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キャベツは至る所に

感想文、小説、日記、キャベツ、まじめ twitter ⇒ @kanran

Rising Sun Rock Festival 2014 in EZO に行ってきたんだ−1

音楽

ライジングに来るのは去年・一昨年に続いて三度目。例年どおり札幌に前泊して、これまでの二年間で仲良くなったエゾロッカーの方々と飲んだくれたり、EZOorDIEさんの非公式前夜祭に遊びに行くなどして、最高のスタートを切ることとなった。
ホテルの食堂で朝食を摂っていた時のこと、何だか浮世離れした感じのアフロの人が入ってきたぞと思ったら、Scoobie DoMOBYだった。MOBYは大体八時ごろにはチェックアウトしていったようだが、十時からステージがあるというのに、会場に直行するにしてもずいぶんのんびり出るんだなあと思った。
このホテルには、五年以上にわたってぼくをライジングに誘い続けてきた大学の先輩も一緒に泊まっていた。先輩は東京で「Hybrid」というDJイベントを不定期開催している(そしてHybridのDJ陣にはエゾロッカーが多い)。ぼくもこの四月に、素人ながらゲストDJとして出させてもらった。そんな仲なので、夏フェスを目前にして話が弾まない訳がない。一緒にチェックアウトし、シャトルバスの出る麻生駅へと移動。入場に至るまでの長時間、誰を観たい何を食いたいという話はもちろん、ダイエットを志す先輩に対して、一日におけるタンパク質の摂取目安やプールでの運動の消費カロリーについて一席ぶつことでヒマを潰せたのだった。
開場が始まると同時に、会場入口でScoobie Doのウェルカムライブが始まる。今年のスクービーの出演に至る経緯や、入場者列の遅滞を招くステージ位置についてはどうかと思ったが、「エゾでスクービーを観たい」という人が多いだろうことは分かるし、今回のラインナップの目玉である山下達郎の『RIDE ON TIME』のカバーを一発目に持ってくる彼らのセンスに感動してしまった以上、強く批判する気が失せてしまった。結局のところ彼らへの好印象が、今回の顛末への悪印象を上回った。気が収まらない人も、かなりいるだろうとも思うけれど。
同じサイトのチケットを取ることができたので、前日一緒に飲んだくれたエゾロッカーの面々や当日到着組と合流し、テント村を設立する手はずになっていた。マンパワーが潤沢なので、荷物番をしてもらって自宅から送っていた荷物や予約したグッズを引き取る・人海戦術でテントを立てるなど、設営はスムーズそのもの。早々にビールと昼飯をあつらえることができた。

うますぎて一瞬で食った。うに丼は飲み物。
人心地がついたところでdef garageに移動し、オトノエを観てみたものの、曲のメロディもリズムもことごとく琴線に触れず。早めにRED STAR FIELDに移動することにした。ただ、七尾旅人の新譜で感じたとおり、大平沙季のギターのスケールの大きさはやはり魅力的だった。終演まで行列をなし続けることとなるラコスバーガーとリトルジュースバーがこの時点では空いていたため、名物のラコスバーガーといちごけずりを堪能。

