キャベツは至る所に

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『補色の花』

 君は僕の家まで駆けてきた。そして、前触れなく玄関を開けた僕を見て、驚きながら笑った。待ち合わせをした場所で、相手から驚かれたことはない。来ると分かっているものには驚けない。君は約束がどんなものだか分かっているから驚いた。

 一瞬、体の内側いっぱいに羽が舞ったような焦りが君を充たして、僕にもそれが転写された。君はことばを口にすることをためらって、視線を僕に残しながら、僕の家に背中を向けた。君にとって、もう僕の家は目的地ではなく、僕にとってもこの家は出発点でしかなかった。

 冬の朝の空気の中を走って、君の頬には、果物のように痛ましい紅が差している。君が歩く方に僕も歩いていく。

 歩けば、風は君を刺さず、君を撫でた。君に目当ての場所はなかった。君と僕が生まれ育ってきたこの町並み、十年の時間ずっと呼吸してきたこの地域に、真新しい所などもうなかったし、不可解なものにも既にいくらか手垢を付けていた。この町には適度な場所と不充分な場所しかなく、聖域も死地もなかった。

 君の足は、土が堆く盛られた広い空地に向いた。背の伸びた期待の苗が、突然枯れた。ここは何人もの友達と、何通りものグループで、何日にも分けて足跡をつけた、面白さを舐めつくした場所だった。君と二人遊ぶのが初めてというこの日に、一番に踏み入るべき場所ではない。

 君は一つの場所に辿り着いたことによる喜びと落胆とを感じ、僕の反応をうかがおうと振り向いた。君の喜びも落胆も、僕同様の免疫のために著しく鈍麻されていた。君は僕の表情を一瞥しただけで、同じ抗体機能の働きを察し、納得ずくの微笑みを作った。君は盛られた土の頂上を目指して、ゆっくりと歩みを進めた。身長の倍あるかないかの小さい山だ。君の足取りには目的をただ素早く果たすことへの目的意識がない。思慮も意味もない、ただ意思と神経と身体とが最も単純な回路でつながっているあの瞬間の反射的な快楽とは、無縁の運動を君はする。僕は君に追いつこうという目的のために、斜面を駆け上がった。

 君は遠くを指差した。

「あれが、家。あの赤い屋根の」

 君が指差した方角に、赤と呼べる色の屋根は一つしかなかったので、僕には君の家の位置が確かに分かった。この時初めて、僕たちはそれぞれの家の位置を把握した。

 家が人を守るものである以上、例えどんな相手に対してでも自分の家の在り処を明かすことは、自分が無防備に過ごしている場所を教えることになる。僕に君を害するつもりはない。しかし君は、僕が防御を解く場所を、一方的に知っていた。君にだって害意はなく、級友に害意を向けることの必然性すら、君の視野にはまったく存していなかったが、君は自分の家の場所を教えていないことに明らかな不公平を感じていた。

 僕が君の家の場所を強く理解すると、君は安心して山から降りた。もうこの空地は用済みだった。

 学校も冬休みを迎えもうすぐ年も明けるという今、親の郷里に帰っている者も多いからか、単にまだ朝早いからか、他の子供とは出くわさなかった。大人の目はなんでもないが、別の集団の子供の目は鏡のように目障りだ。

 僕と君は、ごく些細なきっかけでグループの境目を跨いだばかりだった。僕たちのことをよく知る者に今出くわせば、好奇の目で見られることは間違いない。君は自由を感じて歩いた。僕も自由を感じて歩いた。

 君は道を外れて、冬枯れのすすき野原を歩き始めた。遮るもののない空間に吹く風は冷たい。君は乾いた土を蹴った。しばらく雨が降っていないので、白茶けた細かな粒が広く舞い、緩んだ風に柔らかく散っていった。僕が真似ると、君はもう一度、先ほどよりも弱く土を蹴った。同じくらいの窪みが二つ、それより小さな窪みが一つ、見つけづらい星座のように並んだ。君は思った通りの美観を作る三点が作れたことに満足して、また歩き始める。移動のためではなく、この空間を遊覧するべく。僕は君の軌跡を辿る。

 君は風の音に遮られた静寂を見る。十二月三十一日が一月一日になる瞬間、快哉が上がることや鐘が鳴らされることはあっても、動物や草木がそれに付き合うわけではないし、時間を駆動させているエンジンがすげ替わったり、世界が一瞬で脱皮するわけではない。それでも年が明けようとする時期には、何かが終わっていく気配が漂う。生き物が死んでいく時、呼吸と脈が細くなっていくのと同じように、三百六十日生きてきた年が死んでいく静けさを君は見ている。

 原っぱの向こうに、いずれ高速道路への分岐にぶつかるバイパスが走っている。風に消えてしまって、車の音は聞こえない。君は針のような細さにしか見えない、バイパスに並ぶ電灯を見遣った。

