キャベツは至る所に

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スピッツ『スピッツ』

 

スピッツ

 

91年発売のファーストアルバム。91年というと、TBSのオールスター感謝祭が始まったりとか、SMAPがデビューしたりとか、同年公開の映画『就職戦線異状なし』で「超売り手市場」「内定者懇親会は温泉バスツアー」とか描かれてたりする、元気な時代である(実際には安定成長期が終わり、採用枠が減り出している時期だが)。

スピッツの原形は「ブルーハーツは衝撃だったが、ブルーハーツのようなことはできなかった」「ドノヴァンとか『ジギー・スターダスト』とかの影響で、アコギに可能性を見いだした」という感じで成り立ったそうだ。

メンバーの写真をジャケットに使わなかったのはイギリスのインディーズレーベル、クリエイション・レコーズの影響らしいが、91年というとマイブラがクリエイションから『ラヴレス』を発表した、いわばシューゲイザーの黄金期。当時クリエイションからレコードを出していたバンドといえば、ちょうど今来日しているスロウダイヴとか、スワーヴドライバー、ライドなど、錚々たる顔ぶれ。

僕たちは、2000年代にポストロックやエモを聴き、そこから上に挙げたようなバンドを聴くことで《シューゲイザー》というコピー/ジャンルへの印象を形作った。恐らくこの印象と、91年当時の洋楽リスナーたちが持っていた印象の間には、大きなギャップがある。僕はソニックユースを(『GOO』とか『ダーティ』だけじゃなく、『バッド・ムーン・ライジング』まで)地元のレンタルで聴くことが出来たし、マイブラを聴く前に、モーサム・トーンベンダーのファーストもdownyのファーストも聴き、それから《シューゲイザー》ということばを知った。

 

(こういう環境の良し悪しを語ることは、本題とは関係しない。インプットされたものの性格の話をしたい)

 

スピッツがこの翌年リリースする『惑星のかけら』ではより顕著だが、この時期のスピッツからは洋楽の匂いがする。メジャーデビューを控えていた彼らがどれだけハングリーに当時の洋楽の流行を追えていたか、僕には正確にイメージできない。しかしデビュー当時、スピッツは一部で「ロック版フリッパーズ・ギター」などと形容されたそうなので、当時のファンの中にも、スピッツから洋楽くささを嗅いでいた人は多くあったのだろう。わざわざ後発のファンが、鳥瞰的に見ようとしなくても。

「詩人のペンとロックのギターを持つバンド」とは、ロッキング・オン(91年4月号)の記事のリードだが、スピッツの魅力を端的に伝える――しかもデビュー当時の記事に付いていながら、今に至るまで通用する――キャッチコピーだ。日本語詞と、バンド自体のクオリティの高さ。95年『ロビンソン』でブレイクしてからの曲しか知らない人も、「うん、そうだね」と首肯する文句だろう。しかしこの《詩人》、この《ギター》が、 エレカシとかブルーハーツ(草野さん曰く「ブルーハーツよりマーシーのソロの方が好き」とのことだが)の影響下から出現してきたことは、ファンの豆知識程度にしか認知されておらず、なおかつこのファーストにはその影響もまた顕著なのだ。

大根仁氏が今も掲載している、ピーズについて2003年に放談したこの記事「30代が聴くロック〜やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ〜」にて、薩本紀之氏が「カステラは、バンド名とビジュアルで「こいつら分かってる」と思ったけど、音はあんまり良くなかった」と語っている。スピッツはまさにカステラとかKUSU KUSUとかと対バンしていたバンドであるが、スピッツのバンド名と当時のビジュアルを見て「好きかも、聴いてみるか」と思った人は、このファーストの内容に裏切られはしないと思う。

 

 

 

1. ニノウデの世界(4分30秒)

セカンドシングル『夏の魔物』のカップリング曲。

イントロのギターのハードロックぶりが印象的。歌が入ると同時に、ギターが今度はキラキラしたアルペジオを奏で、サビではイントロ同様の音色に戻り、Cメロでアコギの音を目立たせてからギターソロへ……という展開は単純と言えば単純だけど、軽快なリズムで何となく寂しい内容をうたう歌詞とあいまって、飽きが来ない。

