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キャベツは至る所に

感想文、小説、日記、キャベツ、まじめ twitter ⇒ @kanran

『万年青抄』

自作

 ぼくは誰の眼も見たことがなかった。そもそも人の顔の造りを覚えたことがない。そんなことをしなくても、声や発音、身振り、体つきや髪型の輪郭だけで、人の見分けは充分つく。全く人の顔を見ない訳ではない。しかし、誰それの鼻筋や眼が美しいなどと言われても、ぼくにはその部位を思い浮かべることができなかった。その人のことをよく知っていても、くっきりとした像を脳裏に結べたことは、今まで一度もなかった。

「あいつの眼、青いだろ?」

 二瓶にそう言われた時も、首を傾げることしかできなかった。ぼくが共感できていないことに気付き、二瓶は説明を付け足した。

「あいつ、クオーターらしいんだよな。爺さんか婆さんがドイツだかの人で、残りは日本人の血らしくて、他はまるっきり日本人なのに、眼の色だけ変わってるんだよ」

 他はまるっきり。髪の色や顔かたちのことだろう。二瓶はそう言うが、話題に挙がっているそいつ、伊玖磨のことを、ぼくはよく知らない。顔など浮かんでこない。ぼくがついてきていないために話が弾まないと悟った二瓶は、ぼくを小突いた。

「お前は本当に、周りに関心がないな」

 二瓶は笑いながら、あの時もそうだ、俺がせっかく八重洲に声かけたのに、お前がなんにも喋らないから……と、女子から邪険にされた時のことを蒸し返し始めた。色々なことがぼくのせいで悪く運んだ風に言われている。全部が全部ぼくのせいではなかったと思うが、こういう話に関して、ぼくは二瓶に反論できるだけの語彙を持っていない。

 眼の色が人と違うということは、人とは異なる色合いの世界を視ているということなのだろうか。黒い眼を通して見れば世界は黒みがかり、青い眼を通して見れば世界は青みがかるのか。子供じみた疑問だと自分でも思ったが、空想が掻き立てられた。目玉の表面の色が違えば、そこを透ってくる光もまた、眼の色に応じて色合いを変えて、脳に届くのではないだろうか。色の違うセロファンが重なって、別の色を作るようなことが、人の眼と脳の間で起こるかもしれない。

 いや、東洋人の見る赤と欧米人の見る赤が違うなら、色の名前を翻訳することなどできやしない。その空想にはすぐに飽きたが、しかし二瓶の口調が、ぼくの視野の狭さを指し示しているように思われて、胸のざわつきは止まなかった。さも当然のように、二瓶は伊玖磨の眼のことを言った。ぼくは彼の眼が青いことを知らなかった。そもそも、ぼくは誰の眼も見たことがなかった。

 二瓶との話のあと、ぼくは一人、トイレに入り、鏡をじっと見た。自分の眼を見つめた。焦げ茶色の瞳。中心の色は特に深く、茶色というより黒い。コーラ味の飴玉のようだと思う。これがぼくの初めての観察だった。

 窓の外には雨が降っている。雨の日は静かだ。雨を避けて、外に人がいないから静かなのだろうか。もっと直に、水が音の広がりを押さえつけているのだろうか。

 

 

 地理の授業で、スウェット・ショップの話を聞いた。

 ショッピング・モールでは必ず目にするようなブランドのいくつかは、東南アジアなどに下請けの工場を持っていて、そこの労働者は劣悪な環境で、賃金の著しく少ない仕事に従事しているという。中学のころにも、ガーナのとあるチョコレート工場では子供も働いているが、彼らにとってチョコレートはあまりに高価で、生産に携わりながら誰もチョコレートの味を知らないのだと、教科書で読んだ。利益を吸い上げる人達がいるなら、綺麗なことも望ましくないことも、なかなか変化しないということなのだろう。

 スウェット・ショップ、汗の流れる場所。そこにあるのはぼくたちの知らない類の汗だ。

 雨の日の体育の時間、ぼくたちは屋内で球技に興じる。バスケットボール、バレーボール、卓球を楽しむ。ぼくは特にそうだが、長距離走はあまり皆に好まれない。陸上競技における技術の喜びは、熟練しないと判らない。

 体育館にこもる湿気が、球技の持つゲーム性が促す明るい発汗と雑じる。汗をかく気持ちよさと不快指数がまだらになって漂う。ぼくたちの知っている汗はそういうものだ。

 芥見という友人は、「体を痛めつけていると、生きている気がする」という。彼は高校では部活に入っていないが、中学まではまじめにバスケットをやっていたらしい。退屈になると、全力疾走をしたくなるそうだ。激しい運動を繰り返して、筋繊維をずたずたにして、一歩も動きたくなくなるまで体力を使い切った後、ゆっくりと息を整えるとき、生きている、と感じるという。彼はあまり言葉を知らないので、その感動を説明するだけでも一苦労というふうだった。本を読むなら、その時間を運動にあてようと思う人物なのだ。