「車でああいう道を走ると」

 君は僕の顔を見て話し始めた。言葉を発することではなく、意味を伝えることを意識していた。

「窓の外を、灯りが流れていくよね」

 その光景が好きなのだとは、君は言わなかった。僕が、綺麗だよね、と答えると、君は頷いた。そして君はバイパスの方へ歩き出した。

 たくさんの車が、君や僕のために走っているのではないのだと見せつけてくるかのように、バイパスを走り過ぎていった。車道に沿う歩道を歩きながら、君は雨風に晒された雑誌やペットボトルを蹴った。僕は君が蹴ったものを蹴った。どちらが始めたということが判然としないまま、缶を順番に蹴りながら進む遊びが始まった。この遊びは、僕たちの家の方へと向かう道に差し掛かるまで続いたが、君の蹴った缶が蓋の割れた排水溝へと入り込んで終わりを迎えた。さして面白いと思うでもなく続いた遊びだったが、君は申し訳ないと思いながら僕を見た。君が予想した通り、僕がその表情を笑い飛ばしたので、君もそっくり同じ笑顔になった。

 雑木林は寒さから長居する気が起きなかったが、君は歩いていける目ぼしい遊び場を巡り、僕はそれに付いていった。大した会話はなく、ルールの考えられた遊びに興じることもなかった。ただ君は、僕もよく知っている場所を改めて僕に見せた。自分が遊んでいる様のスライドと、僕が遊んでいる様のスライドをうまく重ねて、二人が一緒に遊んでいる画を作るように。

 腹が空いて、家に帰ることにした。先に僕の家に着いた。

「この後、親と買い物に行かなくちゃいけないんだ」

 僕も部屋の掃除を言いつけられていて、午前も午後も遊び歩くことが許されていない。それを告げると、君は残念がりながら笑った。

「またね」

 車窓から見る灯りの美しさを語らなかったように、君はまた遊ぼうと言わず、次の約束に触れようとしなかった。しかし、今朝会った時に驚いたような、果たされるその時まで約束は破られる恐れがある、という思いからではない。君はもう、二人が約束を交わすための場所を見つけたと確信していた。友達になるのに手形は要らないが、相手を祀る祭壇を見つけられなければ、関係は絆にならないのだと、君も僕も分かりはじめていた。

 同じ言葉を返して家に入り、君が視界からいなくなった。君の期待に応えていると感じながら、少しだけ寂しそうな表情を作った。

スピッツ『スピッツ』

 

スピッツ

 

91年発売のファーストアルバム。91年というと、TBSのオールスター感謝祭が始まったりとか、SMAPがデビューしたりとか、同年公開の映画『就職戦線異状なし』で「超売り手市場」「内定者懇親会は温泉バスツアー」とか描かれてたりする、元気な時代である(実際には安定成長期が終わり、採用枠が減り出している時期だが)。

スピッツの原形は「ブルーハーツは衝撃だったが、ブルーハーツのようなことはできなかった」「ドノヴァンとか『ジギー・スターダスト』とかの影響で、アコギに可能性を見いだした」という感じで成り立ったそうだ。

メンバーの写真をジャケットに使わなかったのはイギリスのインディーズレーベル、クリエイション・レコーズの影響らしいが、91年というとマイブラがクリエイションから『ラヴレス』を発表した、いわばシューゲイザーの黄金期。当時クリエイションからレコードを出していたバンドといえば、ちょうど今来日しているスロウダイヴとか、スワーヴドライバー、ライドなど、錚々たる顔ぶれ。

僕たちは、2000年代にポストロックやエモを聴き、そこから上に挙げたようなバンドを聴くことで《シューゲイザー》というコピー/ジャンルへの印象を形作った。恐らくこの印象と、91年当時の洋楽リスナーたちが持っていた印象の間には、大きなギャップがある。僕はソニックユースを(『GOO』とか『ダーティ』だけじゃなく、『バッド・ムーン・ライジング』まで)地元のレンタルで聴くことが出来たし、マイブラを聴く前に、モーサム・トーンベンダーのファーストもdownyのファーストも聴き、それから《シューゲイザー》ということばを知った。

 

(こういう環境の良し悪しを語ることは、本題とは関係しない。インプットされたものの性格の話をしたい)

 

スピッツがこの翌年リリースする『惑星のかけら』ではより顕著だが、この時期のスピッツからは洋楽の匂いがする。メジャーデビューを控えていた彼らがどれだけハングリーに当時の洋楽の流行を追えていたか、僕には正確にイメージできない。しかしデビュー当時、スピッツは一部で「ロック版フリッパーズ・ギター」などと形容されたそうなので、当時のファンの中にも、スピッツから洋楽くささを嗅いでいた人は多くあったのだろう。わざわざ後発のファンが、鳥瞰的に見ようとしなくても。

