キャベツは至る所に

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動画サブスク週記ー2

今週はわりあい仕事に時間を割かれたのと、本を読む時間が多くなったので、映画は全く観なかった。その代わり、生活の隙間にアニメを観ることが多かった。

イデオン」を最後まで観た勢いで、並行気味に『宇宙戦士バルディオス』を観た。スパロボファンからすると「イデオン」と「バルディオス」は近いポジションの作品である。どちらも結末がカタストロフで、そのお陰で原作を再現した特殊エンディングが採用された。放送時期も近いこともあって、ゲーム抜きに比較されがちな作品だ。

ガンダムシリーズを初めとして、富野由悠季作品には数多く触れてきたので、アニメがおたくの力学から逃れないことへの苛立ち、そこからなる作劇や台詞回しへのこだわりは多少知っているつもりでいる。「イデオン」というアニメの身体にも、そうした意識が、体液として循環していた。「バルディオス」にも、劇画調の作画・メロドラマ的な描写など、当時のロボットアニメとしては逸脱的だと感じる要素はあるが、今のオタクの目で観るとどうしても紋切り型に過ぎないと思えてしまうところがある。そこを「イデオン」と比べた時、脚本より、ロボットや戦闘機の動きの作画にこそリアリティの差を感じた。イデオンの動きには、大質量の人型機械が動くことへの疑いがある。「こんなものがこんな風に動くのは不気味だ」という風に描かれていて、観る者もそう思う。そこに「巨大ロボ」の恐さがちゃんとある。この「ちゃんと」が重要なのだ。全く別の設定・力学・規格が採用されてはいるが、「ガンダム」で提唱されたモビルスーツ=人体の延長という感覚は、すでにこの時点で輪郭を持っている。バルディオスはむしろ、人間まねびの動きをする。しかし「ダイターン3」が同様に人間まねびの動きを取る時、それはコメディックな表現、つまり「本来メカはこんな動きをしない」というのが諧謔としてある作画だった。

ところで小川徹との対談を読む限り、「イデオン」の劇場版公開当時、吉本隆明は「イデオン」と「ガンダム」を、《一種の宇宙教》みたいなものを理念とした同質の作品としてとらえていたようだ(潮出版社『夏を越した映画』参照)。宇宙には強大な意志のかたまりのようなものがあり、それと人間が通じ合うことで奇跡的な力を発揮する。ファンからすると差異を列挙したくなる指摘だが、確かにこの点は二作に共通している。「イデオン」から「ガンダム」へのストーリーとしての移行を、宇宙戦争の大きさから第二次大戦の大きさへの焦点移動とだけとらえるのは凡庸だし短絡だが、宇宙にある強大な意志の体現者のスケールの変移についてだけ言えば、こういう見方はまんざら的外れなだけではないかもしれない、とも思う。デウス・エクス・マキナ(イデ)から、社会におけるカリスマ(ニュータイプ)への変移。

 

そのあと『超獣機神ダンクーガ』と『赤い光弾ジリオン』を行ったり来たりした。どちらもまだ最後まで観切ってはいないが、いつか観たいと思っていたシリーズだしレンタルにもないしで、配信作品数でU-NEXTを選んだ甲斐があったという思わせてくれる作品である。あくまで個人の目に違って映るというだけの話だが、「イデオン」「バルディオス」との間には明確な境界線が引かれていると感じる。

イデオン」と「バルディオス」の放送年が80年、「ダンクーガ」が85年、「ジリオン」が87年の作品。予算とか単純な作画枚数の違いだけで説明がつくのか、全く別の要因があるのか分からないが、自分が子供のころ何気なく見ていたような90年代のリミテッドアニメと比べ、「イデオン」「バルディオス」は古いと感じ、「ダンクーガ」「ジリオン」は懐かしいと感じる。そんな中でも、「バルディオス」のスタッフクレジットにいのまたむつみ、「ジリオン」のクレジットに黄瀬和哉など、今も昔もその仕事に触れてきたアニメーターの名前を認めたりして面白い。どんな視覚効果のせいだというのだろうか。光沢や陰影による立体感の出し方が最大のポイントのような気もするが。制作費は参考にならないかもしれないが、作品ごとの総作画枚数とスタッフ人数は、どう調べるのが最も効率的なのだろうか。

 

その後ふと目に留まって、そういえば1期は観ていたからと思い『僕のヒーローアカデミア』の2~4期を観た。ジャンプを読まなくなって久しいので、物語やキャラクターに関する知識は、アニメ1期とSNSに流れてくるキャプチャや二次創作だけで培っていた。悠木碧の演じ分けの凄さの片鱗に触れた。梅雨ちゃんの中の人が、「まどマギ」のまどかとか『ペルソナ5』の双葉と同じ人だとは思えない。

あっという間に続けざまに観てしまった理由は分かっている。原作付きだからだ。これまでに上げたようなオリジナルアニメとは、次の回へのヒキの強さが違う。週刊マンガのエピソードを放送の尺に合わせて切ってつなげてしないといけない以上、「いいところで終わらなければいけない」し、それを配信で一気に観られる身の上では、ここで終わられちゃこのまま観ないといけないじゃないですかと次回をそのまま再生してしまう。一話ごとにエピソードが完結するような作品からこういうのに移ると、観やすさが違う。睡眠時間が削れた。