 ぼくは芥見の感動を翻訳したいと思っている。外国の工場に流れる、せっぱつまった汗とは違う、おおらかな汗。きっと、それを見て美しいと感じる人のいる汗。それを発する芥見の感動とはどういうものか。彼が手にしている生の実感。その実感が得られれば、きっと生きることはある程度たやすくなるだろう。生きるのがたやすくなることの喜び。そのことを考えるたび、何度か思い浮かんだ言葉がある。「祝福」。「芥見は祝福を受けている」。もう何度もそれに思い当たっているのだから、的を射た表現という気がしている。けれど、手応えを感じるにつれ、スウェット・ショップの労働者たちは、祝福を受けていないということか、とも思う。

 教師はスウェット・ショップの話を切り上げて、授業を続けている。ぼくは窓の外に降る雨を見る。雨脚は強くないが、制服の上着を着ても寒さを感じる。雨の日、午前と午後の違いはあまりなく、春の雨には確かな温度さえない。風が冷たければ外は寒くなるし、その逆もありうる。寒い日の運動のあと、風に冷える汗を思った。あのように今、空気が冷え、寒い。

 

 

 自販機の前で、八重洲に出くわした。昼休みも半ばを過ぎていて、学食に通じる渡り廊下には人が少なく、ぼくたち以外の人影はまばらだった。八重洲はぼくを見ると、手を小さく振ってきたので、ぼくも同じ程度に手を振った。

「何を飲めばいいと思う?」

 八重洲は自販機の方を向きながら、そう訊いてきた。困った顔をしている。本当に迷っているのだ。

「今、寒い? 暑い?」

「どっちでもないから訊いてるんじゃないの」

 なるほど、と思った。

「適当なものを買って、温かいものなら少し冷まして、冷たいものなら少しぬるくして飲んだらどうだろう」

「すごくばかばかしい発想ね」

 八重洲は笑いながら、それで行こう、と言い、紙パック入りの牛乳を買った。そしてすぐにはそれを飲み始めず、両手でパックを握り締めていた。ぼくは八重洲に特別の好意を持っていない。八重洲に惹かれている二瓶に申し訳ないとか、そういう感情も一切ない。しかし、八重洲の動作と、八重洲と牛乳との関係が、とてつもなく鮮やかに見えた。ぼくは八重洲と同じ物を飲みたくなって、牛乳を買い、ストローを取り出さず、パックを手に持ち続けた。

「どうして?」

 彼女は不思議そうに、まずぼくの手の牛乳を、次にぼくの顔を見た。そのとき初めて八重洲の顔をじっと見た。きれいだと思った。そしてすぐに、言葉になり切らない感想がいくつも起こった。人の顔をよく見るようになって思うが、可愛いとかブスだとか、そういう表現は第一印象のことを語るときと、感想を煮詰めたときにしか使えない。そういう表現が許されるのは、消化の始まりと終わりの短い瞬間のことで、理解を進めるための長い期間においては、もっと具体的な言葉を用いないと、何かの印象を説明することはできない。

 八重洲は少し顔をしかめて、ぼくの返事を待っている。

「どんな味がするか、気になって」

 本当にそれだけしか考えていなかったので、そう答えた。八重洲の顔から不安がなくなった。そしてすぐに、彼女は屋根のない方を見た。小ぬか雨がアスファルトに降っている。教室に戻る様子もなく、ただじっと雨を見ていた。その向こうには植え込みや塀があるが、八重洲がそれを見ていないのは、何となく分かった。彼女の関心や神経について知っていることなどほとんどなかったが、今、冷たい牛乳を手に持って、植え込みや塀を凝視するとは思えなかった。彼女は雨を見ている。

「よく降るね」

 八重洲の言葉に、ぼくはただ頷いた。この地方の春の雨は長い。

「雨は嫌い?」

 あまり親しくない人と沈黙を共有するのは難しい。とにかく会話をしようと、そう訊いてみた。

「雨そのものが、じゃなくて、雨の日に出かけるのが嫌い。予定のない日の雨とか、休日の雨はむしろ好き」

「分かる」

 そのときの調子にもよるが、一人で雨を見聞きするとき、心は落ち着く。ぼくはそういう時間がとても好きだ。何かを好きになることが、興奮や動揺を伴うとは限らない。

 それにしても、ぼくは今「分かる」と言った。それは間違いのない本心だったし、決して不自然な相槌ではない。だが、さして親密でない八重洲のシンプルな独白に、わざわざ共感を示す自分が意外だった。