「二の腕」じゃなく「ニノウデ」なのはどうして、というのは議論のし甲斐があるところだが、やはりフェティシズムの表現だろうか。それも、実際は二の腕に限らず、《部位を愛する》という心持ちの表現。「君のそのニノウデに寂しく意地悪なきのうを見てた」。二の腕のみならず、君のすべての部位を想っているのだ、みたいな。

イントロとアウトロで、ほんのちょっとだけフィードバックノイズというか、ハウリングみたいな音が聴こえる。これは意図的に入れてるんだろうか。

 

2.海とピンク(3分38秒)

「いらないものばっかり 大事なものばっかり 持ち上げてキョロキョロして」の草野マサムネ節っぷり。『ニノウデの世界』に続き、やけっぱちというか躁的なナンバーだが、その中に「がんばって嘘つきで それでいてまじめな告白に」という無垢なイメージをぶち込んでくるあたりがニクい。

全編にわたってスネアドラムの音がほぼ等間隔に配置されていてダンサブルでもあるのだが、この曲でもギターが高低を行ったり来たりするのがうまくメリハリをつけている。特にAメロでぐりぐり低音域で動く感じが、ちょっと変態的で良い。アコギのソロも叙情的で良いのだが、エレキの端的なソロが良い。エレキのソロでこうまで「端的」なのが面白い。

 

3.ビー玉(4分42秒)

ファーストシングル『ヒバリのこころ』のカップリング曲。初めと終わりの「♪ヤンヤンヤン……」が歌詞カードに書かれておらず、サビの「チィパ チィパ チパチパ」が書かれているのは何故なのか。このアルバムの歌は、擬音やスキャットスキャットは厳密には即興のものだけを指すが)に、すごく依拠している。後のスピッツは、ナンセンスな歌にせよ、ことば自体の意味や情感に、もう少し頼っている。『ニノウデの世界』のサビの「タンタンタン」。次の『五千光年の夢』の「♪ランランラン……」。『タンポポ』の「くるくる回るくる回る」の「くる回る」。いずれも歌が弾む上でものすごく重要なファクターになっているパートだ。

「お前の最期を見てやる」という歌い出し然り、「俺は狂っていたのかな」「ずっと深い闇が広がっていくんだよ」然り、判断を失っていらっしゃる方を歌っている感じなのだが、曲調がとんでもなく牧歌的であるために、そういう内容が伝わり辛くなっている所がまた良い。

クレジットを見ると矢代恒彦(KANやCOMPLEXなどのサポートで知られる)がハーモニウムを弾いているとあるのだが、それを知るまで、最後に残る音は草野さんが吹いているハーモニカだと思っていた(単音じゃないのに)。よくよく聴くとハーモニウムは曲の大部分で鳴っているのだが、それなら間奏であんなにハーモニカを立たせるのはどうしてなんだろう? ソロはメンバーで演奏しよう、ということなのだろうか。

 

4.五千光年の夢(2分42秒)

前のめりなドラムがとても気持ちいい。歌詞もそれに乗るように疾走し切ってしまい、(上でも少し触れたが)ボーカルは「♪ランランラン……」と言葉を遣わぬまま締めくくられる。多重録音で「♪ランランラン……」を輪唱っぽくしているところが、ちょっとわざとらしくも幻想的。メロディ自体の綺麗さが気に入られていたのか。

スケールを広げず、もっと狭い領域に閉じていく世界観の歌が他にあるのに、これがアルバムで一番短い曲だというのが興味深い。歌があるところではギターの音が細かく重ねられており、パステルのもやで空間が埋まっているみたいな可愛らしさがあるのだが、歯切れ良くミュートされる「カッ、カッ」というギターが増えてくるのが、それはそれで捻くれていて素敵。

いきなり入ってくる「お弁当持ってくれば良かった」というラインの強力過ぎる無意味さは、このアルバムの中でも白眉だと思うのだが、田中宗一郎が架空インタビューで雑に使っていてむかつく。というかあの企画自体、紙面をねじ切りたくなる感じではある。

詩人・高橋新吉の『5億年のくしゃみ』から着想を得ているらしい。読み次第、自分なりの述懐を付け足したい。

 

5.月に帰る(4分26秒)

