キャベツは至る所に

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はみ出し甘藍随想-2

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前章であれだけ書いたが、別にファミコンスーファミは、バンプレスト作品を遊ぶためだけのもの――つまりバンダイの作品へ接続するための装置というわけではなかった。他のソフトだってたくさん遊んでいた。90年代の日本で、テレビゲームはビジネスの領野においても文化の領野においても、その版図を爆発的に広げていた。アニメや特撮を下敷きにしたバンプレ作品などは、当時のゲームにおいてはむしろサブジャンルだったし、自分が遊んでいるソフト群の中においても、その位置づけは変わらなかった。

 

初めの初めに遊んだと思われるゲームソフトは、ミッキーを操作するアクションゲーム『ミッキーマウス 不思議の国の大冒険』だ。*1後はスーパーファミコンでもシリーズ作品がリリースされていた『迷宮組曲 ミロンの大冒険』、そして今なお雷名轟く『スーパーマリオブラザーズ』あたりか(ゲームにしろ映画にしろドキュメンタリーにしろ、当時《冒険》が流行っていたなと思う)。ファミコンで遊ぶようになって間もない1990年に、スーパーファミコンが発売。我が家でも割と発売間もなく購入された。

当時遊んだ中で印象深いゲームを思い出してみると、遊んでいて楽しかったもの、感動したものに混じって、怖かったものが挙がってくる。今ゲームを遊んでいても、ストーリーの展開や演出、グラフィック面の進歩によって鮮明になったゴア表現に戦慄することはもちろんたくさんあるが、「怖い」「一回やめたい」とかいうような気持ちになることはほぼない。恐怖に敏感で、感情を御し切れない幼少期には、そういう反応はもっと激しかったし、何なら反射的にゲームとかテレビの電源を切ったりしたこともある。

ファミコンスーファミの一部ソフトにはバッテリーバックアップと言って、ソフトに内蔵された電池から供給される電力によって、ハードの電源を落としても進行中のデータを保存させるという機能があるのだが、電力供給が不安定になった際にセーブデータが消えかねないという弱点を持っている。電源ノイズなどがチェックサム(データ破損を検出する機能)で異常として検知されると、バックアップがエラーデータと認識され、消去されてしまうのだ。遊んでいる途中、誤ってゲーム機本体を蹴飛ばしてしまったとか、停電になって電源が落ちてしまったといった拍子に、データが消えてしまった体験をした人は多いだろう。こうしたデータ消去は、端子の接触不良の際にも起こりうる。せっかく色々なソフトを持っているなら、次はあれ次はこれとソフトを抜き差しして遊ぶのが自然であるが、そうすると危険も高まる。「ドラゴンクエスト」シリーズのソフトを起動させる際、データ消去が行なわれていると、わざわざおどろおどろしいBGMが流れてセーブデータが消えたことを教えてくれやがるのだが、ぼくはいつもそれを聴くのが嫌で、テレビを消音にしてからゲームを起動していた(今まで色々なゲームプレイ記を見てきたが、同じようにしていた人は多いようだ)。

こうした類のストレスは、味わうたび不快に思っていたことは間違いないのだが、ゲーム体験を総括しようとした時、ゲームを遊ぶ動機にもなっていた気がする。データが消えてもやり直すだけの時間があるとか、そんなにたくさんソフトを持っていなくて選択肢が限られているとか、そういう実際的な理由ももちろんある。しかしそれとは別に、その刺激に一度酔わされてしまった者の弱みみたいなものを、幼児期から今までずっと感じている。コントローラーを握っている手に触れられるような、画面を見る自分の眼から何かを流し込まれるような、そういう感覚刺激。

当時のグラフィック表現で恐怖を感じるものはあまりなかったが、子供心に、流血表現とかはそれなりに恐がっていた記憶がある。迷作と名高い『ミシシッピー殺人事件』の死体表現も、ファミコン時代においても高精細のグラフィック表現だったとは決して言えないが、画面転換時のBGMもあいまってけっこう不気味に思っていた。あの演出で恐いと思うのだから、ファミコンの『必殺仕事人』の死体表現とか、PCエンジンの『エナジー』のオープニングデモなんかも充分恐かった。

弟切草』と『かまいたちの夜』といった有名ホラーゲームを最初に遊んだのは小学校中学年ぐらいの頃で、正月に親戚宅で、大勢で集まって遊んだ。「かまいたち」については、最初に見たルートがホラーというよりエンタメ感の強いシナリオ(スパイ編)だったこともあり、少年期にはそこまで恐い印象がなかったが、高校時代に一人で遊んで登場人物がほぼ全滅する陰惨なルートを辿った時には相当恐怖した。

悲劇を鑑賞して覚える悲しみは、実際の感情の悲しみとは同質ではなく、むしろ精神的な位相では快楽に近い……という研究があるそうだが、ゲームにおける恐怖演出、しかもジャンプ・スケア的ではない恐怖演出に感じてきた自分の印象を思い返すと、なるほど頷ける論であると思う。怖いもの見たさとか、「どうせ辛いならとことんまで辛くあってほしい」みたいな欲望といえばそれまでなのだが、今でもそういう期待をゲームに抱いている。

