キャベツは至る所に

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優しさと速さ

ウイルス感染を防ぐための措置だというのは分かるが、ワイドショーやバラエティのみならず、テレビドラマなどにおいても「キャストを別撮りして、あたかも登場人物たちがビデオ通話をしているように編集する」という演出が既に為され、放映されていることにいまだに驚く。拙速だと言いたいわけではないし、家事をしながらの流し見でしか観ていないので、この番組の演出は成功していたなどの例は挙げられない。ただ、その速さに驚いている。物理的な制限をクリアしながら映像としての体裁を保つには、合理的な手段での制作だ。なぜここまで驚いているのかと言えば、世情が映像演出に導入される、ひとえにその速さによるのだろう。

自然災害や凶悪事件や事故を消化したフィクションが現れるまでには、ある程度の時間が必要とされてきた。言葉にすると当たり前のことだが、ある衝撃が作家のなかで作品として変質するまでには時間がかかるし、災害・事件・事故そのものの音ではなくその音のこだまや反響を聴いて、はじめて創意を得るということもある。

 

制限や規制をクリアする意図や工夫が、かえって美的なものを生むことも当然ある。1934年、ヘイズ・コードの規定により、当時のアメリカ映画は脚本上・演出上で多くの制限を設けられた。68年の撤廃に至るまで、ヘイズ・コードの強制力は常に強かったわけではない。20年代~30年代のような好況~恐慌の時代や、規制が形骸化し出す50年代以降はそれほど強く通用しておらず、30年代後半~40年代ごろが制限のもっとも厳しい時期であると言われている。

エルンスト・ルビッチ(1892~1947。22年にドイツから渡米、36年にアメリカでの市民権を獲得)などは、まさにヘイズ・コードの影響下で映画人としての半生を送った映画作家だ。渡米以前から発揮されていた個性ではあるが、彼の監督作における見事な会話劇は、暴力・犯罪・性描写を禁ずるヘイズ・コード下でも輝きを放った。その細密さはチャップリンワイルダーが称賛したことでも知られている。彼の後期作品は映像の繊細さや名演もさることながら、細緻な会話劇、そしてあけすけなセックス描写を挿まない(というか禁じられているがゆえに挿めない)がためのある意味では潔癖な描写によって傑作たり得ている。43年の『天国は待ってくれる』などは、自分が観てきた中で五指に数える作品だ(当時はサイレントからトーキーへの移行期であり、視覚的なものよりも物語を重視し出す気運があった、ということを蓮實重彦などの諸氏が指摘しているが、ここでの言及は控える)。

ぼくは『天国は待ってくれる』や『小間使』を半世紀以上の隔たりをもって、なおかつ批評を知った上で観たから、ルビッチのそうした技術、当時における特異性を実感することが出来た。今、自分も感染に怯えながら、誰かとビデオ通話をして話したり酒を飲んだりしている。そんな私的な体感が、メディア上の映像作品で採用されている演出と基盤を同じくすることには、やはり驚かざるを得ない。いや、もっと的確に言うとこういう表現になる。

自分の今の生活とフィクションがこんなに迅速に結び付くことは、これほど違和感を生むのか。流行やトレンドではなく、強制力を共有することは、これほど息苦しいのか。

繰り返すが、そうしたドラマの演出方法は物理的な課題をクリアするために採られた致し方のない方法だし、真摯な鑑賞をしていない以上、審美的な物言いをする資格はぼくにはない。それでも正直なところ、「みんな」がそうした原理原則のもと生きなければならないことを思い知らされるようで、観る気そのものがなかなか起きない。テレビドラマだけではなく、ミュージックビデオについてもそうだし、リモートでの合唱や合奏にも、今は食指が伸びない。大好きな創作家のそうした作品を、いつかしっかりと観たいとは思っているのだが。

 

 

 

速さと優しさの間に、関係はあるだろうか。

この前、自転車に乗っていて、少年ふたりとリードに繋がれた犬一匹を後ろから追い越した。犬はふたりに寄り添って歩くのではなく、気になるものを見つけてはそちらへ寄っていく風だったので、進路を塞がれるかもしれないと危ぶんでいた。実際に、犬はぼくの前に出ようとした。少年たちはその勢いにすぐさま反応して、駆け出した更にその先へと犬を引き、道路の脇へ寄った。結果ぼくの進路は開け、ぼくも速度を上げて彼らを追い越した。

