キャベツは至る所に

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PICKY In thIs PandemIC - 2

 

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オ:今更なんですけど、マミヤさんって、どういう感じで飲食業界に入っていったんですか? 

 

マ:学生の時とかも、バイトは飲食のしかしてなくて。ラーメン屋とか居酒屋さんとか。食べることがまず好きだったから、美味しいものが作れるようになりたいとも思ってて。自然にそうなったっていうか、仕事にするつもりとかなかったんだけど、自分にできることって何なのかって考えていくと、出来そうなのが飲食だった(笑)。「普通の会社とか入っても絶対やってけないな」と思って……。

 

オ:クークーバードの二人と同じようなこと言ってますよ(笑)。クークーも最初は「うちの居抜きで店やらないか」って誘われて、そん時は飲食のバイトとかしてたんで「じゃあやってみます」で始めた、って聞きましたから。そんな感じでしたか、マミヤさんも?

 

マ:自分がずっと、自分に自信がない人だったから。「俺の取り柄ってなんなんだ」「取り柄ねーな」って感じで。高校生の半分ぐらいまではずっと暗かったしね。小学生の時とかもいじめられてたし、どっちかっていうと暗い感じの子で。だから多分、自分の中で、音楽が精神を保つためのものになってたのかな、っていうのがある。別に得意なものもないし、勉強もまあ普通ぐらいだし、何もねーなって感じで。でも、その中でも捻り出して何か出来るか、って言われると、料理が好きかな、って。

 

オ:クウワのようなお店の店長さんをやるっていうのは、そういう音楽を想うところと、飲食って仕事が交わるポイントだった、っていう感じなんですか?

 

マ:音楽はずっと好きだったけど、仕事として音楽に携わる、っていうのは考えなかったな。

 

オ:それは例えば、レコード屋さんやるとか、ブッキングスタッフやるとか?

 

マ:今ほど、そういう職業のことも見えてこなかったっていうか。今だったら、割と何でも自分でも出来ちゃうじゃん。音源自分で作るとか、ライブの企画を一から組むとかも、どんどんやりやすくなってるじゃん。俺が若い頃って、そういうのが全部見えない世界っていうか。音楽やりたいなってのはあったけどね、大学も軽音のサークル入ってたし。でも音楽の才能も多分ないから(笑)。それで食ってくってのは考えづらかったし。出来るとしたら飲食かなって。だから就活をしなかった。当時は、フラフラしててもいいかな、ぐらいの気持ちでいた。奥さんとは大学のサークルで出会ったんだけど、奥さんの実家が、お姉さんがやってる飲食店なんですよ。

 

オ:あ、そうなんですか。それは知らなかった。

 

マ:お付き合いしたらまあ、お店にも行くでしょ。で、イタリアンなんだけど「美味しいし、おしゃれだな」って思って。居酒屋とかラーメン屋でしか働いてなかったから(笑)。卒業してそのお店で働かせてもらうってなって、2年ぐらいやって、一旦やめて違うものも見てみたいってなって、カレー屋さん行ったり、また別の居酒屋さん行ったり。で、「2店舗目でカフェやるんだけど、一緒にやらない?」って話をくれて、それが26,7ぐらいの時なんだけど……ちょうどその時ニートみたいになってて。

 

オ:!?(笑)

 

マ:超ヤバかった。コンビニのバイトをたまにするぐらいで、人生に迷ってた時期で。どうしようもない人。「もうオレこの先どうしよう?」ってなってて。その時に話をくれて。それがなかったら腐っていっていたかもしれない(笑)。

 

オ:原稿のチェックは最終的にお願いしますけど、このへん包み隠さず書いて大丈夫ですか(笑)?

 

マ:ハハハ、いいですよ(笑)。でも全然、何かさ、誰にでもそういう時期はあるじゃないですか。落ちてる時期とか。

 

オ:今聴いてる限り、概ね同じですからね、俺。通ってきたレール(笑)。

 

マ:そういうのがあるから、今も仲良くしてるっていうのがあるじゃん、多分(笑)。どっかしらで感じてるわけですよ、喋らなくてもさ。それは多分ね、パッと会った時に分かるものがあるんだよね、きっと。

 

オ:クークーとかちどりで仲良くなる人って、大体そういう人なんですよ。「どこかで何かをどうとも出来なかったことがある人」っていうか。その話、けっこう色んな人とするんですけど。こういう話を他人とこういう風に話せたことあんまりなかったな、みたいなのがあるんですよ。

 

マ:大人になってね、ようやく自分を解放できる場所が出来たみたいなさ。あの頃、そういうこと話せる友達もあんまりいなかったし、情報の集め方も分かんなかったし。

 