そして、青葉市子 with 小山田圭吾 & U-zhaanを観て、本格的なスタートを切った。

青葉市子とU-zhaanの共演はTOIROCKで観たことがあったし、坂本龍一のラジオでのセッションで、小山田を交えたトリオを組んでいたのも知っていた。初っ端から『Imperial Smoke Town』『いきのこり●ぼくら』と、青葉市子の持ち歌が続くことで、三人の親和性がよく分かる。誰もが知るキャリアの持ち主である小山田、古典音楽を学んでいるU-zhaan、二人の技術は疑うべくもない。しかし青葉市子の技術がまったくひけを取らない。彼女のライブはこれまで何度も観ているが、おおげさじゃなく、本当に観るたび上手くなっている。しかもそれは、技巧趣味に走るのではない、パフォーマンスを洗練させる上達なのだ。弦を押さえ損ねないとか、スリーフィンガーのときに一音一音の間隔が正確に開いているとか、(これを七尾旅人的と表すのはコジツケかもしれないけれど)リバーブのかかり方を掴んでマイクと口との距離を調節して歌うとか息を吹きかけるとか。観るたびそういう発達を見つける。三人の技術の水準の高さが、とても心地よいまとまりを見せていた。
この印象は、続けて始まった『外は戦場だよ』で完全に固まる。しかしその心地よさの中にある、闇のようなものがあらわになる形で。坂本慎太郎の最近の作品らしい虚ろな歌詞によるところも大きいが、ものすごい勢いで不安が掻き立てられる。南国では、灼熱の天空ではなく冷涼な地下にこそ死後の安息はあると信じる民族もあるらしいが、まさにそんな気持ちになった。これから二晩を会場で越すキャンパーたちを不安がらせた雲は、その時には頭上になく、肌を焼くような直射日光が照っていた。このトリオを観るにあたっての唯一の不安点は、あまりに室内楽として秀でていることが、オープンな野外ステージでの演奏にあたってマイナスになるのではないかということだった。そんなものは杞憂だった。野外で音楽を聴いていて、あんなに閉塞的な気持ちになったのは初めてだった。もちろん曲が終わると、そんな気持ちもほどけて感動へと変わったんだけど。
コーネリアスの楽曲『Star fruits surf rider』では小山田もボーカルをとる、終盤ではU-zhaanの超絶技巧が冴えわたるなど本格派の様相をうかがわせた。『川越ランデヴー』では、二人から「太鼓だけで、生活大丈夫なんですか〜?」と言われるU-zhaanがおかしくもいじらしいのであった。


このあとはカーネーション loves 森高千里までぶらぶらしようかと思い、テントステージ・RAINBOW SHANGRI-LAに移動。ナカコーことKoji Nakamuraの演奏が始まっており、テントの中はもう人がいっぱいになっていた。このとき既にぼくの満腹中枢はバカになっており、うに丼もラコスバーガーもいちごけずりも体内には存在しないかのようで、タコスを買ってむさぼることにした。先述のHybridのDJの一人から「レインボウ前の充電スポットが穴場すぎる」との情報を得ていたので、タコスを持ってウロウロするも、マジで穴場すぎるのか一向に充電スポットが見つからない。これではギャルを連れて隠れ家的お店に行こうとして結局店にたどり着けなかったヘイポーのようだ。まさかここかと思ってなんとなく登ったヤグラに、その充電スポットはあった。そして情報をくれたDJもまた充電の最中であった。
ちょうどヤグラの陰になっている所に座り、携帯に電気を食わせながら、自分もタコスを食った。日陰にいると、ああ北海道にいるのだという感じがした。陽を浴びていないだけで涼しい。午後四時を回ったばかり、ぼくが住んでいる埼玉なら夕涼みも叶わないような時間帯だ。前日の札幌の夕方にも涼しさは感じた。しかしライジングがスタートを切ったためか、遠くまで来たという実感が前日よりも明らかに強く湧いた。そんな中、ナカコーの音楽が近くから聴こえてくる。ナカコーのソロワークについて知識はないし、スーパーカーを聴き込んでいる訳でもないが、高校生の頃、兄がスーパーカーを聴いたり『ピンポン』を観たりしていたのは、思春期の記憶として鮮やかに残っている(大変どうでもいいが、兄はカラオケで『YUMEGIWA LAST BOY』を歌う)。気候の気持ちよさと聴こえてくるもののかっこよさ、そして蘇ってくる思い出とで、いろいろな感情がないまぜになった。
Twitterを見ていて、カーネーションのステージが始まってなお、森高千里が姿を見せていないことは分かっていた。そろそろかな?と思ってREDへと移動すると、ちょうど森高がステージに出てくるところだった。カーネーションのボーカル・直枝がそれを窺わせるだけでどよめきが激しく起こり、たくさんの人がステージへ寄っていく。体力を温存する構えだったので遠巻きにしていたが、まあ何とか森高を視認できはした(衣装がミニスカであることはTwitterなどで知ることとなった)。
今なお衰えを見せないアイドル、というぐらいの印象しかなかったが、ロックフェスでも圧倒的に受け入れられるパフォーマンスと人気を肌で感じていたら、本当にこの人すげえんだな……と感動してしまった。ナカコーのくだりに続けてこう書くと無知を誇っているみたいで自分で嫌になるが、カーネーションはアルバムを二枚ばかり持っているだけだし、森高の楽曲は有名曲しか知らない。そのくせこんなことを言う資格はないかもしれないが、アイドルとミュージシャンのコラボレートとして、これは理想的なかたちではないかと思った。かわいらしいダンスと衣装のアイドルによる、イメージが既に定まっているボーカル。一種のオケとして機能する、しかし単体で十二分に魅力的であるバンドアンサンブル。
大型アイドルについては少し違った視座で臨むべきだろうけど、ピンのアイドルのステージに求められるのは「再現」とか「安定」が大きいと思う。テレビや音源を通して見つめてきたものが、それに近しい形でビビッドに存在するという体験。
耳に入ってきた瞬間に「森高千里」という文字列が浮かぶような歌声に意識が持っていかれながら、身体はカーネーションの演奏に食らいつくように踊る。これが最高に気持ちいい。最後にやった、原曲(というか森高バージョン)に忠実な『夜の煙突』が白眉と言うに相応しかった。
片想いのステージに備えようと、ひときわ離れたBOHEMIAN GARDENを目指す。その途中、レインボウのスチャダラパーに後ろ髪を引かれる。案の定、既にレインボウテントは満員を通り越していたので、これまた遠巻きに観る。『ライツカメラアクション』をじっくり聴いたり、後から出てきたロボ宙のフロウを聴いてなんとなくフレイヴァ・フレイヴを思い出したりしたところで、一路ボヘミアンへ。相変わらず満腹中枢はバカになっていたので、くもゆきの演奏を聴きながら、ショコラホワイトなる生食できるトウモロコシをがっつく。小粒だがジューシーで、がっついているとあっという間に甘い水分で口の中がいっぱいになる。そしてそれを平らげると、野原に寝っ転がる。暮れなずむ空がきれいだった。