出勤のために急いでいたのと、ある程度の距離をこいで疲れていたせいもあるが、少年たちの反応の速さを、あれはぼくへの配慮だったのかと気付くのに時間がかかった。彼らはぼくの方を見遣ったとは思うが、咄嗟のことだったので、彼らがどの瞬間にどれだけ明確な視線をこちらに送ってきたか、あの瞬間も今も定かな印象が残っていない。ぼくに気付いて犬をいざなったか、犬の動きから後方を警戒してぼくに気付いたか、今もってよく分からない。

彼らからすぐに距離を離そうとしたのは、犬を轢く危険を犯さないように、という呼応ではあった。ただ彼らの敏速な反応に対して、もっと明確に感謝を示してもよかったと、追い抜いて少し経ってから考えた。ぼくの考えのこの遅さは「優しくなさ」を証すると思った。

速さは訓練からなる。ゲームを遊んでいても、仕事をしていても、楽器を演奏していても感じることだ。誰かの苦しみのディテールや構造を学ぶことも、その誰かへの優しさを実現する。その優しさの発露の、速さも慎重さも実現する。そして、速くなければ成り立たない優しさ、慎重でなければ成り立たない優しさがある。誰かがコップをテーブルから落とした時、床に叩きつけられる前にコップを掴めたかそうでないかで変わるものは大きいし、 今すぐ卵を必要な人がいても割るほど急いだら意味がない。局所的にでも、速さと優しさがイコールで結ばれることがあるのなら、優しさは訓練によって作られると言うこともできる。

 

出来る限り人に優しくありたい。自分が世界に益するのに適した手段だと思うからだ。ただ、優しくするという動作の絶対的な定義が、ずっと分からないでいる。

腐るほど持っているものを、欲しがっている誰かに分け与えることは優しいことだろうか? 自分の目の前にたまたま何かのスイッチがあって、それを指先ひとつで押すだけで誰かが助かる。助かった誰かから感謝はされるかもしれないが、ただスイッチを押しただけのその行為は、優しさによる行ないだと呼べるだろうか? 詭弁の域に差し掛かっている問いだとは思うが、たやすさと優しさの間には、人間が見過ごしたり、あるいは見過ごそうと努めていたりするものがないか?

誰かから「優しい」と言われると、否定したくなることの方が多い。そもそも誰かが誰かに「(あなたは)優しい」と言う時、その言葉の周りでは必ず何らかの損益が生じている――そこで被られているマイナスの全てを「損」とは言いたくないが。「優しい」という賛辞を向けられる時、人は多かれ少なかれ居心地が悪いものだ。その賛辞は、正当な報酬の代わりに放られることもあるし、渡すべきより少なくしか渡せなかったと歯噛みしている人を慰めようと用いられることもある。

ぼくの性格が悪いだけかもしれないが、誰かに対するぼくの「優しくした」という記憶は、「苦労した」とか「何かを費やした」「気持ちを押し殺した」みたいな実感を伴う。何かを犠牲にすることは優しさに繋がりやすく、だからこそ、近しい人との関係はこじれやすい。したくもないことを誰かのためにすること、その意図が裏切られたり蔑ろにされたりすること。関係の破綻を爆発だとするなら、親密さは炸薬そのものだ。自分が本当に優しいかどうかは、「優しくした」という意識を伴わなかった行為の中に、誰かが「優しい」と感じてくれたものがどれだけあったかにかかっているのだと思う。無意識の行ないの中に自分の理想があることは恐い。

 

蛇足になるのを承知で書くが、自分のことを心から「優しい」などとは評価できないのに、他人に向けて「この人のように優しくありたい」と思うことがある。近しい人間が思春期に自死したために、ぼくにはずっと、自死が選択肢の一つとしてあり続けている。近しい人に優しさを見いだしていると、例えぼくがどのように自死したとしても、この人は怒ったり、悼んだり、悲しんだりしてくれるだろう、そんなことはさせたくないと思うに至る(十代の頃は、そうして死んだ自分の葬式に来てくれる人の顔を思い浮かべてみたりしたものだが)。

こうして誰かの優しさを、屋上の防護柵のように使いたくもない。