オ:Pickyにも愛日燦々にも来てくれた高校の友達がいるんですけど、この前そういう話しましたね。「30近付いて友達が出来てさ、こんな風に他人と関われるんだったら、当時もっと明るかったし人生を肯定できたよね」って。

 

マ:本当にそうだと思う(笑)。当時は自分だけの世界でさ、どうにもならない思いを……。

 

オ:何年かにいっぺん会えるか会えないかのウマが合う友達としか、コアな話が出来ないっていう。

 

マ:そうそうそうそう(笑)。高校の時も、最初は軽音に入ったの。でも(コピーされているのが)ラルクとかGLAYばっかりで、すぐ辞めちゃって。でもその中でもブランキーやったりマッド(・カプセル・マーケッツ)やったりしてる子とかがいて、ちょっと仲良くなったりとか。それとは関係ないんだけど、何か生徒会に入ってたの。先に生徒会に入ってた友達と仲良くなって「お前も来れば」ってなって。そこで知り合った子が今、福岡で「三月の水」っていうお店をやってる子で。一緒にミッシェルのライブとか行ったり、エアジャム行ってたりとかして。それが今、お互いお店やってるっていうね。青春を共にした人が、今こうやってやってるんだ、面白いなって。

 

オ:ちょっと強引にトイロックに繋げるんですが、「コアな話が出来る友達なんて滅多にできない」って話で。自分はインターネットに触れるようになってもオフ会的なものにほとんど出てこなかったんですけど、ネット上で知り合った人と会って話すことをするようになったのって、確実にTwitterと、そこに更にトイロックが合わさってのことなんですよ。トイロックで現行のミュージシャンを数多く知って、それぞれのライブを観に行ったり、感想ツイートしたりしてるうちに、だんだんフォロワーが増えてきたり、その人と顔見知りになって飲みに行ったり。だからトイロックは、けっこう「開眼した」って経験だったんですよね。クークーの二人にインタビューした時もベラベラ喋ったんですけど、当時決まった人のライブしか行ってなくて「今の音楽つまんない」ぐらいのスタンスでいたんですよ。それで初日U-zhaanを観に行った時の対バンが、Water Water Camelceroで、どっちも初めて観てドカーンとやられて。それで「この後もなるべく来よう」と思って、春・冬と2回やったうちの春は5daysでしたけど、最後の2日も何とか観に行って、冬の方は3日間全部行ったわけなんですね。

そもそもクウワはどうして冬のトイロックに出店することになったんですか? タッツさん(仲原達彦。トイロック主催)との接点とかって?

 

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マ:それまで仲原くんと、接点は全然なかった。彼も新しいお店とか、新しいミュージシャンもそうだけど、発掘していくのが上手い人だから、やっぱり。仲原くんから誘ってくれたんだよね。うちでライブもやってる、っていうのを見てくれてたのか。仲間づてに聴いたのか。

 

オ:トイロックの出演ミュージシャンが、その時クウワに出てたっていうのはあるんですか?

 

マ:まあまあ、何組かは。簡単に言うと「界隈」のミュージシャンが出てる、っていうので見つけてくれたのかな、って。

 

オ:いや、あの、今TOTEに載せてる小説でクウワ書いた時に、ちょっと書きましたけど……めちゃめちゃうまかったですよ、あの時のフード。

 

マ:あざす(笑)。

 

オ:未だに、コエド(ビール)の何と何の料理を合わせたって、全部言えますからね。

 

マ:すごい(笑)。いや、もう、こっちは……もうよく分かんないまま終わったから(笑)。

 

オ:(爆笑)

 

マ:あんなイベントも初めてだったし。あんだけの人が来て、しかも3日間ああやってやるって初めてだったから。やりたいって気持ちだけでやってた。(トイロックのスケジュール表を見て)2012年の11~12月だから……。2011年の3月ぐらいには、クウワに王舟とあだち麗三郎が来てライブやってて。その時、ceroの荒内(佑)くんも来てて……。

 

オ:あだカル(あだち麗三郎クワルテッット)で? この(トイロックの)時のあだカルが、確かあだちさん・あらぴー(cero荒内)さん・厚海(義朗)さん・光永(渉)さんなんですよ。

 

マ:あだカルじゃあなかったんだけど、あだち麗三郎と、荒内くんと……。ダメだ、ちょっと調べないと(笑)。

(※マミヤ註:このときのメンバーはあだち麗三郎with 荒内祐(cero)(pf),厚海義朗(ex.GUIRO)(ba),田中佑司(bonobos、world standard)(perc)でした)

あと、倉林(哲也)さんが出た時に(MC)sirafuさんが来てたな。あと麓(健一)さんももう出てたし、森ゆにさんも出てた。あとDJで出てたfolidayは、大学の時からの友達で。

 

オ:この時、誰がかけてたか忘れましたけど、オザケンの『back to back』をかけてる人がいて。踊りながら口パクしてたら、見知らぬお姉さんが「この曲いいよね!」って言ってくれました。