いっそ仮眠するつもりでいたが、さすがに眠りには落ちなかった。くもゆきのライブが終わったあたりで、玄米甘酒の豆乳割り(ノンアルコール・ノンシュガー)で栄養を補給して、片想いで踊り狂う準備を整える。
片想いのステージは最高だった。一昨年の、晴れた空の下でのCurly Giraffeや宵の口の百々和宏、去年の昼間のゴンチチや深夜のキセルceroに比肩するほど、BOHEMIAN GARDENという特殊なステージに雰囲気がマッチしていた。ボヘミアンは会場のはずれ、もっとも緑が濃いところにある小さなステージだ。やさしい照明、手作りの感じがする美術のせいで、ステージ自体を現存するメルヘンだとさえ思っている。
ホーンやトイピアノを効果的に組み込み、メンバーのほとんどが歌をうたう片想いの音楽は、とてもピースフルだ。いかにもアメリカンな黒人音楽的リズムが刻まれて、メインボーカルの片岡シンがマイケル・ジャクソンまねびのダンスをきめても、どこかコミカルだ。何というか、借り物の洋楽くささみたいなものが全然なくて、邦楽の愛すべき部分が純度のすごく高い状態で維持されているように聴こえる音楽なのだ。でもそれは「黒人音楽に宿るべきカウンターの要素を取りこぼした」結果じゃあない。
何回も書いてる気がするけど、「絶望を知らないから幸せなのか、絶望を知ってこそ幸せの価値が分かるのか」ということについてここ何年も考えている。そしてここ数年、ピースな音楽をやるミュージシャンのライブに行き、その人たちの新譜を買うことが多い。彼らのピースな楽曲にはときどき絶望や哀しみのにおいを嗅げる。それは極めて今日的で、なおかつ真摯なポップスの在り方だと思う。片想いのファンキーで抜けててハッピーなライブで、笑って踊るだけじゃなく、どこか泣けてきてしまうのはそういう魅力のせいだ。
名曲『踊る理由』で素直に踊って、『棒切れなどふりまわしてもしかたのないことでしょう』で(舞台袖の角張社長と一緒に)タオルやなんやをぶん回して飛び跳ね、最後は彼らがリスペクトするアーティストの名前を次々読み上げていく『管によせて』。鳥羽一郎の名前が何度もあがって笑いを誘う中、自然に盛り込まれた王舟の名前にホロリ。しかし、オラリーに足を押さえさせてゼロ・グラビティを見せつけ笑いを取ったかと思いきや、曲の終わりに夕日を指差し「サンセット!」ときめてみせる片岡シンのフロントマンとしてのパワーには脱帽した。