「詩人のペンとロックのギターを持つバンド」とは、ロッキング・オン(91年4月号)の記事のリードだが、スピッツの魅力を端的に伝える――しかもデビュー当時の記事に付いていながら、今に至るまで通用する――キャッチコピーだ。日本語詞と、バンド自体のクオリティの高さ。95年『ロビンソン』でブレイクしてからの曲しか知らない人も、「うん、そうだね」と首肯する文句だろう。しかしこの《詩人》、この《ギター》が、 エレカシとかブルーハーツ(草野さん曰く「ブルーハーツよりマーシーのソロの方が好き」とのことだが)の影響下から出現してきたことは、ファンの豆知識程度にしか認知されておらず、なおかつこのファーストにはその影響もまた顕著なのだ。

大根仁氏が今も掲載している、ピーズについて2003年に放談したこの記事「30代が聴くロック〜やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ〜」にて、薩本紀之氏が「カステラは、バンド名とビジュアルで「こいつら分かってる」と思ったけど、音はあんまり良くなかった」と語っている。スピッツはまさにカステラとかKUSU KUSUとかと対バンしていたバンドであるが、スピッツのバンド名と当時のビジュアルを見て「好きかも、聴いてみるか」と思った人は、このファーストの内容に裏切られはしないと思う。

 

 

 

1. ニノウデの世界(4分30秒)

セカンドシングル『夏の魔物』のカップリング曲。

イントロのギターのハードロックぶりが印象的。歌が入ると同時に、ギターが今度はキラキラしたアルペジオを奏で、サビではイントロ同様の音色に戻り、Cメロでアコギの音を目立たせてからギターソロへ……という展開は単純と言えば単純だけど、軽快なリズムで何となく寂しい内容をうたう歌詞とあいまって、飽きが来ない。

「二の腕」じゃなく「ニノウデ」なのはどうして、というのは議論のし甲斐があるところだが、やはりフェティシズムの表現だろうか。それも、実際は二の腕に限らず、《部位を愛する》という心持ちの表現。「君のそのニノウデに寂しく意地悪なきのうを見てた」。二の腕のみならず、君のすべての部位を想っているのだ、みたいな。

イントロとアウトロで、ほんのちょっとだけフィードバックノイズというか、ハウリングみたいな音が聴こえる。これは意図的に入れてるんだろうか。

 

2.海とピンク(3分38秒)

「いらないものばっかり 大事なものばっかり 持ち上げてキョロキョロして」の草野マサムネ節っぷり。『ニノウデの世界』に続き、やけっぱちというか躁的なナンバーだが、その中に「がんばって嘘つきで それでいてまじめな告白に」という無垢なイメージをぶち込んでくるあたりがニクい。

全編にわたってスネアドラムの音がほぼ等間隔に配置されていてダンサブルでもあるのだが、この曲でもギターが高低を行ったり来たりするのがうまくメリハリをつけている。特にAメロでぐりぐり低音域で動く感じが、ちょっと変態的で良い。アコギのソロも叙情的で良いのだが、エレキの端的なソロが良い。エレキのソロでこうまで「端的」なのが面白い。

 

3.ビー玉(4分42秒)

ファーストシングル『ヒバリのこころ』のカップリング曲。初めと終わりの「♪ヤンヤンヤン……」が歌詞カードに書かれておらず、サビの「チィパ チィパ チパチパ」が書かれているのは何故なのか。このアルバムの歌は、擬音やスキャットスキャットは厳密には即興のものだけを指すが)に、すごく依拠している。後のスピッツは、ナンセンスな歌にせよ、ことば自体の意味や情感に、もう少し頼っている。『ニノウデの世界』のサビの「タンタンタン」。次の『五千光年の夢』の「♪ランランラン……」。『タンポポ』の「くるくる回るくる回る」の「くる回る」。いずれも歌が弾む上でものすごく重要なファクターになっているパートだ。

「お前の最期を見てやる」という歌い出し然り、「俺は狂っていたのかな」「ずっと深い闇が広がっていくんだよ」然り、判断を失っていらっしゃる方を歌っている感じなのだが、曲調がとんでもなく牧歌的であるために、そういう内容が伝わり辛くなっている所がまた良い。

クレジットを見ると矢代恒彦(KANやCOMPLEXなどのサポートで知られる)がハーモニウムを弾いているとあるのだが、それを知るまで、最後に残る音は草野さんが吹いているハーモニカだと思っていた(単音じゃないのに)。よくよく聴くとハーモニウムは曲の大部分で鳴っているのだが、それなら間奏であんなにハーモニカを立たせるのはどうしてなんだろう? ソロはメンバーで演奏しよう、ということなのだろうか。

 

4.五千光年の夢(2分42秒)

