キャベツは至る所に

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『ジャスト・リッスン』

 アコースティックギターに深いリバーブがかかっている。長く続く残響に合わせたゆっくりとした指弾きは、聴く側を焦らすほどなだらかな起伏しか描かないが、その退屈さすれすれの遅さに色気がある。一曲目の出だしで、こうも遅く、そして歌をなかなか入れず、それでいて決して陶酔的な表情は浮かべずに弾き続けられる人はあまりいない。

 若そうな男の子だ。若く見せる造作の顔、ということもあるかもしれないが、二十歳と言われても驚かない。はったりに過ぎない鮮やかさをもたらしてしまうとしても、技巧に凝る楽しさ、知識を詰め込む楽しさ、そうした快楽に溺れている――それが快楽だからこそ次の段階へのステップになると疑わずに弾く、そういう凡庸さが似合いの歳に見える。しかし、そうは弾かない。

 エゴの奔流がしぶきを散らすような歌は、決して歌わない人だろう。その予想は裏切られなかった。長いイントロの後、さりげなく始められた歌の歌詞は、気持ちを言い表さず、人も登場せず、目に映る物ひとつずつにピントを合わせていくだけという内容で、徹底した飾り気のなさが却ってわざとらしくもあったが、それを差し引いても歌が良い。ただ、寓意の毒や、機知縦横な言葉遊びで歌を立たせようとしていたなら、こんなにじっと聴けなかっただろう。そもそも、毒や捻りで聴衆を魅せようとした途端、こういう歌はつまらなくなってしまう。

 ギターに合わせたリバーブをボーカルマイクにもかけて、低く、長く、ゆっくりと歌う。慎重に歌わねば音を外すのであろう箇所で、短い間、目が閉じられ、眉根に皴が寄る。歌うのが好きとか、旋律を奏でるのが心地良いとか、そういう肚が見えてこない人物だった。音そのものは明確な方向を持つが、意識やまなざしの向いている方向が見えない音楽家は時々いる。彼らは例外なく、頑ななものを宿した音楽をやる。彼もそうだった。その頑なさにやっと若さを見つけた。

 

 他に三組の出演者がいたが、彼の印象がいちばん強く残った。トリを飾ったバンドがアンコールをやらなかったので、すぐに会場を離れた。平日の夜だからかもしれないが、彼らの演奏が精彩を欠くものだったからだとも思えた。事実、アンコールの拍手もまばらだった。これまでに何度か観たことのあるバンドだったが、もっと均整の取れたアンサンブルが聴けた時もあったし、各自の音量のバランスも、いつもより良くなかった。うっすらとした幻滅が、弾き語りをしていた彼を守るように心に広がって、実際以上に彼を良い演奏者だと思わせている。

 良いイベントではなかった。だからこそ、帰路を進む足取りが爽やかなものになっていた。身体にまとわりついていた音楽の粉が、夜風で小気味良く散っていく。音が響いていた時には、その中にいることがちっとも嫌ではなかったのに、今ではそれが離れていくことの方が心地良い。

 いつもいつも、ていねいに良し悪しを見定めて、良いものだけに浸っていたいわけじゃない。乳児がリモコンをかじったり、書くこともないのにボールペンをノックし続けるようにして、音楽を聴く時もある。良いと思うものだけに触れ続けていたら、何かを発見する面白さより、中毒の危険の方が際立ってくる。

 最寄り駅に着き、駅前のチェーン店で、酎ハイと一緒に安いラーメンを食べる。そうしながら、さっき観た人たちに覚えた印象をケータイで書き飛ばす。出てきたものを平らげ、食休みをしがてら、書いたものを見直し、メールとして送信する。そうやってブログの一記事として投稿する。明日も仕事だから、あとは帰って寝るだけだ。

 

 昼休みに孝介から連絡が入っていた。休み時間が終わりかける時の着信で、気付きはしたのだがちょうど同僚から話しかけられたこともあり、読まないまま終業時間まで働いた。内容には察しが付いていた。新しいブログ記事への何らかの反応だろう。

 仕事を終えて一人乗り込んだエレベーターでケータイを見ると、実際きのう書いた文章への言及はあったが、今晩飲まないかという誘いも綴られていた。これから孝介と飲むこことを考えると、その時間が来る前から少しうんざりするような心地もあったが、昼から今まで待たせたことや、うんざりはするだろうが話したいという気持ちもあり、いちいち全部の考えを天秤にかける前に、OKの意を示すスタンプを送っていた。僕がこれだけ待たせたのに、向こうからの返信は恐ろしく早かった。僕は最寄り駅に停まる電車には乗らず、孝介の待つ飲み屋街へ向かった。

 駅近くにある指定された居酒屋に、孝介は先に入っていた。安い店なので、フリーターの孝介とも入りやすく、よく使う。週半ばということもあるのか、七時過ぎでも空席があり、孝介も堂々と四人掛けのテーブルを使っていた。孝介はこちらに気付くなり手を振ってきて、僕が上着を脱いでいるうちに、僕の分までビールを注文した。礼も文句も言わないまま乾杯をすると、先に何杯飲んでいたのか知らないが、孝介は僕に近いペースでジョッキの中身を減らした。

「珍しくない? 弾き語りの子、あんな褒め方するの」

 孝介もあの若いシンガーソングライターには一目置いているらしく、僕の感想を正確に引用しながら、彼なりの評価を流暢に語った。その着眼点や言葉選びがどんなものであるかより、あれほど粗雑な僕の感想をだしに、よくこんなに楽しそうに話せるものだということに感心してしまう。ビールと一緒にお通しとして出てきた切り干し大根を一口食って、もらうぜと一言断ってから、孝介が頼んでいたシシャモフライをかじる。