 

マ:すごい(笑)。でも何かトイロックは、みんないい人……。何て言ったらいいんだろう(笑)? お客さんもとにかくみんないい人っていうか、居心地が良かったっていうか。割と同じ人が集まってたっていうのかね? 内輪感が出てもおかしくないじゃん、そういうのって。でも内輪感がない。そういうのが何ていうか、居やすくって。ウォンブ(『月刊ウォンブ!』。2013年の1年間、渋谷WOMBで開催された月例イベント。仲原氏が主催)ぐらいになると、もうちょっと仕事感になってくるというか、空気が出来上がっててくるんだけど。プチロック(日本大学藝術学部の学園祭内で開催されていたイベント。仲原氏が主催)みたいな、学祭の空気感がまだあるというか。

 

オ:月例だったっていうのもあるでしょうしね。ウォンブは。

 

マ:仲原くんとしても、割と手探りだったんだろうなっていうのはある。トイロックぐらいの時期は。

 

オ:まだタッツさんが、Twitterのbioに「無職」って書いてたような時期。

 

マ:(笑)実際まだ仕事としてこういうことをやるって決めてなかったんじゃないかな。でも、素人からやる気だけで出てきた人としては、ものすごいちゃんとしてたから。興行的にうまく行ってたかってのは分からないけど、イベントとして、こうして誰かが語り継いでいこうとするようなイベントを、あの歳でやってるっていうのが、やっぱりすごいなと思って。手探りながらもそういう風にやってきてるっていうのがすごいな、って。……私も手探りなんですけど(笑)。お店でライブやるとかっていうのも、これでいいのかとか思いながらやってきたので。もっと機材とかね、拘るようなこともした方がいいのかとも思うんですけど。手探りで12年。

 

オ:趣味が広がったのもあるし、ceroがどんどんネームバリューを大きくしてったってのもあるんですけど、トイロックはまっすぐ見らんないっていうか、目が眩んじゃうフェスでもあるんですよね。この年(2012年)なんですよ、ceroのセカンドが出るのが。自分が初めて観たこの3月の時にも、『cloud nine』とかやってたので。シラフさんとあだ麗さんは、この時もceroサポートしてたし。

 

マ:この頃は、色んな人を「cero周辺」みたいな感じで捉えてたのはあるかも。

 

オ:トイロックでは特にそういうのがありましたね、「この人はこのバンドにも入ってるんだ」みたいな驚き。主にシラフさんとか光永さんに対して。

 

マ:まずcero、とんちレコード、って感じがあって、それとちょっと別に、七針に出てる人っていうのが関わり合ってるっていうのを知って「めっちゃ面白い」「一つのシーンみたいなものが出来てるんだ」って感じだった。でもこういう括りは、最初何で知ったんだろうな? もう覚えてないなあ。

 

オ:自分は完全にトイロックが入りなので。ceroにしたってトイロックで初めて観たんですけど、2011年の年末に、ニカさん(二階堂和美)の『にじみ』のツアーファイナルを観に行った時に、ファーストのフライヤーをもらったのはよく覚えてます。「カクバリズム 期待の新人!」みたいな宣伝のされ方で。

 

マ:カクバリズム期待の新人みたいに言われるのも、ひとつの衝撃だったな。しかも自分たちだけでCDを完成させてるって感じで、なおかつこのクオリティのが出てくるんだってのが衝撃だった。(ザ・)なつやすみ(バンド)のファーストもそうだし。「四人だけでこれを作ったのか」っていうのが、もうこんな時代になったのか! って感じの衝撃だった。

 

オ:トイロック冬の後にモアレコによく行くようになって、日本の現行の宅録の人を色々聴くわけですけど、ビーサン(北里彰久/Alfred Beach Sandal)のことは最初そういう眼で見てましたね。『DEAD MONTANO』を出す前だったので……。まあ『ONE DAY CALIPSO』はゲストミュージシャン、一楽(誉志幸)さんとかシラフさんとか、色んな人が参加したりしてますけど、「一人でこんな狂った音楽をやってる人がいるんだ」みたいな。宅録の名作って言われるものも、そもそも全然聴いてきてなかったんですけどね。

 

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マ:宅録ってそんな好きじゃなかったんだよね、どこかに限界があるって思ってたんだよね。中村一義みたいになったらすごいけど、結局出来ることって限られちゃうじゃん、みたいなのがあったから。宅録って言葉が劇的に変わって、歴史が開けていったっていうのがあって……。

ああ、俺、あれだ。多分にせんねんもんだいだな。にせんねんもんだいからkitiレーベルを知って、麓さんとかを知ったのが先かもしんない。

 

オ:mmmとか。

 

