キャベツは至る所に

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なぜか関西-4

 ホテルで長く過ごしているうちに、会話の節々でつい、ホテルを指して「うち(家)」と言ってしまうようになった。まあこれは習慣の積み重ねによる素朴な変化だと思ったが、ルームキーのインロックをして初めて、自分の感覚がホテルを家と捉え始めていることに気付いた。

 というのも、コロナ対策として消毒を行なうため、ホテルでは2週間ごとに部屋換えがある。つい先日も最後の部屋換えがあったばかりだ(どうやら10月いっぱいで帰れるらしい)。ホテルでの生活が始まっておよそ1か月強の間使っていたそれぞれの部屋では、ルームキーを入れるスロットが(部屋に入った視点からすると)ずっと右側にあった。数回目に入った部屋で初めて、スロットが逆側に来た。次にその部屋から出たその時、早速インロックした。部屋を出て行く時に左側のスロットからカードを抜き取る、その動作が身に付き過ぎて、逆側のスロットを注視する意識が全くなかったのだ。

 「家という感覚」は、こういう単純な左右の感覚とか距離感とかによって育まれるのだと思った。ベッドから出てトイレのドアを開ける、それまでの足の運びだの腰のひねりだの腕の伸びだの、その淀みのなさ、その時の不安のなさにも、「家」としての体感を感じた。ずっと実家で暮らしてきた。四半世紀は同じ家に住んでいる。遠くないうちに引っ越すことが予定されているのだが、新居でもそうした順化が待っているのだろう。

 

 ところで、かつて夜勤をしていた者として、モーニングメニューを食べて退店する時にお店の人から言われる「行ってらっしゃいませ」の飲み込みづらさをなかなか忘れられない。あれを言われるたび、「いえ、これから家に帰ります」という応答がぶわっと胸にふくらむ(別に声に出したいわけではないのだが)。

 破格の連泊をしているために、腫物に触るような、と言うとホテルの方に悪いが、スタッフの人たちから気を遣われている気がする。その分、直接の接客を旨としない清掃スタッフの人たちとかが、単に「客」として接してくれるのが楽だ。先日、部屋換えに際してフロントに元の部屋のキーを返しに行き、「お戻りは何時ごろでしょうか」などと丁重に訊かれ、ゲーセン行ったりリハスタでギター弾いたり喫茶店で本読んだり昼メシ食ったりして帰ってくるだけなんで2時ぐらいでしょうかの「2時ぐらいでしょうか」だけ言って、「かしこまりました、行ってらっしゃいませ」と送り出された。そのまま外へ出て行ったら、出入り口で清掃の人から「ありがとうございました」と言われた。フロントで「帰りを待っている」と言われたばかりなのに、出入り口で早速「さよなら」を言われる、その食い違いが心地よかった。これが心地よかったのは、上記のような「家という感覚」が錯覚に過ぎないことを知らしめる出来事だった、から、かもしれない。家族から「行ってらっしゃい」と「元気でな」を間違えられることなんかは、あまりない。

 

 もう4か月も前の話になるから、自分でも細部を忘れそうなので記しておく。初めに使った南向きの部屋から、遅くまでエレベーターが動いているビルが見えた。ガラス張りになっているので、エレベーターの機内から外へと漏れている光が見え、その上下動が見て取れた。自動運転のそれではない不規則さで、エレベーターは頻繁に動いた。外観だけ見る限り、エレベーターは4基あり、そのうちの3基だけが稼働しているようだった。入れ替わりなく決まった1基だけが動かないようになっていたので、節電のためだとか、貨物用のものが停止するとか、そういうルールがあったのかもしれない。

 その光を見るのが好きだった。関東から来た者としては、梅田~北新地~堂島という繁華街と歓楽街とオフィス街が何の気なしに歩いている間に入れ替わる土地の感じになかなか楽しく混乱していて、仕事を終えて夜部屋に戻った時、遠くのビルで光点が上下するのを見ていると、何となく気分が落ち着いた。船乗りが星を見るようなものだったのだろう、と言うと気障だが、多分、実際そうだった。馴染みのない街で働き始めて、毎晩必ずそこで光るものを見るのは安心できた。また、少し遠いのが良かった。目には見えるけれど関わりのない所で人が働いている。それだけを分かる。それが良かった。

 別に知ったからどうということもないと思うが、そのビルにはどんな企業が入っているか、ついに見に行っていない。そのビルが窓から見える部屋は、初めのその部屋から移ったあと割り当てられなかった。冒頭に書いたように、部屋換えはもうない。ぼくが大阪を離れようが、あのビルが解体されようが、もうあの光は消えも止まりもしないのだ。ぼくの瞼の裏では。勝手なものだと自分で思う。