また、一話一話に詰め込まなければいけない起伏やセリフの量が違う。これは実際に詰め込まれた情報量というよりも、「詰め込まなければいけない」「詰め込めないものは削ぎ落とさねばならない」という危機意識、それを観る側も承知しているためではないか。

1シリーズの途中からオープニングやエンディングが変わる、というアニメに触れたのも久しぶりだ。OPもEDも、観ているとだんだん儀礼になっていく。学校のチャイム、ラジオのジングル、そういうものと同じ、それ自体で一個の作品ではなく、始まるから /終わるから表れるもの。だからこそ、シリーズ中に差し替えがあるとアガる。あの時の「変わった」「移った」という雄弁な感触。しかもヒロアカは、大体1シリーズの前半後半で別々のタームが展開するような作りで、前期後期のOP・EDは、それぞれのタームの主要人物を強調するものになっている。これは端的にワクワクさせられる。

ネームドキャラの人数の多さから色々な声優の演技に触れられるのも楽しいし、作画にしてもクライマックス時には劇場版もかくやという出来。馬越嘉彦をフックにすると、自分の目に快いアニメと出会いやすいのかもしれない。回想シーンの使い方がズルい、ボスの倒れ際にボスの過去を持ち出してくるというパターンが多すぎたとは思う。回想シーンの連発は構成力の弱さの露呈である、というのは何で読んだんだっけ。これは原作の進行をどれだけ再現しているものなんだろう。

 

そのまま最近のジャンプ作品に触れたくなって『ハイキュー!!』を観始めている。最近といってもハイキューは完結しているし、ジャンプの中の《流行の最先端》に、今ヒロアカはないのだろうとも思うが(人気とか作品としての質が雑誌の中で劣っている、と言いたいわけではなく、何というか時代性の話だ。連載開始時期にしろメッセージ性や表象的要素にしろ、鬼滅・呪術・チェンソーマンなどとは異なる)。

思ったよりヒロアカとキャストの被りが多くて楽しい。大声を出すシーンが多いという共通点はあるが、岡本信彦による爆豪・西谷の演じ分けが特に面白い。あと『この世界の片隅に』で痛感していたことだが、細谷佳正は落ち着いた声質とか気弱なキャラの方が、人の耳に残る質の声が出ていると思う。

バレーボールという競技の性質ゆえバンクシーンが多いんだなと思ったが、これはヒロアカを先に観ていたせいだろう。思えば少年マンガをアニメにする時、変身ヒーローもの・ロボットものと比べると、バンクシーンの使い方が案外難しいものなのだと気付いた。例えばバトルものにおいて、必殺技は話の華だ。アニメにおいても作画の頑張りどころということになる。

必殺技は華。つまりそれは、誰かを勝たせるためにあり、同時に破られるためにあるということだ。

 

よしながふみがかつて指摘したように、ジャンプのマンガは主人公が勝てるようにルールをいつでも変えられるように出来ている(太田出版(文庫版は白泉社)『あのひととここだけのおしゃべり』参照)。もちろん例外や大小の違いはあるが、勝敗を軸とする少年マンガにおいて、基本的に共通している力学だろう。

今、最もシンプルな意味合いで「強い」キャラを主人公にするというヒーロー像の設定に、ポップな求心力はそれほどない。才能や体格で他のキャラに劣るが、自分の個性を伸ばして打ち勝つ。そうしたストーリーラインにこそ、読者をひきつけるリアリティやカタルシスが見いだされ(がちになっ)ている。

よしながの言がフェミニズムからなるもの――そうして「勝つ」道筋が見つけにくい、様々な抑圧にさらされる少女という存在に、何らかの道筋を提示するものとして少女マンガはある――ということは明記しておきたい。この問題について色々思うことはあるし、ここから発進して『NARUTO』や『BLEACH』が『ドラゴンボール』から受けていた影響(ルール変更の根拠としての血統)について考えることも出来るが、今はヒロアカとハイキューについて書く。

ヒロアカではヒーローが人材として育成されていく様が描かれ、その中で「必殺技」は、キャラ自身の「個性(語義通りの意味でもあり、作中での特殊能力の言い換えでもある)」を、プロのレクチャーのもとで伸ばしたものだったり、敗戦やつまづきを課題としてクリアした結果だったりする。また主人公・デクは、能力が低い(「個性」がない)存在として表れ、ストーリーの中で最強とされる存在から能力を受け渡される。かといって、冒頭からデクが最強キャラとなるわけではなく、デクが能力に馴れていく過程、そして暴発した能力で成果を収めつつもその身が傷つくという過程を経ることになる。