「そうか、分かるか」

 八重洲は事も無げにそう言った。自分自身の反応に驚くぼくを尻目に、ぼくが「分かった」のだということを分かっているようだった。

「ここの春は嫌い。梅雨になれば日本中だいたい雨になるのに、先んじて雨ばっかりになることないと思う。世に言う春は、桜が散った後も続くっていうじゃない」

「確かに花見の時期が終わったら、ここはもう雨ばっかりだもんな」

「止まない雨はない、って文句があるじゃない? あれ、すごく嫌い。あんなの何の励みにも慰めにもならないわよね。そんなこと分かってんのよ。問題はいつ止むか分からないってことなのに」

 力みも衒いもなく、八重洲はそこまで言って、また黙って雨を見た。遠くに住む人達へのやっかみで言っているとは思えなかったし、おおげさな言い方でぼくを笑わせようという言い方でもなかったし、慣用表現の起源について真剣に考えているふうでもなかった。八重洲の言葉は、彼女が繰り出したものというよりも、誰かが今の八重洲の心を見て描いたデッサンのようだった。

 君は今、雨に苛立っているのか? と訊いてみたくなったが、やめた。彼女が実際に苛立ちを持て余していたとする。もしそんな絡まった気持ちを訊き出したのなら、ぼくはそれをほぐしてやらなければいけない。そう覚悟しなければ、彼女は苛立ちを告白しないだろう。そしてぼくに覚悟はない。だから、返事になるのか分からない言葉しか言えなかった。

「逆の言い方で、枯れない花はない、っていうのもあるね。同じように、何でもいつかは終わってしまう、ってことなんだけど、花がいつ枯れるか分からないってことは、どちらかというと救いだと思う。自分の励みになるような気がする」

「嫌いな花でも?」

「嫌いな花どころか、好きな花もそんなにないけど、どんな花でも」

 話しながらぼくたちは雨を見ていた。牛乳のパックは手の熱を受け取り続ける。手は空気に漂う雨の冷たさを補給している。

 

 

 ぼくたちからすると、春の雨と梅雨の雨には境がない。違いを挙げるとすれば、春の雨には冬の風が時々雑じる。梅雨の雨には、夏の風が時々覗く。それから、湿気がひどいか、そうでないか。どちらの気候が過ごしやすいかは人それぞれだ。高校に入り、服装についての指導をうるさく受けなくなってから、脱ぎ着して暑さ寒さをやり過ごす術が身に付いたと思う。それに、学食に自販機がある。暑ければ冷たいものを飲めば過ごしやすい。もちろん、その逆も然りだ。

 暦の上では夏間近となったある日、朝はそれほどでもなかった雨脚が、昼飯時にいきなり強まった。放課後になっても勢いが衰えることはなく、通学手段の如何を問わず、多くの生徒がだらだらと校内に残ったままになった。こういう時、ここら辺の学校では、誰かが退屈しのぎのための何かを持ってきている。ホームルームが終わった途端、女子のある一群はトランプを取り出したし、男子の数人がカードで出来た牌を使って麻雀をやりだした。

 ぼくも仲の良い奴らと集まって、雑誌を誰のものとも知らないで回し読みしたり、ウォークマンを借りて音楽を紹介してもらったり、のんべんだらりと自販機まで歩いて行って結局何も買わなかったり、無為な時間を過ごしていた。

 面子の一人、鴇田が言った。

「もうすぐ梅雨入りだなあ。ジメジメするから、嫌なんだよな」

「雨の日はどうせいつもそうだろ」 そう言って二瓶が腐す。

「六月の体育って嫌じゃないか? 今の時期とぜんぜん違うよ。体がどこもかしこもベタベタしてさ。やっぱり梅雨の雨は今と違う気がするんだよなあ」

 鴇田にもこういう神経があるのだと皆が驚いて、そのあと笑った。当の鴇田本人は、何を笑われているのか合点がいかないようだ。無精髭を生やして、穴の開いた靴下をしょっちゅう履いているような奴にしては随分過敏な物言いだけど、これもまあ、雨に対する好きずきなのだろう。

「確かに、湿気そのものはすごく増すよな」

「そうだろ?」

 あんまり笑うのも悪いので、ぼくが助け舟を出すと、鴇田はにっこり笑ってぼくを見た。清潔感こそないが、愛嬌がある。

 日本の大抵の地域では、梅雨は湿気に喘ぐ。乾かない洗濯物、いつの間にか滲みだしてくる黴。ここでは春からそんな悩みが尽きないが、梅雨はその程度が増す。あんまり長く続く雨に、いい加減嫌気が差してくるというのも大きいが、実際、汗をかいたときの服の肌への張り付き方が違う。六月は、汗に古い糊でも混ざっているような気がする。