前のめりなドラムがとても気持ちいい。歌詞もそれに乗るように疾走し切ってしまい、(上でも少し触れたが)ボーカルは「♪ランランラン……」と言葉を遣わぬまま締めくくられる。多重録音で「♪ランランラン……」を輪唱っぽくしているところが、ちょっとわざとらしくも幻想的。メロディ自体の綺麗さが気に入られていたのか。

スケールを広げず、もっと狭い領域に閉じていく世界観の歌が他にあるのに、これがアルバムで一番短い曲だというのが興味深い。歌があるところではギターの音が細かく重ねられており、パステルのもやで空間が埋まっているみたいな可愛らしさがあるのだが、歯切れ良くミュートされる「カッ、カッ」というギターが増えてくるのが、それはそれで捻くれていて素敵。

いきなり入ってくる「お弁当持ってくれば良かった」というラインの強力過ぎる無意味さは、このアルバムの中でも白眉だと思うのだが、田中宗一郎が架空インタビューで雑に使っていてむかつく。というかあの企画自体、紙面をねじ切りたくなる感じではある。

詩人・高橋新吉の『5億年のくしゃみ』から着想を得ているらしい。読み次第、自分なりの述懐を付け足したい。

 

5.月に帰る(4分26秒)

この曲の作曲は、ギタリスト・三輪テツヤ(作曲者としての表記は「三輪徹也」)。クライマックスはもろにシューゲイザー。終盤にさしかかるまでギターは前に立っては来ず、むしろ地盤(というか、もはや地面)を作る役割を成しており、コーダに至って、全体を支配する轟音へとジワジワ変じていく。このエントリを読んで初めてこのアルバムを聴いた、というギターロック・ファンがもしいてくれたなら、「なるほど、クリエイション・レコーズね……」と思うのではなかろうか。典型的なギター主導の曲、という感じ。エレキギターの音を全部抜いて別の楽器の音を心臓にしたら、(全く別物の)素晴らしい曲になるだろう、と思う。それだけ曲の素材が良い。抽象的な言い方になってしまったが。

詞と曲を別人が書いているのに、「もうさよならだよ 君のことは忘れない」の音韻とメロディが、出会うべくして出会っていると言えるほどマッチしている、というのが素晴らしい。

ここでも矢代恒彦がサポートとして参加。演奏楽器は「エンソニック」とある。シンセメーカーのことであろうが、特にイントロで印象的な、ヴィオラを爪弾いた音にエフェクトをかけたような、あの音を出しているのか。

 

6.テレビ(4分8秒)

ぼくは初期スピッツ(本作~『惑星のかけら』)をリアルタイムでは聴いていない。二十歳ぐらいの頃、音楽を貪欲に聴き出したあたりで初めて聴いた。そうして本作を聴いた時、一番好きになったのがこの曲。今も一番かと言われると(『死神の岬へ』との二択で)迷うが、スピッツの中でも特別好きな部類には入る。

まず、歌詞が何言ってるか分からないのが良い。スピッツの中でも本当に分からない。分かる必要もないぐらい分からない、という抽象性がとても気持ち良い。

どの楽器も狂騒的というか、ギアのハイ・ローの入れ方がめちゃくちゃで面白い。イントロで、エレキの「ベンベケベケベケ」にアコギが挟まってくる瞬間のコメディックな印象。そして最終的にドラムが急に入ってきた瞬間の、ちょっと笑いそうになってしまう爆発力!

 

7.タンポポ(5分8秒)

この曲と、次の『死神の岬へ』には、歌詞カードに絵が挿し込まれている。パートを繰り返すのを示す記号の役割をしているのだが、例えば『テレビ』にも同じ詞を3回繰り返すくだりがあって、そちらには絵がない。

テンポがスローなためもあり、アルバムで最も長い曲。ここまでの曲が軽快なだけあって、相対的にかなり落ち着いて聴こえる。ベースとドラムの溜めが効いているのも大きいだろう。歌とギターがどんどん雰囲気を更新していくのだが、リズムに乗っているとゆらゆらと停滞して聴くことができ、そのグルーヴがサビの「ずっと見つめていたよ」とか「今も思い出してるよ」というラインと一体になると、この曲をグッと好きになる。

 

8.死神の岬へ(3分44秒)

元々嫌いだったわけではないが、どんどん好きになった曲。これも作曲は草野ではなく三輪。オーガズムを目指しているかのように、バンドがこれだけ一直線に走っていく曲で作詞者と作曲者が別、というところにバンドマジックを夢見てしまう。『月に帰る』のMVPというか中心人物はどう考えても三輪さんだけど、この曲は誰とも言えない。そこが好きだ。最初の「♪いくつもの抜け道を見た」の後のギターフレーズは、作曲者じゃないと思いつかなさそうな、突飛かつウキウキするフレーズであるが……。

