キャベツは至る所に

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5月13日に良いライブがあるので

5月13日(日)に、北浦和・居酒屋ちどりにてライブがある。自分が企画しておいて何だが、すごく良い組み合わせ、すごく会場に映える人たちのライブである。トンカツこと二宮友和と、夜久一(やくはじめ)の弾き語り2マン。フライヤーを友人知人に渡したり、お付き合いのあるお店に置いてもらったりしている(ありがとうございます)のだが、今更ながら推薦文みたいなものも書いてみようかと思った。

 

二宮さんの名前を、eastern youthの元ベーシストとして覚えている方も、きっと相当数いると思う。ぼくがイースタンでの二宮さんを最後に観たのは、2014年のメテオナイトファイナルのことだった。『夜明けの歌』で泣きそうになった記憶があざやかに残っている。二宮さんの脱退はショックだった。よく言われることだが、3ピースのバンドには独特の雰囲気がある。バンドとしてぎりぎりの人数。そのうちのひとりの脱退は、バンドの姿を決定的に変える。どんなバンドもいつまで存続するか分からないものだが、それでもイースタンはオリジナルの3人で続いていくと、根拠もなく信じていた。というかそういう事が起きることさえ全然考えてなくて、脱退の報を聞いて初めて「ああ、イースタンにもこういうことが起こるんだ」と思ったものだった。それだけ強固な世界観があって、3人の結び付きが感じられて、一個の生命として感じられるバンドだった。だから二宮さんがPANIC SMILEに加入したと分かった時も、「ヤバい」と期待しつつも、すぐには観に行けなかったりした。いたくセンチメンタルだった。

でも、いざ実際にパニスマやuIIInを観てみたら、イースタンとはまた違うバッキバキにカッコいいベースを弾いていて、もう俺の感傷は俺のこの手で殺す、何度でもどんなバンドでも観るし、新編成のイースタンも観るぞと思ったのだった(イースタンは去年のライジングで久々に観た。新ベースの村岡さんはとてもかっこよかった)。

そして先日、小岩bushbashにて、池間由布子さんとの2マンで、トンカツとしての二宮さんを初めて観た。いっぺんに大好きになった。ハイトーンな歌声はどうしても「貫く」ようなかたちを描きがちで、攻撃的に聴こえすぎ、耳が疲れてしまう危険を孕んでいる。そのぶん目に鮮やかで、華があるとも言える。その反対に、低声は地味に聴こえがちである。しかし魅力的な低声は、じんわりと身に染みる。

二宮さんの歌声は低い。そして、肚に来る。内臓と内臓の間に空間なんてないが、まるで腹全体が空洞になっていて、体がびりびり震えるような歌だ。その身体的な感覚があってか、この人の歌をおれは腹で聴いている、という感じ方をする。暖かい水の波を体で受けているようで、とても心地よい。歌詞としてのことばの並びも独特で、単語ひとつひとつはごくありふれたものなのに、それを詞として、一本の線として見るように聴くと、あれっ俺この言葉知ってたっけ、という心地良い異化を感じることが出来る。「言葉を無くすような出来事が やきとりのように連なっても 作業的なテンポでむしゃむしゃ食べる」(『それでも私は日々腹を満たして』)というフレーズを初めて聴いた時は、日本語に敏感でいて良かった、と思った。

ぜひ生で聴いてほしい。普通のつもりで聴いているだけで、簡単に体が音叉になる。

https://www.youtube.com/watch?v=5GNq-FhNplk&pbjreload=10

 

 

夜久さんは、折坂悠太・松井文と共に自主レーベル「のろしレコード」を立ち上げたことでも知られている、居酒屋ちどりの名物出演者の一人である。「やく」名義で、浪速のブルースマン・AZUMIプロデュースのファーストアルバム『やく』を発表している他、AZUMIさんとは共作カセットもリリースしている。最近も四曲入りのカセットやCD-Rを量産しておられて、いくつかは自分の手元にもあるが、ついつい歌いたくなるような素晴らしい新曲が満載で、早くアルバムとして皆に聴いてほしい。

笠原和夫の「シナリオ骨法十箇条」の一つに「オリン」というのがある。ザックリ言うと、物語では泣かせ所が肝要だという話。涙を誘うシーンにはバイオリンを使った音楽が付き物、というのが「オリン」の所以で、感動的な演出やなんかを「オリンをこする」と言うらしい。

夜久さんのMCは朴訥としていたり、浮世離れしていたり、しかし基本的にめちゃくちゃ人間くさくて、いつもあったかい笑いが出てくるのだが、歌声は泣ける。二宮さんの歌声について、腹が震えるようで心地良いと書いたが、夜久さんの歌について言うと、いつも歌そのものの中に震えが潜んでいる、と言える。バイオリニスト(そしてギタリスト)が押さえた弦を震わせるような、あの精緻で細やかな震えをひとの心に起こすものが、歌の中に込められている。それはきれいな哀しみを催して、泣ける。

歌声のすばらしさ、ギターの冴えでも感動しているのだが、それらと関連する詞にも、そうした力がある。例えば『ジプシーソング』の最後に繰り返される「バイバイ」、『まぼろし』の夢と現の境界があいまいな描写、『王の涙』で歌い上げられる「私は王になる」というフレーズ。どれもため息が漏れるほど美しい。ひとのロマンティシズムを喚起するのに、引用とか修飾に頼るのが常道と言えば常道だが、夜久さんがバイオリン音楽のようにひとを泣かせている時には、そういうものが使われている気はしない。それがゆえの感動がある。普通の表現者が使っている、というか使わざるを得ない回路を省略できているから、そのぶんエネルギーをムダにせずに、歌が端的にひとに届いているのだと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=4iEAwcpcxQE

 

まだ予約できるみたいなので、13日の夜おヒマな方は、お店の公式ホームページまたは公式ツイッターへゴウ。19時スタートであります。