「この力でいつでも勝てる」という設定はヒーローの絶対的な力の根拠たりえるが、下手な見せ方をすれば、主人公にご都合主義の札をかけさせて戦わせるのと変わらない事態を招く。ヒロアカはそこに「デメリットは大きいが、うまくやれば勝てる」というように束縛を設けることでスリルを保つ。そしてそれとは別に、「主人公の工夫と努力が、能力の自由度を向上させていく」というポイントで話が盛り上がる起爆剤も作っている。

いつの間にかヒロアカ絶賛記事になっていた。バンクシーンの話に戻るが、つまりヒロアカには(例えばかめはめ波・霊丸のような)お定まりのモーションがない。主人公を初め、どのキャラも能力を上げていく/ブラッシュアップさせていく時期にあり、動作やビジュアルの変化=成長のあらわれなのだ。バンクにし甲斐がない。かえってハイキューのようなスポーツもの、しかもサッカーやバスケのように流動的ではないスポーツだと、動作の再現性の高さが、成長とイコールになってくる。だからこそ変人速攻や強力なサーブといった、目立つ選手のその選手たるプレイのバンクシーンが鍵となってくる。

 

主人公には弱点を作れ、踵が無防備であってこそのアキレスだというのは昔からある鉄則の一つだが、主人公(たち)の弱点が「地力」になったのは、特にジャンプでスタンダードになったのはいつからだろうか? 自分の記憶だと、一番古いのは『スラムダンク』で、一番エポックだったのは『アイシールド21』かもしれない。スラダンには「粗削りだがツボにはまると滅法強い」みたいな形容が作中にあり、『アイシールド21』は一芸に秀でた者の集団が努力と奇策によって、地力や体格や才能で優るジェネラリストたちに抗い続けるストーリーだ。

 

あと昔一話だけ観ていた『NO.6』をまた一話だけ観て、音楽が鈴木慶一だと知ったのでちゃんと観たい。ここにも細谷佳正、そして梶裕貴が出ていて、何か意外だった。梶裕貴という人の声と名前を初めて認識したのは『イナズマイレブン』のはずで、イナイレの初回放送は2008年。『NO.6』の3年前だ。一ノ瀬と紫苑の間には、同じ役者が演じていることを疑わせるほどの波形の違いはないと思うのだが、『NO.6』を初めて観た当時の自分には気付けなかった。そういえば細谷佳正をちゃんと認識したのって何だっただろうか。『黒子のバスケ』か。

 

 

『夢九顆』

 私、知り合いが出てくる夢も、人が死ぬ夢もあんまり見ないんですけど、その時は珍しく知り合いが死んだんです。私、なんでかずっと、申し訳なさそうにしてて。周りの人からも、あんまり気にしちゃだめだよ、とかって、気を遣われたりしてるんです。そういえば、死んだ人とは全然別の知り合いからも、やたら慰められてたな。訳知り顔で。

 付き合いがあんまり深くない人が死んだんですよね。仕事でちょっと顔合わせる、香田さんって人なんですけど。水町さんっていう、業務上よく話す他部署の人がいて、香田さんは水町さんの隣の席なんです。だから私が顔を出すと、香田さんもそばにいることが多くて、水町さんとも割と親しそうで、私にも挨拶してくれるし私も挨拶する、ぐらいの関係で。全然知らないんです、趣味とか、出身とか、何も。人当たり良さそうだなとは思うけど。この「良さそう」が、もう、よく知らないってことですよね。

 お葬式とかじゃなかったんだよな。会社でした。レイアウトが本当のオフィスと結構違ったから、実際の風景とごっちゃになって、ちょっと曖昧ですけど。いつも通り出勤したら、香田さん亡くなったって、って上司から言われて、初めてそのことを知るっていう。多分、私はそのとき、私を外から見てる感じで、上司から報告受けてる私とおんなじじゃなかった感じなんですね。だから上司と向かい合ってる私は神妙にしてるんですけど、この私、何て言うんだろ、今の私……あ、素の私? 素の私は、えー何がどうなっちゃってんの、って感じなわけです。で、そう言ってすぐ上司は、あなたが責任感じる必要はないとか、今日は有休扱いにするから帰ったら、とか言ってくれるんです。優しすぎるような……同じことが起きたら本当にあれぐらい言ってくれたかな、って感じですね、今思うと。まあ、死に方によるか。実際だったら。

 そこからは、時系列がぐちゃぐちゃになった感じで。実家帰ったり友達とご飯行ったりするんですけど、なんか皆、香田さんのこと知ってて、皆同じように慰めたり励ましたりしてくれるんですよ。でも、私からは誰にも話してないんです。それなのに、絶対香田さんと交流ないって人も、何か事情が分かってるんです。誰にも話してない、っていうのは、素の私の考えじゃなくて、夢の中で、なんていうか、そういう設定で、それが分かるんです。私が伝えなくても皆分かってるんだなあって納得してるんです、私自身。皆も、聞いてないけど知ってるからね、って感じで話すんです。それが分かるんですよ。今思えばそれが気持ち悪いんですけど、その瞬間の素の私は、そういうもんか、みたいに思ってて。でも結局、香田さんがどう死んじゃって、私がそれにどう関わってるのかは出てこないんですよね。