 ぼくらの一団の中で小さく固まって話していた奴らが、視聴覚室に行ってくると言い出した。そこではネットに繋がったパソコンが開放されている。ぼくも誘われたが、断った。年齢制限のあるサイトはおろか、特定のネットスラングを含むサイトでさえ閲覧できないと知っているからだ。別に校内で見たいとは思わないけれど、ああいうサイトをブロックする設定って、誰がどうやって組んでいるのだろう。

 インターネット。Web。ここからどこかを覗くための、とても面積の広いインフラストラクチャー

 その功罪とか機能はともかくとして、ぼくはその面積を想う。今この場で、機能とか役割というものが、大きな意味を持つと考えるのは難しい。何かが希薄なのだろう、学校ではそういう思考が呼吸できない)。その面積は、実際は厳密な数字で表現できるのに、それを用いる多くの人々が、自分の視力と視野の限界が、そのまま広さの窮極だと思っている。

 ぼくたちは、けっこう精妙なレベルで、ぼくたちの頭上に春のあいだ広がる雨雲が、梅雨になると本州の大半を覆うまでに広がるのだと想像できる。突き詰めれば、こことどこかが地続きである、と想像しているということだ。

 ぼくたちは今、帰ってよい。家に帰ることも、どこかに遊びに行くこともできる。ここからどこかへ行ける。歩いて、自転車で、電車に乗って、タクシーを捕まえてだって。それでもぼくたちは行かない。

 

 

 今日の二時限目は、漢詩の授業の一環として、教師が録画したTV番組を観ることになっていた。

 一時限目から二時限目にかけての休み時間は、朝の気だるさが失せていきながら、昼食を巡る気忙しさがない。その上、一時限目は自習だったので、ぼくたちはそれぞれの気分を心地良く整えることに成功していた。課題のプリントをさっさと片付けて、移動の用意も済ませ、チャイムが鳴って間もなく教室を出る。まだ休み時間が始まったばかりで、廊下には人気がなく、ぼくたちはほんの束の間、思うさま鷹揚に歩いた。すぐに周りの教室から人が出てきて、いつもの光景が出来上がってしまったけれど。

 国語の授業のための特別教室はないから、視聴覚室を借りるらしい。視聴覚室へ行くには、ピロティーを通るのが一番早い。視聴覚室があるのは西棟で、クラスごとの教室があるのが東棟。正確に言うとそうなるらしいけど、丸一年以上通っていれば、方角よりも「何曜日の何時限目は地学室に移動」とかいう風に、皆の前提になっているピンポイントの記憶の方が言葉にしやすくて、「早く西棟に行こうぜ」なんて言ったことは未だかつてない。

 屋外に繋がるだけあって、ピロティーに出る扉はやや厚く、重い。少し力を込めて扉を開けた。春の温みと雨水の冷たさが、全く同時に全身を撫でるのを感じる。中から外へ出るとき、人の体は、温度と湿度の違いに驚くようにできている。「風を愛でる」とか「季節の変わり目に敏感でいる」という言葉は、この驚きの翻訳のことだ。そして過ごしやすさとはその驚きのないことだ。

 今日は蒸し暑く、上着を着ている者がほとんどいない。ぼくもワイシャツの袖を折って、腕を見せている。裸の腕に、風に吹かれた細かな雨が当たる。雫が落ちてくるというより、霧で出来た叩(はた)きでくすぐられているような気がする。冷気の点描。

 右手には校門や体育館が見え、左手には校庭が広がる。アスファルトにも、木々や芝生にも、校庭の土にも、サッカーゴールのポストにも、教師の車にも雨は降っている。だだっ広く描かれる点描。ぼくがいるのはその一点だ。ただ一地点だ。

 ぼくは窓ごしにではなく、ただぼくの眼で外を見る。ぼんやりと遠くを望む時、間に何も挟まないというのは、ガラスの向こうを見やるよりも、もっと真剣に透明を見ることなのだと思う。

 

 

