったのはそういうことだ。自分の道理を示すとき、あらかじめ噛みほぐしておくことが、伝達に必要であるということ。ぼくが物事を分かるのは大変だと思っているのと同じに、他人がぼくを分かるのも難しいのだと知ったのは、とても大きな収穫だった。

 ギターを弾く友達がいた。バンドを組んでいたし、弾き語りもやっていた。ぼくは彼の音楽がとても好きだった。これまた多くの人が同じようにしていただろうが、彼は絵を描いたり彫刻をやったり、音楽以外のこともいろいろやっていた。ぼくも一つのことに注力するのではなく、いろいろかじったし、そうする友達が大勢いた。浮気心を出さなきゃよかったとは思わない、というかそれが浮気だったとそもそも思わない。たぶんみんなもそうは思っていないだろうと、ぼくは勝手に思う。一つのことしかしなかったら挙げられた成果も、きっとあるだろう。でも、みんなそれぞれ、一番はこれだというものを自分で決めていた。別の表現に手を出すのは、その一番に悖ることではなかったと思うのだ。
ぼくとそのギタリストは、よく遊んだ。二人で会うことも多かったし、大勢で会うこともたくさんあった。そいつのライブに行くこともあった。ぼくが作ったものをそいつに見てもらったこともある。そいつの書く詞や曲に、偉そうに云々したこともある。一緒に飯も食ったし、お茶も飲んだし酒も飲んだ。
 何かを作ろうと励んでいた友達は何人もいたが、ぼくが一番積極的に手を伸ばしたのは、そいつの作るものに対してだったと思う。才能や個性を感じる奴は、そいつ以外にもいた。自分と似たものを感じるとか、人柄が好ましいとか、遊びに行きやすい所にそいつの家があるとか、そういう条件がくっついているわけでもなかった。でも、どうしてかそいつの作るものが気になった。
 どういういきさつだったかよく覚えていないが、そいつがギターを持って帰るのにくっついて、何人かの友達とそいつの家に遊びに行ったことがある。財布もそんなに軽くなかったから、道すがら適当に酒を買って、歩きながら飲んだ。みんな薄着だった記憶がある。そうだ、夏の夕方にしては涼しくて、大汗をかいてるときよりもかえって気持ちよく飲めるぞとぼくが言って、みんなで酒を買ったのだ。
 きっかけが悪口だったのは誉められたことではないが、ぼくたちはその時、共感の一時的な昂ぶりを認識していた。あいつはダサい、あいつは分かってないと知り合いの一人を批判しているうちに、日頃言明しないまでも、皆が共有し合っているのではないかと考えていた事柄が、だんだんあぶり出されてしまった。今ならどんな言い方をしても、こいつらにはある程度理解してもらえる、そんな確信がきっと全員にあった。皆が忌憚のない意見を述べた。知識のある奴が言葉を選ばず、難しい単語を使った。ぼくはその言葉を知らなかったが、そいつの日頃の主張から、何となく意味を推し量ることができた。それとは逆に、感覚的な物言いが目立つ奴が、いつにも増して抽象的な言い方をしても、受け取るこちらの調節によって、具体的なイメージが浮かんだりもした。
 とめどなかった。楽しかった。褒めることも批判することもお互いにまっすぐ向けてしたのに、それが皮膚を傷つけずにすんなり皆の体内に滑っていくような時間だった。みんな少しずつ興奮していったせいで、声がだんだん大きくなった。それを自覚している奴が多かったので、ギタリストの家に行く前にちょっと落ち着こう、どこかで思うさま話してから、ギタリストの部屋でただひたすら飲もう、ということで意見がまとまった。
 手持ちの酒が尽きていたので、ルートから少し外れたコンビニで酒を買い足して、ちびちびやりながら適当なところで腰を落ち着けることにした。もっと金があったならためらいなく店に入って、しまいには誰か(というかきっと一番酒に弱いぼくが)歩けなくなっていたことだろう。ぼくたちは大きな川の河川敷に陣取った。もしぼくたち以外に誰もいなかったら、気恥ずかしくてそこにはいられなかっただろうが、遠くの方にバーベキューをしているらしき一群が見えたり、キャッチボールをしている中学生か高校生かがいたりして、程よく人の目を意識できたのが心地よかった。ものを作る人間なんていうのは、ほとんどが自意識過剰であるので、ぼくたちは他人を侮りつつも、同じだけ他人から受ける評価を心配していた。