三たび矢代恒彦がサポートとして加わっていて、今回の使用楽器はファルフィッサ・オルガン。知らない名前だったので検索をかけてみたが、ピンク・フロイド、初期のレッド・ツェッペリンウッドストックの時のスライが使っていたそうな。ディジュリドゥみたいな「ビュウイ、ギュウイ」という低音はギターだと思っていたが、オルガンの低音で出しているんだろうか……? 何か出せないこともなさそうだが。

これを4,5人でコピーしたら、どういう編成でも、どういうアレンジでも、否応なく楽しくなるんじゃないだろうか? 少し悲しいままに。

 

9.トンビ飛べなかった(3分31秒)

スピッツがパンクを包摂しているバンドだということがよく分かる、ひとつのテーマを直情的に歌い上げる一曲。前曲『死神の岬へ』とはまた違った疾走感がある。ファーストで鳥の名前が二回出てくる(デビューシングル『ヒバリのこころ』と同じ盤に収録されている)のは、よく考えるとちょっと面白い。バンド名、犬なのに。

スピッツの詞の解釈は、この曲の「宇宙のスイカ」とは何かとかを深読みするよりも、むしろ「独りぼっちになった 寂しい夜 大安売り」とか、「正義のしるし踏んづける もういらないや」とか、日本語の意味がやすやすと通じている部分――草野マサムネという超人が、わざわざぼくたちにも分かる言葉で言ってくれている部分――をこそ深読みするべきだと思う。

 

10.夏の魔物(3分10秒)

セカンドシングル。91年のシングルチャートを1位から5位へ辿ると、1位:小田和正『Oh! Yeah! / ラブストーリーは突然に』、2位:CHAGE & ASKA『SAY YES』、3位:KAN『愛は勝つ』、4位:槇原敬之『どんなときも。』、5位:ASKA『はじまりはいつも雨』となる。このうち、『愛は勝つ』を除いた4曲が、5分前後の曲だ(『愛は勝つ』がほぼ4分ジャスト)。

当時のオリコンチャートのトップを狙う戦略と、バンドシーンの売り出し方を比べてもしょうがないかもしれないが、この短くノイローゼチックな曲が2枚目のシングルというのは、結構攻めてると思う。『ニノウデの世界』をA面にする選択肢は、あるにはあったんだろうか? 『ロビンソン』がB面になる予定だったことを考えても、ありえない話ではないだろうけど。

明確なサビがないというか、「夏の魔物に会いたかった」のラインが持つインパクトの強さは間違いなくサビとしてのそれなんだけど、スルスルっと展開してそのラインに行き着くので、どうしても「サビだ」とあまり感じない。よくよく聴いてみるとイントロからそのラインのメロディを弾きまくっているわけだが。この展開のシンプルさ、というか「Aメロ-Bメロ-サビらしくなさ」は、「メリハリがない」みたいに評価する人もいそうだ。

この曲も、詞世界を「こういうドラマのメタファーなのよね」と語ろうとすると、どこかで強引になってつまらなくなってしまうが、最後の「夏の魔物に会いたかった 僕の呪文も効かなかった」には、一編のジュブナイルのような叙情性が確かにあって、何か余計な筋書きを付け足したくなる気持ちに、実際なる。

 

なお、『ヒバリのこころ』『夏の魔物』とも、オリコンのチャート入りを果たしておらず、ザッと検索をかけたぐらいでは売り上げ枚数を調べられなかった。上記した91年のTOP5は全てミリオンセールスを弾き出しているが、同年、井上陽水『少年時代』が40万枚/25位、森口博子『ETERNAL WIND』が27万枚/47位というセールスを記録している。どちらも映画のタイアップを得ていた曲だ。デビュー当時のスピッツが100位にランクインしていないことはさもありなんとも言えるが、陽水・ピロ子どちらの曲も、リメイクやカバーに恵まれた曲。セールスと楽曲の魅力が直結するわけではないことの立証……と言い切るつもりはないが、何というかまあ、そういうことは考えていきたい。

  

11.うめぼし(3分36秒)

後に奥田民生がカバーした一曲。草野の弾き語りを、2バイオリン・2チェロ・ベースクラリネットがサポートするという形式が採られている。オーケストラ・アレンジを採用したコンセプト・ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』の卵とも言える?