 軒下で傘を広げると、晴れている日より格段に強く、外に出るということを意識する。防雨に挑むというつもりになる。

 委員会の集まりがあって、いつもより帰るのが遅くなった。寒さが和らいで、日によっては昼の間、長袖が煩わしくなるようになったけれど、日が暮れたら半袖ではいられない。

 雨降りの夕暮れは曖昧だ。感じられる冷えが雨によるのか、日が沈んだことによるのか判らない。雨雲は、空の色の移ろいも、影が示す時間の経過も、全て隠して悪びれない。

「何だかすごく暗く感じるね」

 ぼくと委員会に出席した、村主という女の子が、傘を広げながら言った。独り言の調子ではなかった。雨雲ではなく、ぼくの顔を見上げながら言っていた。彼女とは今年クラスが一緒になったばかりで、これといった話をしたことはなく、ぼくたちは互いのことを知らない。それにしてはすんなりと、彼女の言葉に、不思議なまでのふくらみを感じることができた。

 日照時間は伸びてきたけれど、まだ春なのだ、午後の五時を回れば空は暗くなっている。彼女は何を思って、こんな当たり前のことを、ぼくに向かって言ったのだろう。それを問いたかったが、彼女の言葉をお手玉している有様なので、結局、無視をしていると取られかねない沈黙が出来てしまった。

「――本当に暗いね」

 嘘だった。この時間ならこんなものだろうと思っていた。どうにかして沈黙を拭いたい一心でそう言っていた。言葉を差し出して無視されるのは嫌なものだ。真摯さがそのまま痛みになる。村主のことは好きでも嫌いでもない。だからこそ傷つけてはいけないと思った。

 ぼくの下手くそな返事に、村主は少し戸惑ったようだが、また上目遣いに(ぼくはそれほど背が高くなく、彼女はそれほど背が低くない)、ぼくの目を見て笑った。

「暗いし、行こうか」

 彼女はそれだけ言うと、傘を掲げ、軒下から雨の中へ踏み出した。ぼくもそれに続き、二人して駅へと向かった。これまでのわずかな雑談で、お互いの家の位置は、何となく了解し合っていた。彼女が降りる駅でぼくは乗り換えをして、もう少し学校から遠ざかる。

 本当は、村主は何を言おうとしたのだろうか? ビニール傘は、特有の音を立てて水を弾く。頭の上で、ひっきりなしに音が鳴っていると、喋る気が少し失せる。村主に聞こえるようにと大きい声を出しては、ぼくの本当に言いたいことが、声の音量にかき消されてしまう気もしていた。

 ぼくたちは水たまりをよけながら、駅へと向かう。途中、村主は傘と自分の首を、後ろに傾けた。わざわざ傘を視界からどけて、何かを見上げているのだ。彼女は歩調まで緩めながら、街灯を仰ぎ見ているようだった。後ろに続くぼくには、彼女の表情は見えない。ぼくもつられて街灯を見る。雨の中の光は、雨量の感じを表す一番の目印だ。「一時間に何ミリの雨」とか言われるよりも、光源の周りにぼんやり浮かぶ白い線の数や流れを見た方が、自分を取り巻く雨がどんなふうに降っているのかを感じ取れる。

「何を見てるの?」

 彼女の視線の先には街灯しかなかったが、敢えてそう訊いた。こことはかけ離れたどこかにピントを合わせているかもしれなかった。もしかしたら眼を用いずに。

「ああ……街灯をね」

 村主はぼくの方へ横顔を向けて、社交的な感じで微笑んだ。微笑む直前まで、彼女はひどく哀しそうな顔をしていた。

「雨の日の街灯って、光がぼやけて、何だか綺麗だと思わない?」

「どうして、嘘を……」

 ぼくの方こそ、どうしてこんなことを言ってしまったのだろう? しかし、嘘だと思ったのは本当だった。ものすごく強くそう思った。あんな顔で何かに見とれるはずがない。確信が言葉を押し出した感じだった。自分の言葉が、場の雰囲気を変えることを考える暇がなかった。

 村主は混乱しているようだったし、ぼくもまた、彼女に見せるべき姿勢を作れないままでいた。すぐに彼女は目を逸らしたが、ぼくは彼女を見続けていた。もしぼくが村主に恋をしていたなら、彼女を抱きしめたくって仕方なくなっていただろう。目を伏せる彼女は、それほど弱々しく見えた。

「嘘なんて……」

 村主はそこまで口にしたが、すぐに言い淀んだ。彼女はまたぼくを見た。責めるようでもあったし、許しを乞うようでもあった。果たしてぼくはどんな顔をすれば良いのだろう。

 コーラの飴玉のようなぼくの眼を、村主が見ている。村主の黒い眼をぼくも見る。言葉は出てこなかった。ここが校舎の中だったなら、こんなにも沈黙が続くことはなかったはずだ。今、屋根ではなく傘で雨を防がなければならないから、ぼくたちは喋れずにいる気がした。先ほどのように、傘が水を弾く音が邪魔だからではない。壁も仕切りもないために、ぼくたちの間に起こり始めている何かが、どこまでも薄く引き伸ばされていきそうだった。二人の緊張が絡まり合えば、結局それは爆発を促したかもしれないけれど、片手に傘を持って雨を防いでいることが、ぼくたちからわずかに、しかし確実に活力を奪っていた。合理的に事態を展開させるための活力を。