 一度買い物をしたせいか、酒を一層飲んで酔いが回ったというのに、ぼくたちの弁舌は少し落ち着きを持ってしまっていた。それを感じたラップをやっている友達が「何かチルな感じになっちゃったな」と言った。チルって? と訊くと、「まったりっていうかまあそんな感じだ」と教えてくれた。一人にそう言われてしまうと、本当にそうだなという気持ちが強くなって、徹底的に議論してやろうと意気込んでいたのが嘘のように、単に夕涼みをする態勢が整ってしまった。
 ぼくは、この夕涼みをどこかで聴いたことがあると思った。酔っていたと言えばそれまでだったが、強い確信だった。ぼくはこの景色や、蒸し暑さと涼しさがまだらになった夏の夕間暮れが音波に変形したものを、いつかどこかで聴いたことがある。確信とは裏腹に、確かなメロディは全然浮かんでこなかった。そんなことはない確かに聴いたはずなのにと思ったが、そこは酔っ払い、パッと浮かばないんだから仕方ないよね、とすぐに諦めた。しかし、聴いたはずだ、という気持ちだけ確かなものだから、それっぽいメロディが出てこないかと、今の自分の感じ方にしっくり来る曲の記憶を、ぼくは懸命に探した。
 いつの間にかそれは鼻歌に変わっていて、みんなから結構真剣に怒られた。お前、それはおセンチが過ぎるぞ。みんな笑って言っていたが、言い方に体重が乗っていた。
「じゃあ一回、センチメンタルの極致を目指すか」
 そう言って、ギタリストがアコギを取り出した。これにはみんな爆笑して、やめろよお前、いくらなんでも、と口々に言った。けれど、みんな本気ではなかった。もしかしたらいいものが聴けるかもしれないと、みんな思っている風だった。ぼくの鼻歌はまじめに叱られて、ギタリストのギターは受け入れられるのか、というのが少しだけ腹立たしかったが、だってこいつはギタリストなんだものなと思うと、腹を立てた自分の方がばかばかしくなった。ギタリストは下戸で、今も一人だけ素面だった。それでいて、かなりよく喋っていた。酒飲みに囲まれた中で素面でいても、いつもまったく不自然ではなかった。だからチューニングにも運指にも淀みがなかった。みんなもう乗り気になっていて、こんなシチュエーションで○○だけは弾くなよ、いや××こそ御免だと、ひねくれたリクエストをした。
 ギタリストは丁寧にギターを爪弾いた。自分の歌をうたわなかった。音楽の趣味はてんでばらばらのぼくたちみんなが知っているような、子供のころに大変ヒットした曲を歌った。でも元の曲とは全然違って聴こえた。初めてその曲を聴いた時のような感じがした。ラジオで聴いたんだったか、テレビ番組で聴いたんだったかも覚えていないけれど、この曲を初めて聴いた時、ぼくはこういう気持ちになった、という気持ちになった。あのころを思い出す、というのとは違う。今、昔の気持ちとまったく同じ気持ちだ、そう思ったのは後にも先にもそれっきりだ。途中で一人が、すげえいいな、と言った。ぼくは反射的に、うん、と返事していた。その曲を歌い終えると、拍手などさせまいとするようにギタリストはすぐさまピックを取り出して、別の曲を弾き始めた。ぼくがそいつの家へ遊びに行った時、CDを聴かせてもらったことがある曲だった。バンドで演奏されたその曲に一人で立ち向かうため、というように、弦が強く弾かれた。遠慮のない音が出た。歌い方にも、もう遠慮がなかった。ぼくたちも真剣になっていた。酔っていたせいなのか、詞の意味するところはよく分からなかったし、弾き語りとして編曲したことの評価もぼくにはままならなかった。ただ聴いた。ぼくは必死だった。何だか哀しい気持ちになった。滅入るような曲調じゃないのに。聴き取れるフレーズの中に、そういう気持ちを煽るものも確かにあったけれど。哀しいけれど嫌ではなかった。つらいけれど苦しくなかった。こういうものをぼくも作りたいんだと強く思った。