バンドサウンドから脱け出したことで、草野マサムネの声はこんなにも人間らしくがさついていたのか、と驚かされるナンバー。誤解しないでほしいが、「汚い」とか「録音が悪い」とかいうことじゃない。生で油絵を見て、絵の具とかカンバスの隆起がよく分かり、素材感をありありと感じる時の感動、みたいな。

 

12.ヒバリのこころ(4分51秒)

記念すべきデビューシングル。実際にはこのアルバムをリリースする前年、新宿LOFT関連のインディーズレーベル・ミストラルから、これをタイトル曲としたミニアルバムを出していて、そこには『トゲトゲの木』『おっぱい』など、後にB面集『花鳥風月』に収録される素晴らしい曲も入っている。

景気が良い、という形容がぴったり来るイントロといい、「目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに」なんてまばゆい詞といい、デビューシングル(アルバムタイトル)になるのも納得という感じだ。全ての楽器、中でもドラムがパワフル、というところもまたキャッチー。

矢代恒彦のハモンドオルガンによるサポートも、うまくバンドサウンドを下支えしている。これでデビューするというだけあって、裏方に回っているという感じの渋い立ち位置。

『エンブレース!』

――小沢健二によせて――

 

 真冬の高架のホームで、僕たちは始発の電車を待っていた。空は白み始めていたけれど、まだ太陽は地平線に差し掛かっていなかった。夜の闇はまだ固まったまま、電灯の明かりと闘い続けている。病院から駅へ来るまでに一本、駅に着いてからも一本、自販機で買った熱いお茶を飲んでいたが、その熱はもうとっくに僕の体を通って空気へ染み出していた。このホームには待ち合い室がなく、僕とチャコはベンチに座り、風に吹かれている。チャコはマフラーで鼻と口をぐるぐる巻いて、じっと目をつぶっていた。徹夜の後だから眠っていてもおかしくなかったが、どうやらただ目を閉じているだけのようだ。僕は寒さに耐えかねて、また近くの自販機で熱いものを二つ買った。ベンチに戻ると、チャコは目を開けて僕の様子を見ていた。はい、と言って、僕は持っていた缶の一本を差し出した。

「おしるこ……?」

「好きでしょ?」

「今は……」

「じゃあ、こっち飲む?」

「うん」

 自分が飲むつもりだったミルクティーを彼女に譲り、僕はチャコの好物だからと何も考えずに買ったおしるこを飲んだ。甘く、粉っぽく、熱かった。

 こういう時間に、チャコとは何度も一緒に外にいたことがある。今日はその中でも、間違いなく一番寒い。親同士が幼馴染だったために、僕たちは赤ん坊の頃からよく遊んだ。最初に夜明けに会ったのは、小学生の頃だったと思う。車で旅行に行く時、こんな風に日も出ていない時間に出発した。僕は朝っぱらから兄とつまらない喧嘩をして、自分の家の車に乗りたくなくて、チャコの家の車に乗せてもらったのだった。流星群を見に近くの公園へ行ったこともあるし、映画館とかクラブで夜じゅう過ごして一緒に帰ったこともある。雪が降っている時も、中にはあった。それでも今が一番寒い。ひどく冷え込むとは聞いていなかったし、冬の夜遊びの記憶がそれほど遠くにあるわけでもないのに。そういえば、砂糖は体を冷やすと聞いた覚えがある。チャコが集めているマンガで、小豆は甘くない、餡子の甘さは砂糖の甘さだ、とも読んだこともある。もしや、彼女がおしるこを断ったのは、そういう理由からだったのだろうか。何ということだ。せめて熱いうちに取り込んでしまおうと、僕はおしるこを勢いよく飲み下した。

 チャコは口を覗かせて、かすかに音を立てながら紅茶を啜っている。目にはやはり眠気が溜まっておらず、その奥で何かが勢いよく回っていることが、僕には確かに分かった。

「仕事、行けそう?」

「大丈夫」

「寝てもいいよ、起こすから」

 昨日は遅番、今日は夜勤というシフトなので、僕は家に帰ったら眠る余裕がある。チャコは昼の仕事をしているので、そうもいかない。それでもチャコは眠ろうとしなかった。

 いま眠るつもりになれないのは、僕も同じだった。僕たちは兄の妻の出産に立ち会い、赤ん坊の顔を見てきたばかりで、まだ緊張から脱し切れていなかった。

 兄夫婦は高校時代からの仲だった。兄の妻は付き合い出した当初から、まだ中学生だった僕たちを可愛がってくれ、何度も四人で会った。お互い一人っ子であるチャコたちは姉妹のように親しくなり、二人きりでも遊んだ。四人でいる時、僕と兄も、家の中では何となくしづらい話――親の耳に入れたくない話や、家で放つには生臭かったり美しすぎたりする話――を出来るようになり、お互いを特殊な友人としても捉えるようになった。そんな兄夫婦に、子供が生まれた。初めに兄たちから報告を受けて、僕が「命を授かる」とか「宝物が増える」という決まり文句が兄夫婦と結び付いたことについて考えている間に、チャコは喜び、気を揉み、兄の妻とお腹の子を気遣って贈り物を用意し、カフェインやハーブに頼らずにお茶の時間を楽しむ工夫について調べを付けた。彼女の出産は、僕にとっても「血の繋がった赤ん坊が生まれる」という初めての経験だったので、何とか特別な祝福をしたいと思ったし、お産の場に僕もチャコも駆けつけるのは、打ち合わせる必要なく決まったことだった。