この曲の作曲は、ギタリスト・三輪テツヤ(作曲者としての表記は「三輪徹也」)。クライマックスはもろにシューゲイザー。終盤にさしかかるまでギターは前に立っては来ず、むしろ地盤(というか、もはや地面)を作る役割を成しており、コーダに至って、全体を支配する轟音へとジワジワ変じていく。このエントリを読んで初めてこのアルバムを聴いた、というギターロック・ファンがもしいてくれたなら、「なるほど、クリエイション・レコーズね……」と思うのではなかろうか。典型的なギター主導の曲、という感じ。エレキギターの音を全部抜いて別の楽器の音を心臓にしたら、(全く別物の)素晴らしい曲になるだろう、と思う。それだけ曲の素材が良い。抽象的な言い方になってしまったが。

詞と曲を別人が書いているのに、「もうさよならだよ 君のことは忘れない」の音韻とメロディが、出会うべくして出会っていると言えるほどマッチしている、というのが素晴らしい。

ここでも矢代恒彦がサポートとして参加。演奏楽器は「エンソニック」とある。シンセメーカーのことであろうが、特にイントロで印象的な、ヴィオラを爪弾いた音にエフェクトをかけたような、あの音を出しているのか。

 

6.テレビ(4分8秒)

ぼくは初期スピッツ(本作~『惑星のかけら』)をリアルタイムでは聴いていない。二十歳ぐらいの頃、音楽を貪欲に聴き出したあたりで初めて聴いた。そうして本作を聴いた時、一番好きになったのがこの曲。今も一番かと言われると(『死神の岬へ』との二択で)迷うが、スピッツの中でも特別好きな部類には入る。

まず、歌詞が何言ってるか分からないのが良い。スピッツの中でも本当に分からない。分かる必要もないぐらい分からない、という抽象性がとても気持ち良い。

どの楽器も狂騒的というか、ギアのハイ・ローの入れ方がめちゃくちゃで面白い。イントロで、エレキの「ベンベケベケベケ」にアコギが挟まってくる瞬間のコメディックな印象。そして最終的にドラムが急に入ってきた瞬間の、ちょっと笑いそうになってしまう爆発力!

 

7.タンポポ(5分8秒)

この曲と、次の『死神の岬へ』には、歌詞カードに絵が挿し込まれている。パートを繰り返すのを示す記号の役割をしているのだが、例えば『テレビ』にも同じ詞を3回繰り返すくだりがあって、そちらには絵がない。

テンポがスローなためもあり、アルバムで最も長い曲。ここまでの曲が軽快なだけあって、相対的にかなり落ち着いて聴こえる。ベースとドラムの溜めが効いているのも大きいだろう。歌とギターがどんどん雰囲気を更新していくのだが、リズムに乗っているとゆらゆらと停滞して聴くことができ、そのグルーヴがサビの「ずっと見つめていたよ」とか「今も思い出してるよ」というラインと一体になると、この曲をグッと好きになる。

 

8.死神の岬へ(3分44秒)

元々嫌いだったわけではないが、どんどん好きになった曲。これも作曲は草野ではなく三輪。オーガズムを目指しているかのように、バンドがこれだけ一直線に走っていく曲で作詞者と作曲者が別、というところにバンドマジックを夢見てしまう。『月に帰る』のMVPというか中心人物はどう考えても三輪さんだけど、この曲は誰とも言えない。そこが好きだ。最初の「♪いくつもの抜け道を見た」の後のギターフレーズは、作曲者じゃないと思いつかなさそうな、突飛かつウキウキするフレーズであるが……。

三たび矢代恒彦がサポートとして加わっていて、今回の使用楽器はファルフィッサ・オルガン。知らない名前だったので検索をかけてみたが、ピンク・フロイド、初期のレッド・ツェッペリンウッドストックの時のスライが使っていたそうな。ディジュリドゥみたいな「ビュウイ、ギュウイ」という低音はギターだと思っていたが、オルガンの低音で出しているんだろうか……? 何か出せないこともなさそうだが。

これを4,5人でコピーしたら、どういう編成でも、どういうアレンジでも、否応なく楽しくなるんじゃないだろうか? 少し悲しいままに。

 

9.トンビ飛べなかった(3分31秒)

スピッツがパンクを包摂しているバンドだということがよく分かる、ひとつのテーマを直情的に歌い上げる一曲。前曲『死神の岬へ』とはまた違った疾走感がある。ファーストで鳥の名前が二回出てくる(デビューシングル『ヒバリのこころ』と同じ盤に収録されている)のは、よく考えるとちょっと面白い。バンド名、犬なのに。