 

映画を意識してたくさん観るようになったのは高校ぐらいからで、映像や音響の表現が技術進歩によって目覚ましく変わったという衝撃は、ゲーム機の世代交代によってこそ痛感してきた。今もPS4などの第八世代ハードで遊んでいるが、衝撃が大きかったのはとりわけ、ファミコンなどの第三世代からスーファミメガドライブなどの第四世代へ、そして第四世代から第五世代(プレステ、セガサターンニンテンドー64など)への移行の時だったと感じる。

スーファミ以外の有名な第四世代ハードで言うと、先ほども名前を挙げた、ハドソンとNECの共同開発ハード・PCエンジンがあるが、一応ぼくも触ってはいた。近所に住む裕福な親戚宅に、スーファミ導入前からあったので、兄と一緒に遊びに行くと遊ばせてもらっていたのだ。まだ小さい自分にとっては、いずれ任天堂のハードでもシリーズ作品が出る『PC原人』などの固有タイトルが遊べるという体験に過ぎず、アーケードゲームを家庭用に移植する際、特にグラフィック処理の劣化が少ないと評判であったことなどは後年知るところとなった。当時遊んだPCエンジンソフトで言うと、biim氏のRTAの動画でも有名になった『邪聖剣ネクロマンサー』がある。当時の頭脳ではクリアなんてとても無理だったけれど、クトゥルフ神話が下敷きであったり、シナリオライターが「ダイの大冒険」の三条陸氏、当時からやたら恐いと感じていたパッケージイラストが『エイリアン』のデザインで有名なH・R・ギーガー氏だったり、ということを後に知って驚いた。

 

今、好き好んで小説を書いているくせに、幼児期から少年期に、児童文学に耽溺していたような記憶があんまりない。本を読むこと自体はずっと好きだったようだ。親から色々エピソードを聞かされてきた。「まだ字が読めない時分から、絵本を持ってきてはこれを読め次はこれを読めとせがまれて大変だった」「そのうち教えてもいないのに平仮名が読めるようになって、放っておいても自分で勝手に色々な本を読むようになり、しまいには漢字まで読めるようになって、兄が使っている国語の教科書まで一人で読んでいた」とのことらしい。ただ、さて当時何を読んでいただろうと思い返すと、うーん、何を読んでいたでしょうね、と考え込んでしまう。親から与えられた昔話の絵本なり、やなせたかし氏本人が描いたあんぱんまんの絵本などは、本棚に並んでいたものとして記憶にあるが、あとは兄たちが買ってもらっていたゲームの攻略本やテレビ雑誌・マンガ雑誌の類などばかりが思い出される。アルティマニアシリーズを代表とするように、90年代の終わりごろから、ゲームの攻略本というプロダクトは設定資料集的なプロダクトと合流していく。そうした制作事情の変化・読み物としての充実も大きな要因としてあるが、今でもゲームの攻略本を、ゲームプレイの補助のためだけではなく、それを読むこと自体に楽しみがあるものとして捉えている。当時の経験によるところもかなり大きい。『クロノクロス』のアルティマニアなど、状態が良くないものなら持っているけれど、今でも美品が欲しくて、古書店に入ると攻略本コーナーを見る。

 

あまりたくさんの本は、読んでいなかったかもしれない。字を早くに覚えたのも、同じものを繰り返し読むのが習慣づいていたせいではないか。本のみならず映像作品でもそうなのだが、同じものを繰り返し鑑賞するのが、今も昔もあまり苦ではない。

今の感覚に頼り過ぎた言い方かもしれないが、そもそも、何回も読んだり観たりするのが苦ではないものにハマりやすいのだとも言える。何度もそれを体験したい、というより、その体験をしている時の自分の心理的な状態が好きで、その中に長く留まっていたい、というような感覚。

テレビで放映されたスタジオジブリの作品とか、ドラえもんなどの劇場版作品は、親がまめに録画していた。ジブリ作品などは両親とも好んで観ていたが、もっと実際的なことを言えば、数を揃えておけば、ぼくの子守りが楽だったという目算もあったのだろう。あの手のビデオは数え切れない回数観た。*2

話一度作品のシークエンスを気に入ってしまえば、それを何度も味わうのが苦ではなくなるたちなのだ。だから、新しい本やゲームをねだったり、レンタルショップで何か借りてくれと親に頼んだ記憶はもちろんあるのだけれど、とにかくたくさんの作品に触れようとは、当時はあまりしてこなかった。恐らく後述することになるが、色々な作品に触れようと、数を重視し始めるようになる契機が、中三の時にはっきりとある。

約束された快感を得たいという欲求が強い、ともいえる*3。ぼくは今よりも子ども時代の方が惰性的だった。ある意味では貪欲であったかもしれないが、それと同時に消極的でもあった。

かいけつゾロリ」シリーズなどは、前身である「ほうれんそうマン」シリーズを読んでいたから長く読んでいたし、小学校に入ってシリーズ第一作である『ズッコケ三人組』を読んだ時には、同じ設定のお話でこんなに巻数があるということに惹かれ、親に買ってもらったり学校の図書室で借りたりしていた。*4。この辺は、愛着も多分にあったのだろうが、まず「読んでも次があるから」ということへの期待があって読んでいた。