 お産は長引いた。そろそろ帰ろうかという段になったのは三時過ぎのことだった。赤ん坊は男の子だった。今思うと、近親者ではないチャコまでずっと同席させてくれたのは、けっこう寛容な病院だったからかもしれない。

 甥が生まれたことは、色々な心配をして結婚に踏み切らない僕に、粉薬が舌に貼り付いたような苦味を味わわせた。後産まで終えて病室に移ってきた兄の妻が、甥の名前について「男の子だったら、一夜って書いて《かずや》にしようって決めてたの。チャコちゃんの《千夜子》から思い付いて」と言って、チャコが涙をこぼした時、確かに僕の心は不安にとらわれた。どうして僕はこの涙を流させるのではなく、拭っているだけなのだろう、と。

 きょうだいとも友人ともつかない二人の間に出来た、まだ生まれて間もない赤ん坊を見たことは、僕たちに愛の姿を見せてもいた。二人の部屋にある全ての生活用品とガラクタや、残高の充分なsuicaや、最寄り駅へ続く線路の枕木の周りに、僕たちの愛はただよい、様々な人たちが揮発させた同じものと混ざり合うのだと思った。きっとチャコも同じだった。壁のある改札の近くではなく、わざわざホームにいるのは、僕たちの胸で強まった炎の温度を、寒さの中で確かめていたいからだった。

 僕は二人ともが眠りを諦めていることを入念に確かめると、チャコに話しかけた。

「可愛かった?」

「カズちゃんのこと?」

「もう“カズちゃん”?」

「もう“カズちゃん”だよ」

「そうか」

「可愛かった。これからもっと可愛くなる。憎たらしくもなるんだろうけど、それでもずっと可愛い」

「分かるの?」

「うん」

 チャコはまた目を閉じた。瞼に甘い未来が踊っている。

「俺は、少し怖かった」

 僕の呟きを、瞳でも見ようとしてくれて、チャコは目を開いた。

「チャコに言うことじゃないって分かってるけど、まだ時々、ちゃんと生きていける気がしなくなる時がある」

「……うん」

「あの子が、一夜が俺も可愛い。チャコもそうなんだろうけど、あの子のためにしてあげたいことが、前から、もういくつもある。別の色んな相手にも同じことをしたら、どんな相手のためにもなるって、真剣に思ってるんだ」

「分かるよ」

「でも、そんなこと俺に本当に出来るのか、恐くなる時がある。……だから……」

 だからプロポーズをためらっている、とまでは言えなかった。僕はチャコを愛している。一生愛したいと思う。しかし僕の稼ぎは少なく、今の仕事を十年二十年あてにしてよいものか分からない。そして愛を維持するのに一番便利なリソースはお金だった。

 チャコの気持ちをはっきり確かめたこともない。彼女は昔から結婚に惹かれていないし、(彼女の親はあまり干渉的ではないけれど)親から何を言われてもどこ吹く風だった。結婚したいともしたくないとも言わないことに甘えて、僕も何も言わないまま永い同棲を続けていた。そして、関係が《収まっていない》という実感だけが、僕にもチャコにもあった。結婚は幸せの担保ではない。しかし、結婚の酬いとして得られる幸せもある。それは分かっていた。ただ、踏ん切りはつかなかった。

 一夜を見た時、僕は「自分がこれまで感じた幸せを彼にも感じてほしい」と思うより先に、「自分がこれまで感じた不幸せを彼には感じてほしくない」と思った。その思いが、僕のためらいの根だったのかもしれない。

 一夜が眠る(もしくは生理的に泣き声を上げている)病院の方を想うと、心がやわらかく温む。その一方で、なかなか縁を切れない絶望を、改めて持て余してもいる。ここは生きるに値するのだろうか? あの子がいつか世界を愛したとする。僕はどうだろうか? あの子が生者としての自分を理解した時、僕はあの子に「いつまでもこの世界に生きていたい」と言えるだろうか? それを言えない僕が、永遠の愛とかいうとてつもないものを人に贈れるのか?