 でも、そのあとも香田さん、普通に会社いるんですよ。仕事してるんです。時系列ぐちゃぐちゃって言っちゃうと、生前に戻ってるんじゃないのかって思われるでしょうけど、確実に死んだ後なんです。水町さんのところ行ったら、いつも通り香田さんもいて。気にするなとか散々言われたせいか、何か私、こっちから謝るのも違うんじゃないかと思ってて。普通の挨拶しかしなかったんです。まあ、声とかお辞儀とかに、何かしら込めたつもりではいるんですけど。香田さんも、っていうか、どっちかっていうと香田さんの方が恐縮してる風なんですよ。こう言えば伝わるよね、みたいな調子で、気にしないで、って言ったんです。挨拶とか仕事上の話の合間に挟む感じで。その時、何かすごくホッとしたんです。ああ、香田さん死んじゃったけど、本人がこう言ってるんだから、気に病む必要ないんだって。

 私のせいで死んだのかもしれない人に許されて安心するって、思い返してみれば、すごいことだなと思います。人が死んで何がきついって、確認が出来なくなることなんですよね。確認って、誰もが大事にしてることだなって。どんな生き方してる人でも。ずっと何か確かめたり念押ししたりしないで平気でいられる人って、多分いないんじゃないですかね。その人が死ぬと、その人にしか出来なかった確認が、永遠に出来なくなるわけじゃないですか。仕事のことだったら、昔の記録とか、同じように詳しい人の力で、死んだ人の代わりが利く、利いちゃうわけだし。利いちゃうのも悲しいけど。

 私に対するポーズとかかもしれないけど、何か訊いたら相手が何か返してくるって、良いよな、って思います。だからあの夢忘れられない。結婚した決め手の一つですね。まあ割と。

 

 

 

 電車乗ってる時に、電車乗ってる夢見たことがあるんですよね。座ってる時に寝ちゃってて、その間に。起きた時はちょっとテンパりました。

 窓とか扉がない……側面の壁が全くない電車で。椅子には背もたれが付いてるから、座ってて転げ落ちることはまずないんですけど、本来ドアがある所とかに立ってる人は危ない。すし詰めって程じゃないけど、何か人は結構乗ってましたね。椅子は全部埋まってて、自分も座ってるんですけど、目の前にも人が立ってて。ちょっと離れてる所に、杖突いてるお爺さんが立ってるのに、誰も席、譲んないんですよね。一歩間違えば大事故なのに、と思いながら、自分は声かけずにいました。夢じゃなくても、あるじゃないですか、そういう間合い。ああいう感じで、むかつくんだけど、自分も何もしない、っていう。席を立って、そのお爺さんの所に行くまでに誰かが座っちゃうよな、とか考えたりして。天井はあるから、吊り革もあるんです。でも、お爺さんは掴んでなかったな。

 電車は普通のスピードで走ってるのに、風は全然感じませんでした。夢だからイメージ出来てなかったんじゃないと思います。ちょっと顔を向けて、本来窓があるべき所を越えるか越えないかぐらいまで首をひねって、外を見ようとしたんです。その時、風感じないなあ、って思ったんで。外の風景は、何か、住宅街みたいでした。多分。色がないわけじゃないんですけど、大体クリーム色とかグレーとか、あんまり主張のない感じで、屋根だと思うんですけど赤とか青とか、赤茶が入って。あ、あれ瓦の色だったのかな。新しい家の屋根材って、そういう色じゃないですよね。うーん、でも、戸建ての屋根の色なんて、いちいち見たことないかもしれない。

 それで、線路が、ずっと平面走ってるわけじゃないんですよね。ジェットコースターみたいにアップダウンするんです。その時の揺れ方が気持ちよかった。ふわふわして。立ってる人も誰もよろめかないんです。

 夢って、硬い感触がなくなりませんか? 何かとぶつかったりしても、触れた瞬間の感触がゼロで、後に残ったものだけしか感じられない、音じゃなくて余韻とか残響しか聞こえない、みたいな。音とか声はクリアに聞こえることがあるけど、痛みとか熱さとかって、いつもぼんやりしてる。世界から硬さがなくなったら……じゃないな……。世界じゃなくて……そう、人が硬さを感じられなくなったら、夢の中みたいな感じ方になるんじゃないかな、って思います。金属を触っても、木を触っても、骨に触っても、硬くなかったら。そもそも、硬いものを触って、硬いって感じないって、どういう気持ちでしょうね。神経の損傷とかで、そういう後遺症、あるのかな。

 そういえば、駅は普通にありましたね。壁もドアもないけど、みんな駅に止まるのを待って、ホームに降りてました。

 

 

 