 ぼくたちは黙り続けた。唖のようにではなく動物のように黙り、お互いを見つめ続けた。村主の気持ちは全く判らなかった。ぼくは村主を今この時よりも幸せにしたいと思った。

 村主はまた目を逸らし、眉をしかめて、「夜道は嫌い」と呟いた。

 

 

 担任が、四時間目の授業を早く切り上げてくれたので、ぼくたちは素早く学食に陣取り、のんびり飯を食って、ちんたら音楽室に移動できた。楽器を動かせないと仕方ないのだから、至極当たり前ではあるけれど、音楽室は広い。大勢で足を伸ばして座っても、人の邪魔にならないぐらい広い。今日もぱらぱらと雨が降っている。雨脚の割に湿度が高い。窮屈な姿勢をなるべく取りたくなかった。

 遅れてやってきた二瓶は、ぼくたちの方には寄ってこず、ピアノの近くに陣取っていた八重洲たち女子の集団に話しかけた。熱心なことだ、と皆で目配せだけをし合った。茶化しては悪い。二瓶は八重洲に本気だ。

 どのような会話があったのだろう、二瓶が立ったままピアノを弾き始めた。所々とちっているのが判るが、両手の動きに均整があった。誰が聞いても、全くの素人の演奏でないと判るだろう。八重洲も感心しているようだし、彼女の友達が「すごい」と口にしたのが、ピアノの音の合間に聞こえたし、ぼくの友達も話を止めた。ぼくは二瓶がピアノをやっていたのを知っているので、別段驚きもしなかった。今弾いている曲だって、彼の家で「弾いてみせてくれ」とねだって演奏してもらった『貴婦人の乗馬』という曲だった。前に弾いてもらった時の方が、滑らかでよどみもなかった。もう練習はほとんどしていないというからあの時よりも腕が鈍ったか、それとも八重洲の前で力んでいるのか。

 二瓶が適当なところで切り上げると、近くにいた女子たちが拍手をしながら、彼の腕前を褒めた。といっても、うまいね、とか何とかいうよりも、「意外」という言葉が目立った。肝心の八重洲は、なおざりな拍手をしていただけだった。二瓶がそれに気付いていないわけはないが、せっかくのお愛想を邪険にするほど、彼は子供ではない。八重洲には気を向けず、話しかけてきた村主たちの相手をし始めた。今までぼくのそばに座っていた何人かも腰を上げて、ピアノの方へ行き、二瓶に話しかけたので、彼はいよいよ八重洲と話すどころではなくなった。そのうち誰かが、もっと弾いてよ、と言い出した。これ以上弾いては無粋だと思ったのか、二瓶はそれを嫌がって、「そういうのはプロに頼んでくれ」と話を逸らした。

 集団の眼が、教室に入ってきた矢車に集まった。矢車は高校に入る直前ぐらいから、自主制作したDTMの音源をアップロードして、ものすごい数の閲覧数を叩き出している。方々から楽曲提供の依頼が来ているとか、何かのBGMを作っているらしいとか、勝手な噂が飛び交っているが、当の本人は否定も肯定もしていない。というのは、矢車が斜に構えているとか、自分を持て囃す奴らを見下しているとかいうことではない。ぼくと二瓶は、彼と数回話したことがあるが、矢車は全く社交的な人物で、冗談も言うし、破顔したときの表情はあどけなかったし、発音ははっきりしているのに、いつも喋る調子が柔らかくて、彼の表現から侮蔑が臭ったことなどない。ミーハーな人間に対する蔑みなんていうありきたりなものは、彼の中には恐らくないのだろう。

 矢車くんも何か弾いてくれない? そう言われた矢車と、その事態を招いてしまった二瓶と、ぼくはその両方の反応が気になった。矢車は初めきょとんとしていたが、二瓶が申し訳なさそうな顔をしていることから事態を察したのか、ニコリと微笑んだ。

「閉め切ってくれるならいいよ。さすがに、他のクラスにまで聞こえると恥ずかしいから」

 数人が返事もせずに窓へと歩み寄った。二瓶が先陣を切って窓を閉め出して、その機敏さに皆笑った。

「うるさいな、俺は矢車のファンなんだよ」

 二瓶の言葉は、矢車へのおべっかにも聞こえたし、彼が正確さを意識して繰り出した、皆の笑い声に対する返答にも聞こえた。矢車がどう思ったかは知らないが、彼も皆のように笑っていた。

