キャベツは至る所に

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スターダストディスクレビュー

goat / Rhythm & Sound

Rhythm & Sound

自分の感覚のチャンネルさえ合えば、概ねのミニマルミュージックは快楽的だが、goatの気持ちよさは深甚である。

ブラックミュージックの匂いがするという形容でも、露悪趣味とかネクラとかの言い換えでもなく、単純に「黒い」。黒色というより、遮蔽空間の暗闇とかのイメージでひたすら深く黒い。楽曲から想起されるものがちっともなくて、こちらの妄想が侵食できないのだ。それほどにドラムとベース、ミュートされたギター、サックスの破裂音のコンビネーションに隙がなく、聴く者を快楽の沼に少しずつ沈めていく。口まで浸かったあたりで、やっと沈んでいることに気付くような緩やかな速度で。

メロディもなければ、AメロBメロみたいなティピカルな展開もない。何と言っても肝はリズムだ。トライバルと言うほど分かりやすくアッパーではないし、エクスペリメンタルと呼べるほど独善的ではない。飛び道具めいていながら実はツボを正確に突いてくる、妙技と言う他ない唯一無二のリズム。

アルコールが身体に回るとき、どこまでの判断がしらふによるもので、どこまでの興奮が酩酊によるものか直感できる瞬間がある。goatを聴いていると時々、頭が完全に冴えたまま酔いで手足は微妙に狂うような感覚に陥る。心理的な要因が酒と化学反応を起こした時特有の、普段と違う傾斜でハイに上がっていくあの感じ。

 

 

NETWORKS / DYNAMIC NATURE

Dynamic Nature

ギター・キーボード・ドラムの3ピースバンドが、人力でとんでもない音数を奏で続けながら音像が爽やかで開放的という、訳の分からないヤツ。#4に『Sizq』というトラックもあるが、最初に聴いた時から水のイメージがすごく強い。音が音に連なって曲をかたちづくっていくという風に聴こえない。弾けた音の粒がより小さな粒へと分解されるその様が、楽曲の図像を描いているような感じ。だから水と言っても包括性の譬えではなく、飛沫とか雫とか、なんかこうスプラッシュな感じの譬えだと思ってください。雨が凹凸のあるものに落ちて不規則に散らばる様とか、波が砕ける様とか。

上のgoat同様、NETWORKSは関西のバンドだ。前に書いたように関西の音楽はフィジカルだと感じているのだが、もとをただせば、初めてNETWORKSの1st『White Sky』を聴いたショックが「フィジカル」という単語をぼくからひねり出した。ぼくはこの音が生で鳴っているところで踊りたいと心から思う。NETWORKSの音楽は観客のダンスを問う。イメージの違いこそ顕著だが、上のgoatもNETWORKSもミニマルミュージックだ。goatを聴いていると、抗しがたい快楽がひとりでに築き上げられる。そしていつの間にか逃れられなくなるのがgoatの魅力の性質だが、一方NETWORKSは、繰り出される音にどれだけ反応できるかで快楽の質が変わってくる。陰陽で言えば間違いなく陽寄りなのだ。陽のエネルギーはこっちから燃やして激しくした方が絶対に楽しい。

しかしgoatもNETWORKSも、ぼくが北海道行ってる間に東京でライブするとか、勘弁してくれないですかね……。

 

 

TOTORRO / HOME ALONE

HOME ALONE

フランスの4ピースインストロックバンド。フランスの音楽とか映画ってほとんど例外なく批評的だったりトリッキーなのに、バカで素直な所はこの上なくバカで素直なところが好きだ。リフやタメツメに頼りきるとインストは本当につまらなくなるけど、TOTORROはなかなかどうしてそういう手抜かりがない。ノイジーになったギターが後ろから立ち上がってくるにしても、ブレイクが入るにしても、アルペジオのパターンが変化するにしても、どこか聴いたことのないアプローチを見せてくる。「どこか」と付けたくなるのが彼らのチャーミングな所だ。めちゃくちゃに斬新なわけではないけど、明らかに平凡ではない。

ボリュームを絞って流せばカフェミュージックになりそうなぐらい耳になじみやすいのだけど、特に#2『Chevalier Bulltoe』なんかは、主張的に流せばそれだけでパーティーが盛り上がりそうなキャッチーさと骨太なかっこよさを具えている。何となく、Toeを好きな人などに薦めてみたい。

 

入江陽 / 仕事

仕事

まずリードトラックである『やけど』のPV(入江陽 - やけど [feat. OMSB (SIMI LAB)] - YouTube)がとんでもない。初めて観たときゾクゾクした。ボーカル、歌詞、バックバンド、サングラス、映像、その全てが密造酒のような不穏さを薫らせている。それは中国の再現体としての中華街の姿をぶれさせ、台湾あたりのネオン街を錯視させてくる。後半に挿まれているOMSBのシックなフロウも、曲の怪異さを助長させている。曲が持つ夜の属性を確かにする、シブいラップ。

夜は魔法の時間だ。フェスの終盤に涙腺が緩むのも、クラブでいつもより度の強い酒を飲んでしまうのも、大体は夜のせいだ。

入江陽の歌は夜の歌だからして魔法めいている。沈静と高揚、愛憎、喜びと失望、光と闇、相反する様々なものの境目をあいまいにする夜の魔力が、彼の歌にも流れている。歌声の聴き味はソフトだからこそ、ファルセットを絞り出す時の攻撃力が際立つ。#2『Lemonade』の背筋を寒くさせるダークさ。#8『JERA』の切々としたうら悲しさ。#9『十回』のコーラスワークと織りなす「逃がしてくれない」感じ。#10『たぶん山梨』の何も考えず揺れさせてくるナンセンス。いずれの魅力も、歌の波打ちによって決定的になっている。特に#6『フリスビー』の、フリーキーな歌詞に似つかわしい節回しと、強弱の付け方が白眉だ。後ろで暴れる大谷能生のサックスもあいまって、音数の少なさからは考えられないほど激しくカオティック。

しかし、このアルバムの雰囲気はどう表現したらいいのか。ジャジーとかヒップホップ的とかサクリと言いたくなるけど、そうした射程の広い形容が届かないように脱臼させられているみたいだ。しかし匂いは濃く纏っている。夜気に溶けてどうしようもなく生き物じみてしまった汗のにおいのような、濃くて温い匂いだ。そう、このアルバムは生き物じみている。人の腕を掴むと毛と皮と肉と骨の感触が同時にして、その感じを説明するのに、硬いとか柔らかいという言葉だけでは何かを取りこぼしてしまう。熱くも冷たくもなく、温かい。曲自体は洒脱なんだけれど、技術偏重っぽい平板な冷たさは無く、煽情的な歌や詞のベタついた暑苦しさも無い。生々しく人肌で、だからこそずっと聴けるアルバム。

 

なお、もうじき入江陽は、これまた魅力的なシンガー・butajiとの共演作『探偵物語』をリリースする。butajiの歌声は、聴く者の心身を音叉のように共振させてくるように心地良く低い。入江陽のボーカルとどう親和するのかと楽しみだったが、予告編を見る限り、そのハーモニーにはまたもやゾクゾクさせられそうだ。

どこの馬の骨ともしれない人物が凡庸な文句を言っても、大した宣伝効果はないことは分かっている。しかし、あなたにもゾクゾクしてもらいたいから、敢えて言う。『探偵物語』、マスト・バイです。

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