 ビュスコジンを加工する工場で働いてる、っていう夢が、何かずっと記憶に残ってますね。ビュスコジンって何だよ、って感じっすよね。ビュスコジンって、超便利な糊みたいなもんで、よっぽど重くなきゃくっつけてぶら下げられるような素材なんです。でも、人が力入れて剥がそうとすると、どういう理屈でか簡単に剥がれちゃうから、色んなものがそれで接着されてんすよ、その世界だと。サラダチキンとか裂けるチーズの包装もそうなら、ワンパケの中にちっちゃい個体がじゃらじゃら入ってるようなのも、パケの中でくっつけて、ピチッと包装して流通するようになってましたね。ネジとかビスとか。ピアノとか美術品とかもそうだったな。振動で壊れるのをうまいこと防ぐみたいで。ビュスコジンは温度で粘度が変わるもんで、そういうものを輸送するコンテナには、液体みたくなったビュスコジンを溜める、ちっちゃい仕切りとか窪みがあるんすよ。

 そういう素材の工場の、ライン長みたいなのをやってました。つっても、自動化されてる感じだったから、保守点検とか、生産量と出荷量のチェックとか、通り一遍の品質検査とか、何かそんなんやってたんだと思いますけどね。夢の中の数値を点検して、いつもと違うな、異常あんなって思う時の手応えって、何かヘンっすよね。夢にヘンもクソもないかもしんないけど、何かヘン。過程すっ飛ばしてるのが分かってるのに、出てる結論は疑いようがないって感じ。あれ面白いっすよね。

 あんま面白くないのが、ビュスコジン、って言葉は、夢ん中で降って湧いた言葉じゃないってことなんですよね。ずっと前に自分ででっち上げてた言葉なんですよ。「たほいや」って知ってます? あのゲームしてて、全然聞いたことないワードが出てきた時、その説明するのに適当に考えた奴なんです。しかもそん時は、素材とか用剤みたいなつもりで言ったんじゃなくて、何か毒だか麻薬成分だかのつもりで言ったはずなんですよ。それがポコッと出てきて糊の名前になんのかよ、って自分でも思うんですけどね。

 何かねえ、あの工場のライン、何とも言えないにおいがしてたんですよ。妙に現実っぽいのが、ライン工やってる人らに、外国人が多いんですよね。普段の仕事でそういう人たちと関わること全然なくって、それこそコンビニとかメシ屋の店員やってる人しか見たことないのに、すごいフレンドリーにその人らと喋ってて。話す内容も、浅い付き合いじゃ話さないようなことばっかなんすよね。

 具体的にどういうにおいっていうのは難しいんですけど、いわゆるケミカルなにおいで。食うもんとか香辛料の文化の違いがあるから、ダメな人と大丈夫な人、国ごとに違ったりするかなと思って、皆あのにおい、どうなの? キツくない? とかって聞いたら、そのうちの一人が、自分の故郷には違法廃棄物の山があって、化学反応起こして小火がよく起きるからすげえ臭いんだ、そこに比べればまだマシだ、って言うんです。同郷の人はいなかったから、皆へーってなって。で、後で知って驚いたんですけど、フィリピンにそういう所、本当にあるんですよね。スモーキー・マウンテンっていう。

 フィリピンのその地域のにおいのことまでは知らないけど、一回行ってみたいんですよね、フィリピン。料理も多分好きなんですよ。甘酸っぱ辛い味で米食うあの感じ。

 

 

 

 城だか屋敷だか分からないんですけど、ロシアかヨーロッパか、とにかくそういう印象の、荘重な建物にいました。色のある夢も普段見るんですけど、その夢はモノクロだったような、ただそういう色合いのものしか目に入らなかっただけのような……。

 有名な建築を見学に行ったというよりかは、そこに実際に人が住んでいて、主を訪ねて行ったんだと思います。演劇とか映画を夢に見ていたのか、とまで考え出すと、きりがありませんが。ただ少なくとも、宴会とか式典があった様子ではありませんでした。そういう催しの会場になってもおかしくない建物でしたが。会食の場面なんかもなかったですし、恐らく客が入ってはいけないような所も通ったんですが、忙しく立ち働いているような人たちもいなかったので。

 貴族風の衣装を着た人たちばかりではありました。建物の造りや調度から察しはついていましたが、高貴な人物の住まいだったのでしょう。

 時代設定、と言っていいのか分かりませんが、どういう時代設定だったのか、トイレがありませんでした。用便のためのスペース自体、一切ないんです。だから廊下であろうが居室であろうが、催したらその場でする、という風でした。完璧に身づくろいした見目麗しい人たちが、ふと席を立ったと思ったら下を脱ぐ、という。男女の別もなかったですね。

 私はその光景を夢に見ているので、悪臭であったり、その時の音であったりを感じはしないんですが、当然「あのままにするんだろうか」とは思うんです。すると、その貴族風の人たちは、どこから取り出したのか花を一輪、薔薇のような茎が長くて花弁のかたちが良い花を一輪手に持っていて、自分が排泄したものにそれを投げるんです。

 それで事が済むようでした。衛生的にも、臭いの面でも。中を巡っても庭を巡っても、汚物の溜まりがなかったことから、花のおかげで清潔になったものを、誰かが片付けていたのかもしれません。もしくは、花が分解するのか。