 窓が閉められると、湿気がぐっと増してきた。それに押し上げられるように、さっきまでぼくと話していた小鳥遊が「目立ちたがり」と呟いた。誰のことを言っているのかどうしても分からなかったので、「矢車のこと?」と訊いた。小鳥遊はぼくの方を見ずに頷いた。

 小鳥遊がこういう棘のあることを言うのは珍しかった。言いたいというより、言わずにはいられないことだったのだろう。小鳥遊とぼくはよく話す。積み重なっていた小鳥遊への愛着が、彼への同調を促しはしたが、矢車が人の目を引くために演奏をするとはどうしても思えなかった。

「矢車は違うよ」

 できるだけ自分の気持ちが出ないようにそれだけ言って、あとは何も言わなかった。ぼくと小鳥遊の間の沈黙が、切迫した加熱を始める。その間に、矢車はピアノの音量を確かめ、二瓶はそんな矢車に耳を寄せて何をか呟き(きっと謝っているのだろう)、隅の方で固まっている他のグループの奴らもまた、矢車のパフォーマンスに期待して落ち着きを失くし出した。

 小鳥遊は立ち上がって、端の方にいる野球部の一団に話しかけた。立ち上がる理由がないので、ぼくはぼんやり座っていた。

「ピアノソロのアレンジした曲なんてないから、弾き語りしかできないな」

 矢車が困ったようにそう言うと、歌ってほしい、と女子が騒いだ。心底歌を聴きたがっているというより、矢車の言うことに阿っているようだった。

「ピアノの弾き語りなら、あれがいいよ、あの――何だっけ」

 二瓶がリクエストをしようとしたが、タイトルをど忘れしたらしい。皆が辛抱強く二瓶の言葉を待ったが、彼の口からは唸り声しか出てこない。悩んだ挙句に彼はこっちを見て、ぼくたちの視線が交わった。二瓶がとびきり好きなのはあれだろう、という曲が頭に浮かんだので、すかさず曲名を言ったが、二瓶もぼくに向かって「あの曲、何ていうんだっけ?」と言ったので、声がこんがらがった。多分誰にも、なんにも聞き取れなかっただろう。続けざまに同じやりとりをもう一度やってしまって、皆に笑われた。二瓶が言わ猿のごとく自分の口を手で覆ったので、ぼくは曲名を悠々と言った。

 『ピカンのアイス』。二瓶は、我が意を得たり、と言わんばかりに笑って、矢車の方を向いた。意外に、矢車の顔には戸惑いが兆して見えた。それは、ぼくが二瓶から教えられ、ぼくたち二人して好きな歌だった。

 矢車はダンス・ミュージックばかりを作っているが、彼が自分で歌をうたう弾き語りの曲も何曲か公開している。『ピカンのアイス』はそんな数少ない楽曲の一つだった。原曲には打ち込みのドラムとシンセ・ベースが入っていたが、あれならピアノと歌だけでも充分すばらしいものになるだろう。

「あんまり褒められたことのない曲だけど、せっかくリクエストしてもらったから……」

 そう言って、矢車は指慣らしのように、散漫に鍵盤を叩いた。これという曲を形作るわけではない散発的なフレーズが、即興らしい素早さで瞬いては半端に途絶えた。それを聴いて、彼の小柄な体躯の中には、長い時間をかけて彫り上げられ続けている美しい塊が隠されているのだと思った。それそのものが目に見えるというより、彼の動作によって、彼の持つ特異な重量が浮かび上がっていた。

「では」と一言、照れ隠しのように矢車は言って、一度目をつぶって、それからぱちりと目を開くと、鍵盤に手を添えた。

 柔らかな音が立ち、演奏が始まる。蒸し暑さが部屋に充ちているので、音までも湿気の中で丸みを帯びているような気がしたが、矢車が自然な速さで手を右へと動かし、高い音を強調させると、音に針のような冷たさと鋭さを感じた。矢車は歌い出すことを合図するように、演奏のテンポを少し緩めた。そして息を吸い、空気と同じものを新しく作り出すような、柔らかでゆっくりとした調子で歌い始めた。

 

   空のごみまでが

   街に降り

   頼りない光だけが

   そこかしこを彩る

 

 二瓶はこの歌について、理由がちっとも分からないけど好きな歌だ、と言う。ぼくは、矢車が自分で書いたという詞が好きだ。同じクラスの人間が、雨のことを歌っているのが好きだ。

 雨はこれまで、ぼくたちの春を覆い続けてきた。日々の中で、ぼくたちは雨に降られ、湿気を感じ、ぬかるみを避け、服を乾かしてきた。矢車はそういうことをしながら、歌をうたってもいる。