こりゃあ次のライブは切ってしまって、ビールでも飲みながら片想いの余韻に浸りきった方がいいか……? とさえ思いながら、青葉市子の弾き語りを観にTAIRA CREWへ移動。TAIRA CREWというのはCandle JUNEが森の中に作るアートスペースで、青葉市子は去年もそこでソロライブを行なっていた。去年、悪天候に負けて観に来れなかったため、半ば意地になっていたところがあった。
しかし、いざステージの前に着き、キャンドルに囲まれながらサウンドチェックをしている青葉市子を観て絶句した。はまりすぎている。幻想的な美術と、青葉市子の佇まいと、鳴らされるであろう音楽とが噛み合うことがすぐ分かった。これは携帯のカメラなんかじゃ撮れないと思った。このライブの模様は、オフィシャルの写真でぜひ見たいとそのとき既に思っていた。片想いの余韻はだんだん消化されていき、目の前のステージに意識が傾いていった。
「新曲をどんどんやっていく」と言う通り、聞き覚えのない楽曲が次々演奏された。それをじっと聴く間、再確認したことがあった。青葉市子はあどけない話し口や風貌から、天使とか妖精とか呼ばれることが多い(細野晴臣もアシストとして彼女を呼ぶとき、「妖精の力を借りる」と冗談めかして言う)。実際、彼女の歌声とクラシックギターは、常識の範囲からかけ離れた美しさを宿す。けれど彼女が歌おうとしているのは、どう考えてもファンタジーとか夢物語についてではない、もっと生理的なことや実際的なことなのだ。そこに青葉市子を天才と呼ぶときに、もっとも根拠として認識されるべきものを見出せる。形而上的なものを期待されながら、形而下にあるものへの愛を絶やさないミュージシャン。
彼女は儚い美しさに属する才能を持ちながら、もっと確実で残酷なことを歌おうとする。死を歌おうとする時、美化された「終わり」ではなく、脈が細くなっていき身体が冷えていくことを歌う。夢を見て生きていくことではなく、飯を食って生きていくことを歌う。TAIRA CREWのステージは、今まで彼女を観た中でいちばん美しいステージだった。だからこそ、彼女のそうした峻厳さがとても気になった。そう思いながらも、DVDを観て期待を高めてきたというsalyu×salyuの真似をする様はとてもかわいいと思った。
たぶん、あそこで『サーカスナイト』なんかやられたら号泣していたと思う。


このとき既に夜九時近く。半袖のTシャツにハーフパンツで過ごすにはいささか寒い。レインボウ前でマルガリータラーメンと赤ワインをかっ込んで暖を取る。食事を終えてテントに入ると、ちょうどsalyu×salyuが始まった。
結局、後に控えていたThe Birthdayをいい位置で観たくて早くに離脱してしまったんだけど、やっぱり『ただのともだち』は生で聴くと圧巻だったし、『Sailing Days』を聴けたのもうれしかった。salyuのことは『VALON』で知ったおよそ十年前からずっと好きなんだけど、生で観たのは初めてだった。こういう邂逅がサクッと叶ってしまうのはフェスのいいところだ。未だに大好きで仕方がない『landmark』の頃の雰囲気とは当然違ったけれど、何というか、彼女のキャリアでは『landmark』のさらに前、リリイ・シュシュ名義でのサウンドに近いものを感じた。というか、『リリイ・シュシュのすべて』の劇中でリリイを聴いている人たちはこういう酔い方をしているんじゃないか、という感動を覚えた。もしくはビョークを観ている感じ(ビョークのことも生で観たことないけど)。ものすごく音響のいい所でじっくり観てみたくなった。