 ギタリストは曲を切り上げ、もうおしまい、と言ってギターを仕舞った。気付くと日がかなり沈んでいて、空が群青色になっていた。どこの家からか、砂糖と醤油で何かを煮るような匂いがして、体が夕食を食う気を起こし始めるのがはっきり分かった。
 みんな歓声を上げたり拍手したりした。音楽の話をしたことがない友達まで熱心にそうしていた。格好良すぎてムカつくとか、二曲目にやったのは誰の曲だとか、みんながさっきまでの興奮を取り戻して喋り始めた。ギタリストは演奏したのを少し悔いているようで、ずっと冗談めかした口調で返事をして、途中何度も「ものすごく恥ずかしいね」とか「ギターを弾く奴がいかにナルシストか証明してしまった」とか弁明を試みていた。ぼくにはそれが、自分でも不思議なほど腹立たしかった。
 腹いせをしたくなって、ぼくはそいつに向かって、「ギター弾くべきだね、お前は」と言ってやった。心からの賛辞だった。お前が茶化そうとしても無駄だと言ってやりたかった。ぼくは真剣なんだぞと分からせたくってしょうがなかった。みんな、ぼくがどのくらい体温を上げてそう言ったか、かなり正確に察したようで、誰からも反応が返ってこなかった。笑うなら笑えと思った。
 最初に返事をしたのは、言われた当人だった。いや、返事ではないかもしれなかった。ギタリストはギターケースを持って立ち上がり、うつむいたままこう言ったのだった。
「そう言われたいんだよな、みんな、多分さ」
 一瞬、ぼくの言葉が撥ねつけられたのかと思った。思わずぼくはギタリストを見た。するとギタリストもぼくを見ていた。その表情には憐れみも、責める感じもなかった。悪気を持って返事をしたわけじゃないんだろう、それならお前、ぼくに何を言いたいんだ? そこまで問えなかった。無粋だし、恐ろしかった。
 ギタリストが笑って、行くべ、と強く号令をかけると、皆が立ち上がった。考えが定まらなかったぼくも、不思議とみんなに遅れることなく立ち上がって歩き出すことができた。ぼくは今、言葉を付け足してはいけないと思った。その必要はないとみんなが言っていた。だから胸の中で何度も繰り返した。そうすべき奴にはそれをして欲しいのだ。もし挫けたとして、ぼくはそうすべき奴にはそれを続けて欲しいのだ。鞭を打つことはしたくないけれど、お前には進んで行って欲しいのだ、と。
 「そう言われたいんだよな、みんな、多分さ」。お前もそうなのか? と、確認できるならそうしたかった。それができなかった。自分の言いたいことと相手の言われたいことが、少しのずれもなく重なった時、間違いなくそれを分かることができたらいい。そうしたらきっと、誰かに「生きてきて良かった」と思ってもらえるはずなのに。
 その夜はもう本当マジどうしようもないぐらいデタラメな飲み方をして、ぼくは次の日は一日中調子が悪かった。二日酔いのせいではないが、言葉の意味をギタリスト本人に確かめることはずっとできなくて、そのまま今に至る。それからも、ぼくたちの関係は続いている。ずいぶん歳をとって暮らしぶりが変わっても、時々会っては、変わってしまったことについての話や変わっていないことについての話をする。ぼくたちは変わっていっている。日ごと成功したり挫けたりする。これでいいんだよな、悪い変化はしてないはずだと確かめ合う。つまり、変えてはいけないところまで変えてはいないということを。そうして、自分が本当に知りたいことを知るために、今も立ち働いているのだと報告し合う。自分にしっくり来るただ一つのものをほしいままにするために、もしそれが必要ならば、まったく一人になっても構わないと思うことを。
一人で生きていくことを覚悟するために、ぼくは人に自分を見せる。他人から唾を吐きかけられることと、友達に慮ってもらうこと、どちらが望ましいかずっと分からないまま。
 哀しいかな、よくある話だ。誇らしいことに、ざらにない話だ。ぼくは死ぬまでそう思い続けるだろう。

 とにかく、今度のあいつのライブが楽しみだ。新譜がとても良かったから。