 ぼくが「だから」と言った後でせき止めたものを、チャコはずっと待った。しかし僕が言葉を続けられないと気付くと、ゆっくりと僕から視線を外し、何か考えを巡らせた後、話し始めた。

「私も怖い。カズちゃんのためにしたいことがあっても、それがカズちゃんに嫌がられるのが怖いし、他の人にバカにされたり下らないって思われるのも怖い。やらなきゃ失敗するか成功するか分かんなくても、それは怖いよ。優しさが投げ捨てられたり、綺麗にしたものを汚されるのは」

 そう言われて、僕も一夜に贈ったプレゼントが、あの子に見向きもされない様を想像した。なかなか辛いものがある。

「でも、私はしたいな。したいことがあって、間違ってないと思えるなら、したいよ。そうしなきゃ幸せになれない。いや、違うな。じゃなくて、幸せでい続けられないから」

 最後の訂正は、僕の耳だけでなく心にまで向けられていた。かじかんだ鼻がむず痒くなり、少し泣きそうになっていることに気付いた。泣くのはあまりにも格好悪いと思い、冷え切ったおしるこの缶を握りしめて必死でこらえた。

 しばらくの沈黙の後、右の方から光が射してきて、僕たちはそちらを向いた。太陽が顔を見せたのだ。冷え切った頬は、まだ光に熱をほとんど感じない。それでいて、ひどくまぶしい。こんな熱さも痛みもない単純な光に包まれて、全てが大きなゼロへと回収されていくのは、世界の終わり方としてまっとうであると思った。けれど、まだ僕は終われなかった。

「もうちょっと待っててほしい」

 言葉そのものの情けなさと、前置きを設けなかったことの身勝手さを詫びるために、僕はチャコの眼を見ながらそう言った。チャコには僕が太陽を背負っているように見えるだろうから、果たして僕の貌がどれだけつぶさに見えたかは分からない。

「待ってるよ。ずっとではないけど」

 しばらく僕たちは見つめ合った。僕は彼女の手が僕に触れてくれることを期待した。その期待は拳で脇腹を殴られるという結果によって報われた。じゃれ合いめいたパンチだったが、的確に肝臓を打たれたせいで衝撃が大きく、僕は「ズッ」と呻いて缶を落とした。

「この一発分、〆切は伸ばすからさ。……えっ、嘘、そんな痛くないでしょ?」

 自分の間の抜けた呻き声、小気味よく音を立てて回るおしるこの缶、おしるこの缶がわざわざ小豆色をしていること、チャコの当て勘の良さ、全てがおかしかった。寝不足でハイになりやすくなっていることも味方して、僕はうずくまって笑い続けた。震える僕を見て、チャコは少し心配し始めていた。笑いを噛み殺し、大丈夫大丈夫と繰り返しながら缶を拾い、チャコの手からも空き缶を取り上げ、どちらもゴミ箱に捨てた。

「――綺麗だね」

 改めて東の空を見ながら呟くと、背中の方からチャコが鼻歌をうたうのが聞こえてきた。好きな曲なのに、寝不足の頭ではタイトルを弾き出すのに時間がかかった。ユーミンの『雨の街を』の歌い出しだった。サビに至る前に鼻歌をやめて、チャコが言った。

「何か、ハッピーバースデーじゃなくて、ハッピーニューイヤーって感じ」

 何となく僕にも共感できた。太陽の周りの牛乳色が色づいていき、群青色にまで変わっていく空を見ていると、目に映る限りに住む人たちが、新しく何かを始めようとしているような気がした。

「初日の出って皆ありがたがるけど、何年と何年に見たって、ちゃんと記憶してない」

「ああ、俺もそうかも」

「初日の出以外だと、一回しか見たことないから、よく覚えてるけど」

「震災の次の日?」

「そう。寝られなかったから」

 僕たちはあの日、職場から帰宅を命じられた後、何とか連絡を付けて落ち合い、歩いて帰ろうとした。昼間のうちに移動を始めたのに、家に着いたのは夜も深まってからだった。揺れで散らかった部屋を片付け、冷凍していたカレーを食べても、疲れた身体が緊張を解くことはなかった。僕は夜半少しまどろんだが、日の出を見ているチャコに気付いて目を覚ましたのだった。チャコも僕が起きたことにすぐ気付いた。あの時、空を見て「綺麗」と言ったのは彼女の方だった。僕はチャコが見ていない時にしか、被害の報道を見なかった。どんな波も、どんな火も、つまりどんな死も、彼女に見せたくなかった。今分かった。僕はそれらから彼女を守れる自信がなかったから、彼女にそれを見せるのが恐かったのだ。チャコが見たがっているか、見ずにいたがっているかは、確かめないまま。

 振り返る。ベンチに座って、またマフラーで口許を覆い、太陽か僕を見ているチャコを見る。そして、今どれだけ彼女を抱きしめたいか確かめてから、彼女を抱きしめようと決める。その想いは、太陽を綺麗だと言った気持ちと、兄たち三人を想う気持ちと無関係ではない。座ったままのチャコを抱きしめて、「うおっ、おい」と言われても無視を決め込み、僕を突き放しはしない彼女を、寒さだけではなく、時間や光からさえ守りたいと願う。

 今より善い者になって、今よりも善く君を愛し、どんな約束もできるようになりたい。その想いをどう声にすればいいか分からないまま、僕は君を抱きしめている。