 

   どこも雲の下

   気持ちいいとか

   ついてないとか

   ごった煮にする冷気

 

 二瓶は矢車しか見ていない。後ろ姿しか見えないが、小鳥遊は依然不愉快なのかもしれない。八重洲や村主は目をつぶっている。矢車は時々鍵盤に目を落としては、声を強く出すためだろう、前を、少し上を向く。顔を上げるたび、毅然とした表情になるのを見つけて、その都度ぼくは、彼を素直に尊敬する。

  

   いくつかの線の上に

   成り立つこの大地に

   何を捧げれば

   愛し合っていけるのか

 

 ふと気になって、教室を見渡す。誰もが演奏に聴き入っている。矢車に釘付けになっている。閉じきられたこの空間で、いつか一つの想い出になるためのものが、今まさに誰の中にも出来上がりつつあるのだと思った。

 

   きらきら

   きらきらと

   窓にしずくが走る

   いつまでも

   いつまでもと

   僕は誰かに祈る

   冷たい汗 のどかな嘘

   息する邪魔をしないで

 

 矢車は、一つの山場である、ひときわ切ない展開の部分を失敗なく歌って、長い間奏に入った。今歌い上げたばかりのメロディを、少しずつ変化させて繰り返す。次第にピアノの音は、歌のメロディを解体し尽くして、何かもっと別のもの、例えば実際に矢車が唱えたかもしれない祈りそのものを歌うように、意味深な谺を投げかけ始める。しかしぼくは、矢車が奏でたものを説明するための言葉を、たったのひとつも見つけられない。そのうちに、矢車はまた歌い出す。

 

   爪の先すら

   自分のものでないような

   そんな朝を迎えても

   歩いていこう

 

 ぼくは窓の外を見る。雨は降り続いている。もうじき、この歌は終わってしまう。矢車には拍手が待っているだろう。これを機に、矢車はクラスの誰かと、新たに親交を深めたり、より一層の妬み嫉みを向けられるかもしれない。しかし雨は降り続けるだろう。四月が五月になるまで降り続けたように、五月が六月になっても降り続けるだろう。

 不意に視界が滲んだ。涙があふれてきそうだった。格好が悪いと思い、こらえた。それ以上の涙は湧き上がってこず、頬が濡れることはなかった。こらえることのできた涙は、人目も憚らずに流す涙とは違うだろうか。それは優劣で分けられるものだろうか。人の目に触れた涙、触れなかった涙。人は誰かの涙を見るとき、自分の涙のことをどう思えばいいのだろう?

 

   歌とリズム

   旅行のような君

   羽ばたく人

   さざめく彼方

   ここではない場所へ

   過ぎ去っていく誰かに

   何かしてみせたいんだ

   できれば全て

   愛してみせたいんだ

   数字を使わずに

 

 

 地学の教室を出ると、入れ替わりに別のクラスの人間がやってきた。その中に伊玖磨がいた。彼はクラスメイトと談笑しながら、滑らかに教室へと入っていった。彼の顔を見つけてすぐ、その目を注視したが、二瓶の話していた青色を確かめる間もなく、彼はぼくの視界から消えてしまった。

 六月も半ばを過ぎて、台風の予報を聞くようになった。まさに今夜には、この辺りが暴風圏内になる。雨は既に強い。ガラスを叩く雨音が聞こえる。ガラスのような透明なものが、どうしてここまで音をくぐもらせることができるのか、いつも不思議に思う。

 皆は教室に戻っていく。ぼくは立ち止まり、窓を少し開ける。風向きのために雨は吹き込んで来ないが、湿った冷気がぼくの腕を撫でる。同時に、ガラスに阻まれるのではない、鮮明な雨音が耳に入る。強風でまだらになっている時とは違う、ほぼ垂直に降っている時の雨音は、電子楽器の音色のように続く。もちろん、一つの雨粒が落ちる音は、立ったそばから収まっていくから、雨の音というのはいくつもの音の集合に過ぎないけれど、どうしても、ひと塊のものとして、ひと連なりのものとして耳に届く。

 たとえ一瞬でも、ぼくの目に映ったはずの伊玖磨の眼球。この目に見ながら、確かめられなかった色。いつかぼくは伊玖磨の目を見るだろう。それが青いと知るだろう。それは連続の中で際立つ、きらめく一瞬だ。もしそれが、ただきらめいただけの一瞬でも、結局は瑣末な感動でしかなかったとしても、ぼくはそれを待っていたい。

 殻のない卵の中にいる気が、雨の季節、いつもする。