キャベツは至る所に

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日記3/9

去年『オッド・ピーシズ』という短編小説集を作った。急に文学フリマに出ることが決まったので、それに合わせて新刊を作ろうと思ったのだった。「新しく本を作りたい」「気に入っている既存作品をまとめたい」という気持ちの他に、「短編をたくさん作ることで、自分の小説を作る能力を点検し直したい」という思いがあった。

一番初め、小説という創作を始めた時は、数千字前後の掌編ばかり書いていた。思い付きで始めて、ここでよいと思ったところで終えてよいのが気に入っていた。その結果、骨組みとか整合性といったものが伴わなくても、短編というスケールの中でなら成立させられる話というものがある。そういう中での綱渡りをまたやることで、洗い直せる自分の癖とか、確認できる自分の能力がある気がした。

『オッド・ピーシズ』を作ったことによる、その部分での収穫というのは、期待通り得られたのが半分、他にも方法があったかもしれないという悔い半分という具合で、そういうことをやるならまたブログで日記でも書くようにした方がいいのかもしれない、と思った。そんでもってこのエントリを書いてます。

 

去年は『オッド・ピーシズ』の制作に追われて全然小説を読めず、その後には積んでいたゲーム群に手を伸ばしたりしたものだから、今年に入るまで拾い読みするようなペースでしか活字を読んでいなかった。さすがにこれではイカンと、先日、以前一回読むのをやめていたウエルベック服従』とカズオ・イシグロ遠い山なみの光』を読んだ。

服従』はマッチョを描く筆致そのものもそうだし、どこまで露悪的にやってるのか批判的にやってるのかを確かに掴めない自分の知的な弱さにまずげんなりしてしまって、以前は投げた。正直読み通した今も、他の作品を読まないことには自分にはその辺りは掴めないのだろうと思っているが、ラース・フォン・トリアーの『ハウス・ジャック・ビルト』を観たことが助けになって読みおおせられた気がする。マチズモの(表象の上での)凄まじさは『服従』のそれとはまた違うけど、男性集権的な構造に対してまっすぐには光を当てない態度が似ていた。

遠い山なみの光』では記憶の語り、つまり語り手が「実際にはこうではなかったかもしれないけれど」と語る小説で、その語り口の表現に魅せられた。作中で起こっている事件の中で、この重大なものはディテールを凝らして書かず、あえて回想するだけに留めるのか、と思うような部分はあるのだが、しかし逆にそこを細密に書いてしまえば全体の色調もこれとは全然違うものになる、この漠としたものの中を手さぐりに歩いていくことがこの小説を読むことだったんだ、という心持ちに行き着くと、読んでよかったと思えたのだった。

 

去年の今頃からパートナーとの同居を始めた。ぼくたちは同年代だが、お互いどメジャーなものから一定の距離を引いて生きてきたところがあって、特定の作品をフックに話そうとすると、共通の知識がないことが多い。最近、YouTubeのショートとかでエキセントリックな部分が切り抜かれているのを観たのをきっかけに、家でアニメ版の『美味しんぼ』を観た。ぼくは中学からのマンガ立ち読み経験からある程度の知識や記憶があったが、向こうは全然知識がなかったためもあり、ちょっと人格破綻者が多すぎやしないかということで続けて観ていく感じではなくなり、シフトというべきか飛躍というべきか分からないが、なぜか最近は『クッキングパパ』を観ている。去年の一時期は、ぼくの好みで『ミスター味っ子』を観ていた。別にグルメものを観ようと示し合わせたことは一度もないのだが、どうしてこう偏りが生まれたのか。

この3本はキャスティングがかなり被る。ぼくは子供の頃から声優の声の聞き分けがよく出来て、今も「こっちだとあのキャラをやってた人が、こっちだとあのキャラをやってるね」とか、「今のモブは、あのキャラの声優が兼ね役してたね」とかよく口にするのだが、大体の場合、そうだった? と返される。向こうも向こうで耳は良いはずなのだが、やはり聞き分けのうまさというのはテイスティングとかと同じで、訓練の賜物というか、こことここの違いで判別ができるというポイントを熟知して瞬時に比較できるようにするという、いわばチェックシートと回路が強化されたような状態を指すのだろう。

 

そのパートナーが一緒に行こうと誘ってくれて、熱心に聴いているミュージシャンではなくて恐縮だったのだが、来日公演を立て続けに観に行った。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとWilco

OPNは数年前に聴いた時よりもはるかにアッパーなステージで、VJが素晴らしかったこともあり、できれば思うさま踊りたかったが、ソールド公演ということもありフロアはかなりぎゅう詰めで、それは叶わなかった。コロナ禍に入ってからライブに行く頻度をかなり減らし、それに伴って音楽自体を以前よりも聴かなくなり、感想をつぶやくことも減り、としていたのが2020年~2023年の話だったが、そうしているうちに、10代から続いていた「金と時間と労力をかけて音楽を聴く」という行為の連続性が途絶えてしまったような心地がしている。OPNも、O.A.のジム・オルーク石橋英子のセッションも、楽しみはしたのだがその一方で、自分の問題で少なくないものを受け取り損ねてしまったようなうしろめたさがあった。

同じものをWilcoのステージにも感じてしまったら嫌だな、いやマジで、と思っていたが、それは杞憂だった。バンドのライブだったからなのか、Wilcoの楽曲が持つ包容力というか大らかさみたいなもののためなのか、とにかく演奏が滅法良かったせいか分からないが、そんなことはどうでもよくてとにかく楽しかった。ステージで素晴らしいプレイが繰り広げられていて、会場にそれを楽しむ空気が充溢している、そういう空間にいられるというのは最高の快楽の一つだと、久しぶりに心底思えた。

 

コロナ禍によって連続していたものが途切れた、という感覚はいまだにかなり引きずっている(というか、そもそも「コロナ禍」という事象が全て収束したとも全く実感できていない)のだが、小説を書くという自分の第一義としていたことまで、それによってここまで長く動揺するとは思っていなかった。

はっきり一言にまとめられるものではないから、不正確だったり抽象的だったりする言い方になるが、「部分的にでもいいから世界を肯定するため」とか、「人間存在や社会に対して絶望している人に、その絶望を軽んじたり嗤ったりする危険は冒さぬまま、それでもこんなことも希望にはなるんじゃないか……みたいなものを見てもらうため」に、文章を書いていた。その行為者である自分が、否定とか絶望とかに浸されてしまったのがここ4年弱のことで、今の自分の心身を用いて、かつて志していたようなものが書けるだろうかというモードから抜け出せない。幼稚な言い方になるが、救いたいと思うほどに今この世界が好きか? というような話だ。創作は必ずしもそういう姿勢でやらなければならないものではない。しかしその姿勢をあきらめることを、創作を始めた頃の自分は許さないだろうという確信があるし、今のぼくより当時のぼくの方が正しいのだろうとも思う。今のモードから真に抜け出して陽転するためのものが、インプットとアウトプットどちらに求められうるのかさえ、よく分かっていない。

そういう気分や思考を手放さないまま2022年に『空想』という小説を完成させられたことはよかった。出来映えは別として、まるで10代の時のように世の中を憎みながら、意図して若さにしがみつくようにではなくある程度は年齢なりの言葉で書けたのもよかったと思えている。ただ同じ精神・同じ方法論で書き続けて実りがあるとは思えない。『空想』はそういう小説ではなかった。人と接したり新たに何かを始めたり、外部に目を向けるべきだろうか。