 花で何かが解決する、というのは願望の暗示みたいではありますが、あまりそこから何か読み取ろうとはしたくないですね。汚物を花が綺麗にするというイメージなんて、自分の単純さとか短絡さを表してるみたいで……。それより、あの貴族風の人たちが、誰も私を気にしなかったことの方を考えました。時々、夢の中で、人格ではなくカメラになる時があって。夢の中の人物には私が見えているけれど、私からは人物が見えている、というシチュエーションです。カメラと言えばいいのか、幽霊と言えばいいのか。人の糞便をつぶさに見たい、という嗜好はありませんが、自分が視線だけの存在だったなら、どんなものでもまじまじと観察したいものなのかもしれません。

 

 

 

 誰でもそうじゃないかと思いますけど、何かを隠蔽しようとする夢が、記憶に残ってますかね。よく見るというか、記憶に残らない夢もたくさんあるらしいから、それが際立って印象的に思えるんでしょう。色んなレベルでありますね。ちょっとしたミスを隠そうとするのもあれば、犯罪を隠そうとするのも。

 万引きって、生まれてこのかた一回もしたことがないんですけど、夢の中でだけはあります。一番印象深いのは、その夢かも。

 スーパーかデパートの食料品売り場みたいな所でした。買い物には、よく母親に連れられて行ってましたが、馴染みの店がそのまま夢に出てきたのではありませんでした。そもそも棚から何から、現実離れしてましたし。よく連れ立って買い物に行っていたのは小中の頃までで、高校に上がってからは、一緒にスーパー行くようなことはなくなりました。別に仲が悪くなったわけではないんです。買い物が必要なら私一人で行くとか、母が買い物に行くんなら、私は別のことをしてる、手伝いが要るなら別の家事をしてる、ってなっただけで。

 夢を見たのは、大学に入って、下宿を始めた後です。夢の中では、母とよく買い物に行っていたような歳、小学生そこそこの歳だったと思います。母と私の背丈の違いだけしか、ヒントがありませんけど。

 棚が直線では出来ていない店でした。冷蔵ケースもぐにゃぐにゃしてて。ぐにゃぐにゃと動いてたわけじゃないんです。全部曲線の部品で出来ているだけで。当然、棚には無意味な空間が出来ていて、分類も分かりづらいんです。でも、母も周りの人も、特に困っている感じはなくて、何気なく商品を手に取っていました。私は変だな、何でこんな非効率的な陳列なんだろう、みたいなことをずっと考えながら、母に付いて回っていました。空間が空いている無駄を補うために、どの棚も高くて、私の背では上の方の様子がよく分からないぐらいでした。

 そのために、ということなのか、私みたいな子供が欲しくなるものは棚の下の方にありました。お菓子とかです。……今話してて思いましたけど、あのとき私、本当に心から子供の「つもり」だったんですね。盗んだのは、実際、お菓子なんです。小学生の頃、私、すごく嫌な子供というか、生意気で、児童向けのアニメとかを避けてたんです。どこかで販促とかのことを知ってたのかな。一年スパンでアニメとか特撮が終わるのは、一年ごとにおもちゃを買わせる戦略があるとか、そういうこと。大人が子供に見せようとしてるものだから、きっとどこかにずるさがあるんだ、って思ってたんです。だから可愛いとか格好いいとか思っても、すごく避けてました。そのせいで友達と話が合わなくなってもしょうがないと思ってましたね。事実、小学生の頃って、そういう話をすると輪に入れないようなグループにはいませんでした。いなかった、じゃなくて、いさせてもらえなかった、ですね。

 観たことのない女の子向けのアニメの商品でした。実在してない作品のはずです。少なくとも、子供時代から夢を見た時期に至るまでの間には。ラムネとかキャラメルとかみたいな小さなお菓子なんですけど、おまけが入ってる分だけ箱が大きい、本当にありふれた形態のやつです。三人ぐらいキャラクターが描かれてて、それぞれ女の子受けしそうに基調色がバラバラでした。真ん中の子がピーコックグリーン、両サイドの子がそれぞれスカイブルーとパステルピンク、みたいな色。ピンクがセンターじゃないのが洒落てる、と思ったんですよね。衣装から何から、うまく外してる感じなんです。ブルーの子がキュート担当っぽい表情なのにこざっぱりしたショートヘアで、ピンクの方が何か凛とした感じで。主人公っぽい緑は中庸って感じ。それがすごく良くて。子供の時の私が見ても、同じように感じたんじゃないかと思ってます。

 ねだった物は100パーセント買ってもらえないわけじゃなかったので、もしかしたら「欲しい」と母に言っても、「珍しいね」とか言って買ってくれたかもしれません。でも、買っちゃいけないものだ、と思ったんです。恥……恥の意識だったのかな? とにかく、手に入れるなら誰にも知られちゃいけない方法でだ、と強く思いました。具体的な根拠はなかったんですが、こうすれば母にも気づかれないし周りからも手元が死角になる、という計算をしながら、商品を着ていたもののポケットに入れました。

 それからも母は普通に買い物を続けるんですが、私は気が気じゃありません。早く店から出て、自分の部屋で一人になってから、箱を開けたかった。でもレジまで行ったら、店員に近づいたら万引きが露呈するような恐怖もあって、いつまでもこの時間が続けばいいのに、という思いも同時にありました。