そんな思い入れの深いsalyuを見切ってまで、どうしてそんなにThe Birthdayを観たかったかというと、新作『COME TOGETHER』が底抜けに良いアルバムだからだ。渋谷すばるさんに負けないぐらいずっと聴いている。フジイケンジが加入してからのBirthdayが、とても好きだ。聴きやすくも、ギターロックとしてひたすらストレートにかっこいい。
『COME TOGETHER』はメロディ自体が綺麗なことに加えて一曲一曲が短く、聴き味がとてもポップスに近い。しかしというか、だからこそというか、そこにチバユウスケのあの声が乗ると、この上なく切れ味よく聴こえてしまう。チバの歌が一番活きているアルバムは『COME TOGETHER』なんじゃないかとさえ思う。
というわけで新譜の収録曲でグチャグチャになりたかったので、かなり前の方に陣取ってみたのだが、これは賢い選択ではなかった。タックルの応酬のようになる展開は望むところだったのだが、どの曲にも必ず歌か手拍子かオイコールが入る。どんどん居た堪れなくなってきて、後列へと離れた。曲がいいから歌いたいのは分かるが。好きなバンドを観るときは前に行けばそれに見合う興奮を得られたメテオナイトを、たった二週間前に体験していたために勘違いしてしまっていた。前ならノレるというもんでもないのだ。少し後ろの方へ下がって観ていると、『星に願いを』で泣いている人や、静かにしかし狂ったように踊る人がたくさんいて、居心地よく感じた。
そうして立ち尽くしてじっと聴いていると、メンバーはどういう感情や意識を持って演奏しているのだろうというのがすごく気になった。これまでミッシェル然り、ROSSO然り、もちろんBirthday然り、チバの音楽には身体を貫かれるようなかっこよさを感じ続けてきたが、そういう享受するような姿勢ではない、「こんなにいい曲やるのってどういう気持ちなんだろう?」という疑問が浮かんでいた。例えば『くそったれの世界』の、誰でも書けそうなほど簡単なのに、チバ以外の誰がこんなにかっこよく歌えるのかという歌詞。『COME TOGETHER(タイトル曲)』の解放感。あれを、無論コピーではなく自分たちのオリジナルとして、実際に歌い、演奏するのってどういう気分なんだろうか?


興奮さめやらぬ中、近くで同じステージを観ていた先輩と落ち合い、一息つこうという話になる。ワカバコーヒーの列に並び、温かいものを飲むことにした。お腹を壊しやすい先輩が、隣の店の生メロンソフトやフローズン甘酒に心惹かれだしたので「冷やしてどうする」と諭す。
先輩はチコリラテを、ぼくはチャイを飲みながらやいのやいの喋り、きりの良い所でEARTH TENTへ向かい始める。一日目のラストを飾る、Friday Night Sessionを観るためだ。
OKAMOTO'Sを核として、次々にミュージシャンが出てきてはギターを弾き歌をうたうロックセッション。眠気がピークに来ていたせいもあり、アッ吾妻さんだ! 民生だ! チャボだ! と驚いて目を覚ましては曲中に一瞬(立ったまま)寝るという体たらくだったが、民生とチャボを迎えての『チャンスは今夜』、ヒロトマーシーがかましたストーンズの『Mona』なんかは鮮明に覚えている。ヒロトがいつもとは違う、ちょっと甘い歌い方をしていたのが良かった。そして何といっても、クハラと出てくるなりチバが「ウィルコ・ジョンソンまだ死んでねえぞ!」と煽って始めたDr.FEELGOODの『She Does It Right』、中村達也と鮎川誠が加わっての『I'm FLASH』! いやあつくづくいいもんを観た、と、目の前のスタンドでポカリスエットイオンウォーターの900mlを買って飲みながら、テントへと戻った。それから四時間もすればバスが出て入浴施設へ向かうことになっていたわけだが、起きられる自信はもはや皆無であった。

思うさま書いていたらクソ長くなってしまったので、2日目についてはエントリを改めます。