マ:mmmとか。それが先かもしんない。そこからとんちレコードとかに当たったのかもしんない。学生の時から、にせんねんもんだい観に行ったりしてたから。石橋英子+アチコとかも。ネスト(渋谷O-NEST)に学生の頃とかもよく観に行ってて、円盤ジャンボリーとか。呼び屋の人がいたんだよ、ドットラインサークルのカトマンさんって人で。海外からミュージシャン招聘する時に、にせんねんもんだいが対バンしてたりっていうのがあった。Toeとかのほんっとに一番最初の頃も、ドットラインサークルのイベントで前座に出たりとかしてて。そういうところで知った人たちが、トイロックで知った人たちと繋がっていったのかも。

 

オ:今日、本になった『ウォンブ!』持って来ようと思ったんですけど、片付けやら引っ越しやらのドサクサで家の中で見当たらなくなってしまって。出演者もまとめて来ようと思ったんですけど……。

 

マ:え? サイトとかで、まとめてる所ないの?

 

オ:それがなかったんですよ。

 

マ:ないんだ!

 

オ:トイロックにしてもウォンブにしても、公式のホームページがもうドメイン切れちゃってるので。これ(トイロックの出演者リスト)にしても、トゥギャッターとかCINRAのニュースとか、あと自分の記憶でまとめてて。

 

マ:「何でも調べられる時代になった」って言うけど、闇に埋もれちゃってる情報ってメチャクチャあるから、どうにかしてかないといけないよね。ホントに。

 

オ:この発想もTwitter脳と言えばTwitter脳なんですけど、もっとアーカイブ力と検索性に優れたSNSとかが生まれないと、どんどん情報が埋もれていくんじゃないかと思うんですよね……それはSNSってものじゃないかもしれないですけど。そうしないと、すごく低レベルな言った言わないの水掛け論が生まれていくんだろうなと思うんで。魚拓っていうか、有志のスクショでやるには限度があると思うんで。アーカイブに入った情報の真偽をどう担保するか、っていうのも問題なんですけど。

 

マ:やっぱり自分の年代的に、そういうのは本にしたくなっちゃうんだよね。ネットの情報の真偽の問題もあるし……書籍にしたら正しい情報になるのかってのもあるんだけど。覚悟のレベルも違うじゃん。ヘタなことは書けないじゃん、本にするとなったら。やっぱり文章として紙で残しておくっていうのが大事じゃないかって思っちゃうんだよね。

 

オ:この流れで言うとものすごく告知っぽくなるんですが……ちょうど最近、小説集を刷りまして。

 

マ:おっ。(現物を見て)これはいくらで売るんですか。

 

オ:500円です。

 

マ:安い。

 

オ:めちゃめちゃ赤字が出ます(笑)。まあ、どこの馬の骨とも知れない奴の小説集に、1冊1,000円出さないよな、っていうのがあって。

 

マ:これからね、実績を作っていくわけだからね。

 

オ:そうですね、だから撒く用というか、とにかくまず読んでもらいたいので。覚悟って言葉が出てきましたけど、本当に金もかかれば手間もかかる……(笑)。何冊店置きしてもらえるかも、めちゃめちゃ未知数だし。

 

マ:紙媒体への信頼感って、今の若い人たちからすると、どんな気持ちなんだろうね。「七針系」みたいな言葉もあったけど、元々あの界隈ってボンヤリしてたじゃない。誰がどこまで七針系なのかってけっこうボンヤリしてると思うし、それを整理する人もあんまりいなくて。これ絶対何か文章とかにした方がいいな、ってずっと思ってたの。

 

オ:今までの回ではやってこなかったですけど、ちどりで、従来みたいなやり方でPickyがまた出来たら、トイロック回をやる時は文字起こしをしたいと思ってました。せっかくマミヤさんとやれるんであれば。メンバーがそれぞれの道を歩んでるようなバンドもあるし。ホライズン(山下宅配便)とか。そういうことをちゃんと残しておきたい。

 

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マ:なかったことのようになってしまうからね。どういう風にシーンが形成されてったっていう歴史とかって、日本のヒップホップのそういうのを本とか読んでくとすげー面白いじゃん。何のジャンルでもそうだけど、歴史があって今があって、みたいなのを知れるとすごく楽しいから。

 

オ:例えばECDの曲に触れたのって、高校の時にブッダとか聴いてた頃より、かなり間を置いてのことだったんですよ。で、ストラーダがあるじゃないですか。トイロックでNRQを知って、NRQからストラーダ知ってドラムの久下(惠生)さんのことも知って、さらに後になってECD + イリシットツボイ + 久下惠生の存在を知って。そういう繋がりを知るのって、むちゃくちゃ感動するんですよね。そういう色んなものを跨いだ接続って、本とか記録があればスムーズに、立体的に入ってくる。

 

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