 結局、店内を出ないうちに目が覚めました。春、まだそんなに暖かくもないうちに見た夢だったんですが、いつもよりずっと早い、まだ日も出切っていない暗い時間に汗だくで起きました。しばらくどきどきしていました。

 あのお菓子の、箱が欲しかったのか、おまけが欲しかったのか、よく分かりません。もしおまけが欲しかったんなら、あのお菓子のおまけって何だったのかな……。夢の中では、そこまで見て盗んだんだと思うんですけど。

 

 

 

 味の裏側を感じた夢かな。

 うーん、言葉で説明できないんですよ。口に入れて感じるものが味の表で、それとは別の味もあるのが分かる、っていう。甘さとしょっぱさとか、酸味と苦味とかを同時に感じるんじゃないんです。塩を舐めるとするじゃないですか。舌にしょっぱさが広がりますよね。そのしょっぱさの裏側に何かあるのも分かるんですよ。

 めくってる感じです。舌が。味を。繰り返しになっちゃうんですが、しょっぱさの中にも甘味が、みたいことじゃなくて。目に何かが見えるとか、香りとか、そういうのでもないです。だめだな、やっぱ同じことしか言えないですね。とにかく味に表裏があって、それが面白いからずっと何か食べてる、で、表の味はそっちのけで裏ばっかり気にしてる、っていう夢なんです。何食べてたかさえ、よく覚えてないけど。

 共感覚って知ってます? 割とあれ、ある方なんです。今でも覚えてるのが、初めてレトルトのミートソース食べた時のことで。家ではミートソースって母が作るもので、子供のころ全然食べたことなかったんですよ。小五の時に、修学旅行じゃなくて、あれ何て言うんですか、校外学習? 泊まり込みの行事の時のお昼に、どう考えても茹で置きのスパゲッティにレトルトのミートソースかけただけのやつが出たんです。すごくお腹減ってるスケジュールだったのに、残す子が何人もいるような出来で。

 それが、何ていうか、銀色の味だ、って感じたんです。舌が銀色を感じてる味。食べた後に水を飲むといっそうひどくて、舌と口全体で銀色を感じてるみたいでした。その時は、皆して隣の子とひそひそ「まずいね」って言いながら食べてる感じで、私もそのノリで「銀色の味するね」って言ったら、仲良しだった子に「は?」って言われて。それまでも味に色を感じることはあったんですが、小学生ぐらいの時って、これおいしいね、って自分から話題として出すこと、あんまりないじゃないですか。友達と給食食べるにしても、家でご飯食べるにしても。それ以来、味の色の話はしなくなりました。

 あの夢も、もしかしたら色を見てる夢なのかな。そう言ったらそうなっちゃう感じがする。違うな、色じゃないですね。裏なんです、裏。

 

 

 

 友達と夜道を歩いてるんです。よく知ってる仲の良い子、っていうか好きだった子です。付き合いはしてません。告白とかもしてないです。友達の友達って感じで知り合った子で、よく一緒に遊ぶとか、飲み屋とかクラブに行って会うことはざらにあるけど、二人っきりで会ったことはなかった。今思い返すと、本気で付き合いたいとか、恋人になりたいって、本当に思ってたのかな。間違いなく好きだけど、自分が入ってる輪の中にその子もいればそれでいい、って感じの子。お互いフリーだって明確に分かってた時期もあって、そういう選択肢もあると思ってたし、向こうからも悪くは思われてなかったとは思うけど、そういう雰囲気になったことは一度も。どうだろう? これで実際は、向こうからしたら全然そういう対象とかじゃなかったら、ダサいことこの上ないですね。

 そんな子と夜道を歩いてるんです。明晰夢をよく見るんですけど、その時もそんな感じでした。だんだん夢だって分かりながら、その時の自然な感じのノリで会話を。その子と会うような場所ではなかった。かなり都心から離れた郊外の住宅地って感じでした。何でこんな場所を歩いてるんだろう、どこに向かってるんだろうと思いながら、本当に何気ない、共通の友達の話なんかをして。場面は何回かジャンプしました。多分深夜で、もう閉店してる店ばかり目に付いて、かといってコンビニやファミレスはあんまりなくて。それでも自販機で何か買ってちょっとベンチで休むとか、やっと見つかったコンビニっぽいところでトイレを済ませたりとか――コンビニかどうかもよく分かんないです。夜道からコンビニに入るとあんな感じに明るくて白い、っていう空間で、お互いトイレに順番に入って出ただけなんで。どっちかが肉まんとか唐揚げとか買ってれば、そこはコンビニだったんでしょうけどね。

 そこを目指してた感じじゃないんですけど、海岸通りに出ました。その場面に長く留まって、その途中で目が覚めたので、海辺だったのはすごくはっきり覚えてます。堤防みたいなところに二人で登って、道路と砂浜の境界にあたる所を歩きました。二人横並びになれるほど堤防のてっぺんは広くて、厚みが持たされた分、ということなのか、砂浜までは結構落差がありました。夢だけど考えは割とはっきりしてるから、ちょっと怖かった。その子は平気で歩いてましたけど。