他に小学校の図書室の思い出となるとマンガばかりで、本当に児童文学の名作と呼ばれるようなものを読んできていない。エンデの『モモ』の名前は、小学校時代に読んだ文集で知ったが、読んだのは恥ずかしながら近年のことだ。図書室での記憶は、小学館から出ていた学習マンガ『少年少女 日本の歴史』と『はだしのゲン』、そしてなぜ置いてあったのかと思うが『ドカベン』の記憶ばかりになる。「日本の歴史」は史実がエピソード単位ですっきりまとめられていることで、読み心地も良くまた好奇心もそそられ、やはり繰り返し読んだ。近年、よしながふみ版『大奥』を読んだ時、徳川幕府の盛衰や江戸時代の風俗についての描写の理解が捗ったのは、まぎれもなくあのシリーズを読んでいたおかげである。*5

趣味遍歴の話から少し脱線するが、小学校三年から六年まで、サッカークラブに入団していた。活躍はこれっぽっちもしなかった。それというのも、兄の影響で入団したはよいが、当時は別にサッカーの面白さも理解しておらず、上達への意欲も特になく、「兄もやってたし、そういうものだから」と、それが自然であろうというところで判断が止まったまま、ただ律儀に練習には参加していた。ズル休みらしいズル休みはほとんどしていないと思う。習い事でも同じだった。赤ん坊のころに小児喘息をわずらったため、心肺機能を高めるとよいと聞いた母の方針で、幼稚園から小学校三年ぐらいまでスイミングスクールに通った。これまた漫然と通っていたのでクラスも上に上がらず、確か背泳ぎも習わないうちに、授業時間が長くなってきた三年か四年生の頃、喘息も全然出ないしもう潮時かも、という母の言葉に従ってやめた。

当時のぼくは、空想に耽ること以外に対して本当に積極的ではなく、例えば少年団に入ってサッカーをすることを、うまくなりたい、ゴールを決めたいなどの目標を伴うものではなく、「そういうものだから」という惰性だけで続けていた。読書感想文ですら「珍しく兄貴が読んでいた本だし、読んで面白かったし、高学年はこの本でいこう」みたいにして本を決めて書いていた。親の指図はなかったと思う、というか「お前もサッカーやるか」ぐらいの軽い質問で、勝手にぼくが「ああ、やろうかな」ぐらいに思って全部決めてしまったきらいがある。兄への憧れも多少はあったが、今振り返っても盲目的なものでは一切なく、弟として彼にすまないが、そういう決断をする時のとっかかりでしかなかった。しかしそうして小五の作文の宿題のためにも読んだ『オレのゆうやけ』は、今の自分の精神に通ずるものがあると思える一冊ではある。子どものころ読んで影響された児童文学は、と訊かれて、名前を挙げることが許されるただ一冊の本であるかもしれない。

*1:「不思議の国の大冒険」は、操作対象であるミッキーと、そのミッキーに随伴して動くミニーを操るゲームで、ミニーにはダメージ判定がない。そのシステムを利用した有名な裏技がある。一画面の中で階層が分かれているステージ限定だが、ボスのいる階層にミニーだけを移動させ、一方的にボスを攻撃するというテクニックだ。「システムの構造を利用した、正攻法より安全な攻略法」という意味で、まさしく《裏技》。ぼくが触れた最初のそういう裏技がこれだった。こういう類の裏技を知って、ゲームの虚構としての側面を痛感して醒めるプレイヤーもいるし、構造を理解してゲームにのめり込むプレイヤーもいると思う。ぼくは後者だった。

*2:一番よく観た録画の「ラピュタ」は、恐らく放送尺に合わせた調整のため、あるワンシーンがカットされている。セリフの間やトーン、作画や音の記憶が鮮やかな作品の中に、全然知らないシーンが挟まるという体験を後年した、あのときの違和感というか、誰の責任でもないけれど不完全なものしか与えられてこなかったのだと教えられた驚きは、筆舌に尽くしがたい。

*3:Pixivなんかで決まった検索をかけて、何の更新もない検索結果を、何度にも分けて日参に近い頻度で見るようなことが今でもある。そういえばイラスト系の個人サイトをよく観ていた頃も、同じようにたくさん巡回していた。そうして絵を見ることには、おいしい干菓子とか豆とかをポリポリ食べ続けるような、「その味が口にずっと広がっていてうれしい」みたいな快楽があると思うのだが、ああいう行動も似たような欲求が支えていたんだろうと思う。

*4:一番好きなのは、メインキャラのうち唯一母子家庭に暮らすモーちゃんの過去が語られ、また三人組の心理的なパワーバランスもうまく描かれている「結婚相談所」

*5:周囲の目にも「あのシリーズをよく読んでる」と映っていたようで、卒業文集か何かに寄せてクラスメイトが描いた絵の中で、ぼくは「日本の歴史」を読んでいる姿で描かれていた