スピッツの詞の解釈は、この曲の「宇宙のスイカ」とは何かとかを深読みするよりも、むしろ「独りぼっちになった 寂しい夜 大安売り」とか、「正義のしるし踏んづける もういらないや」とか、日本語の意味がやすやすと通じている部分――草野マサムネという超人が、わざわざぼくたちにも分かる言葉で言ってくれている部分――をこそ深読みするべきだと思う。

 

10.夏の魔物(3分10秒)

セカンドシングル。91年のシングルチャートを1位から5位へ辿ると、1位:小田和正『Oh! Yeah! / ラブストーリーは突然に』、2位:CHAGE & ASKA『SAY YES』、3位:KAN『愛は勝つ』、4位:槇原敬之『どんなときも。』、5位:ASKA『はじまりはいつも雨』となる。このうち、『愛は勝つ』を除いた4曲が、5分前後の曲だ(『愛は勝つ』がほぼ4分ジャスト)。

当時のオリコンチャートのトップを狙う戦略と、バンドシーンの売り出し方を比べてもしょうがないかもしれないが、この短くノイローゼチックな曲が2枚目のシングルというのは、結構攻めてると思う。『ニノウデの世界』をA面にする選択肢は、あるにはあったんだろうか? 『ロビンソン』がB面になる予定だったことを考えても、ありえない話ではないだろうけど。

明確なサビがないというか、「夏の魔物に会いたかった」のラインが持つインパクトの強さは間違いなくサビとしてのそれなんだけど、スルスルっと展開してそのラインに行き着くので、どうしても「サビだ」とあまり感じない。よくよく聴いてみるとイントロからそのラインのメロディを弾きまくっているわけだが。この展開のシンプルさ、というか「Aメロ-Bメロ-サビらしくなさ」は、「メリハリがない」みたいに評価する人もいそうだ。

この曲も、詞世界を「こういうドラマのメタファーなのよね」と語ろうとすると、どこかで強引になってつまらなくなってしまうが、最後の「夏の魔物に会いたかった 僕の呪文も効かなかった」には、一編のジュブナイルのような叙情性が確かにあって、何か余計な筋書きを付け足したくなる気持ちに、実際なる。

 

なお、『ヒバリのこころ』『夏の魔物』とも、オリコンのチャート入りを果たしておらず、ザッと検索をかけたぐらいでは売り上げ枚数を調べられなかった。上記した91年のTOP5は全てミリオンセールスを弾き出しているが、同年、井上陽水『少年時代』が40万枚/25位、森口博子『ETERNAL WIND』が27万枚/47位というセールスを記録している。どちらも映画のタイアップを得ていた曲だ。デビュー当時のスピッツが100位にランクインしていないことはさもありなんとも言えるが、陽水・ピロ子どちらの曲も、リメイクやカバーに恵まれた曲。セールスと楽曲の魅力が直結するわけではないことの立証……と言い切るつもりはないが、何というかまあ、そういうことは考えていきたい。

  

11.うめぼし(3分36秒)

後に奥田民生がカバーした一曲。草野の弾き語りを、2バイオリン・2チェロ・ベースクラリネットがサポートするという形式が採られている。オーケストラ・アレンジを採用したコンセプト・ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』の卵とも言える?

バンドサウンドから脱け出したことで、草野マサムネの声はこんなにも人間らしくがさついていたのか、と驚かされるナンバー。誤解しないでほしいが、「汚い」とか「録音が悪い」とかいうことじゃない。生で油絵を見て、絵の具とかカンバスの隆起がよく分かり、素材感をありありと感じる時の感動、みたいな。

 

12.ヒバリのこころ(4分51秒)

記念すべきデビューシングル。実際にはこのアルバムをリリースする前年、新宿LOFT関連のインディーズレーベル・ミストラルから、これをタイトル曲としたミニアルバムを出していて、そこには『トゲトゲの木』『おっぱい』など、後にB面集『花鳥風月』に収録される素晴らしい曲も入っている。

景気が良い、という形容がぴったり来るイントロといい、「目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに」なんてまばゆい詞といい、デビューシングル(アルバムタイトル)になるのも納得という感じだ。全ての楽器、中でもドラムがパワフル、というところもまたキャッチー。

矢代恒彦のハモンドオルガンによるサポートも、うまくバンドサウンドを下支えしている。これでデビューするというだけあって、裏方に回っているという感じの渋い立ち位置。