 砂浜だ、海だって分かってて、潮の匂いもするんですけど、水がないんです。そもそも夜だから、どこまで見渡せてるか分かんないけど、とにかく水はなくて、波の音も当然ないんです。高い所を歩いていることより、それがすごく恐かった。地上にいるのに、すぐ向こうに宇宙があるみたいな感じなんです。でも、その子は平気で海の方を見つめてたりする。海水がない、って口をついて出たんですけど、そしたらその子が当たり前って調子で、だって海は月になっちゃったじゃないですか、って言うんです。

 空を見上げると、月は浮かんでいました。そんなに太くない、三日月に近い形なのに、どうにも明るすぎる気がしました。街灯で照らされてない所、それこそ砂浜も、そういえばよく見えるなって。月にある海の水が、光の反射率を上げてるのかもしれないと、何だか素直に納得しました。水のない海って宇宙みたいだね、どこも宇宙になるんだね、って言ったら、そうですねえ、って返ってきました。それが、本当にその子が言いそうな言い方でした。

 

 

 

 信じてもらえないと思うんですが、夢を見ている途中に、夢でも現実でもない所に脱線したことがあります。だから厳密に言えば、それは夢の話じゃないんですけど、でも、夢から始まったことですから、夢の話ってことにしてください。

 最初、学校みたいな場所の廊下を歩いていた気がします。役所って言われたら役所みたいな、事務的で無機質で、窓がある、どこにでもありそうな廊下です。その前にも多分、場面みたいなものがあったと思うんですけど、それは覚えていません。

 普通に廊下を歩いていた視点がいきなり、ガクン、と右下に振られました。左から誰かに体当たりされたみたいな、突然のことでした。そのまま落下していくような、浮かび上がっていくような、不安になる体感がずっと続きました。視覚がまともに働き出したのが、視界が振られてすぐのことなのか、しばらく経った後なのか、よく分かりません。何を見てるかよく分からないんです。目をつぶってまぶたを押すと、何かチカチカしたものが見えるじゃないですか。光ってる砂壁みたいな像が。子供のころからあれが好きなんです。ロベルト・マッタという画家が、目をつぶった時に見えるものをモチーフにして『吸引の芽』という絵を描いてるんですが、初めて見た時は泣きそうになりました。その像を人も見ているのだと分かった気がして、それが何だかとてつもなく嬉しくて。

 とにかく、ああいう抽象的な光の中を、上下左右の感覚もないまま漂ってるんです。初めて夢の中で思い通りの動きを取れました。指も首も、目覚めている時と同じように動きました。でも、進むことは出来ない。上下左右どころか、そこに何があるか、何かあったとして自分との間に距離がありそうなのか、それさえも掴めないんです。

 そうしたら突然、何してんの、こんなとこ入って、駄目だよ、という声がしました。声の方を振り返ると、ものすごく眩しいのに自分の目には光が届かないようにしてくれているから直視できる人がいました。不定形の内容物が光っていて、そこに鋭利に尖っている黒とか銀色の無数の棘が突き刺さってる、みたいな見た目でした。楕円体のようなフォルムで、四肢はないのに、これもまた人間の姿なのかもしれないと思わせるような起伏や、雲丹とかの海生生物のような棘のうごめきが、その人を生物らしく見せていました。どこから声を出しているかは分かりません。声に同期して動く部位はありませんでした。

 私が振り向くと、その人は怪訝そうな態度を取りました。それから、ずいぶん言葉を選んだ感じで、夢はあっち。現実はあっち。言ってる意味分かる? と言ってきました。あっち、あっちと言う時は、その人の体が隆起して方角を示して、隆起した部分の光が強まりました。夢と指された方へ行ったら、何か良くないことが起きる気がしたのと、その前まで見ていた夢が大して面白そうなものではなかったことから、私はその人にお礼を言って、現実と指された方を向きました。すると、そちらを向いただけで、自分の体を進めようと思ったわけでもないのに、何かが急速に近づいてくるのが分かって、それが目の前まで来た、と思った瞬間、目が覚めていました。

 ここには残れないんですかと、あの時あの人に聞いていたら、何がどうなっていたんだろうって、ずっと気に掛かってるんです。全部ひっくるめて夢だろ、って思われてるでしょうね。やっぱり話すんじゃなかった。

 

 

 

 気付いたら服が汚れてる夢ですかねー。

 仕事で着るワイシャツが汚れてることもあれば、私服が汚れてることもあります。汚れ方もバラバラですね。生姜焼きとか焼き鳥のタレがこぼれたみたいな茶色いのが腹全体にベターっと付いてるとかもあれば、緑色のチョークの粉みたいのがあちこちに付いてるとか、いつの間にか血みたいなのが飛び散ってるとか。

 覚えてる限り、夢では必ず服が汚れてるんですよね。でも何で汚れたか、一度も分かったことがないんです。