「潤さんはさ、やっぱバンドの人って印象だから。ああいう子をあんな褒めるの、意外。色々聴くって分かってっけどさ」

 一連の会話の中で、孝介は複数回そういうことを話した。彼の中で、そういう印象が凝り固まっていることは百も承知だったから、愉快ではないが、今更やめろとも言わない。

「別に今、バンドばっか聴いてるわけでもないよ。一番買ってるの、たぶん今テクノだし」

 それでも、これぐらいの反論はする。実際、中古屋へ行っても、ロックやパンクの棚を見る時間は昔より減っている。

「そういうことじゃなくてさ、何て言うの? 血? 潤さんの血の話」

 お得意の言い回しだ。こういう言葉遣いにずっと付き合っていると気が滅入る。反射的に浮かべた愛想笑いを、誇らしさか、もしくは面映ゆさの表明と勘違いしたのか、孝介が饒舌になり始めたので、僕はちょうど話題に上がったシンガーソングライターの話を膨らませて、矛先を逸らした。

「いや、彼は何か、老練してる感じがめちゃくちゃ良かったんだよ。あんな若そうなのに、何か風格があって、しかもわざとらしくなくて。素が落ち着いた性格なのが、歌にも出てるみたいな感じだった」

「あー、そうだね」

「普通にピックアップつけてエフェクターも噛ませたら、面白い音出しそうだと思ったけど、そういうエレキギター方面のこと、全然やってきてないのかね。そもそも歌からして、バンド上がりの感じが全くなかったけど」

「うん、俺が観た時もフルアコだった。確かに、DTM出身って感じでもないし、根っからフォークって感じもないんだけど、バンド感はもっとないよね。本当にギターと歌だけでずっとやってた、って感じ。バカテクな弾き方したそうな感じも全然ないもんな。でも、そうっすね、潤さんの言う通り、ギターの音色が色んな感じでさ、歌の録り方とかエフェクトも曲によってちゃんと違う仕上がりだったら、たぶん今の時点でも、音源、ヤバい出来になるよね」

「そう思う」

 話がうまく逸れたのと、合意を得たいところで合意を得られたのと、ようやく会話が楽しくなったという嬉しさから、やっとビールの喉通りが良くなった。

「そんでさ、あの子、歌、大してうまくないじゃん」

「そう。そこが良い」

 そう、孝介の言う通りだ。世に言う歌唱力――音程を正確にとる力、声量、フェイクのキレ、そういうものは彼にはない。しかし、そういうものが、歌にとっての贅肉にしかなっていないことなど、ざらにある。彼は歌うのが上手くはない。ただ、歌うという作業は、彼がその目に見ている豊かさや美しさを詞とメロディに封じ込め、それらを損なわないリズムを見つけた末に、歌を聴き手に引き渡すための最後の工程に過ぎない。彼はその作業を、出来る限りていねいに遂行していた。だからこそ、冬の野に立つ枯れ木のような寂しさを醸せていた。彼は歓喜でも義憤でもなく、寂寥とか無常についてばかり歌っていた。違う言い方をするなら、彼は歌が上手くはなかったが、彼の歌を歌うのは実に上手かった。つまり、歌手として魅力的だった。

 彼個人について話しているうちに、だんだんアシッドフォークの話が膨らんでいった。その辺りは孝介より僕の方が多少明るく、彼の好みも気にしつつ何枚かのアルバムを紹介した。そうして何杯か飲んだ後、ラーメンでも食って締めないかと誘われたが、昨夜もラーメンだったと断って、まだ早いうちに孝介を帰し、駅から離れた中古屋を一人で覗いた。単なる酔い覚ましぐらいのつもりだったが、前から探していた盤が二枚も見つかって、調子に乗って閉店間際まで棚を見続けてしまった。思わぬ出費と夜更かしになったが、確かな充実感があった。

 

 金曜は酒を抜いたのに、土曜日は体調があまり優れず、寝たり起きたりしているうちに終わった。その甲斐あってか、明けた日曜は調子も良く、そのうえ快晴だったので、思い切り遊ぶことにした。

 主旨はフード出店だがフリーライブも催されるというイベントへ出かけた。会場は都心から離れた緑地公園で、元々は気が向いたら行こうという程度の腹積もりだったが、今日日の出店商売はこんなに多国籍化しているのかと驚く内容で、食事もけっこう楽しめた。

 出演した二組とも、機会があれば積極的に観に行っているバンドで、音響の点にしても表現の性質にしても、野外が似合うと思っていた。やっと外で観る機会に恵まれたが、想像以上の相性の良さだった。ひと組目には管楽器とパーカッション、ふた組目にはドラムが入っていたせいもあって、僕のように演奏や何かの細々したところを見ようとする輩ばかりでなく、小学校に上がっていないような子供が何人も、芝生で踊ったり、踊った勢いで転げていたりした。そういう光景に支えられて、やはり野外で鳴るべき音楽というものがある、という実感を強く抱いた。

 親子連れは車で来ているようだったが、僕同様に、電車で遊びに来て酒を飲んでいる人も多そうだったので、混雑を避けようと、ライブを観終えた日暮れ前、すぐに帰路へ着いた。明日から、また一週間の仕事が始まる。

 

 ブログは時々読み返す。照らし合わせのためだ。

 嫌いにならなかったミュージシャンが、一番記憶に残らない。だから、そういう人を二度目に観た時、こう思う――このぼやけた感動は初めて味わったものではない気がする、しかし、いつどこで観たのだっただろうか――そんな時に、演者の名前を記したテキストを残しておくと、答え合わせが出来る。

 すばらしい料理をごちそうになった記憶や、麦茶だと思って麺つゆを飲んでしまった時の記憶なんかは忘れない。何かの折に人に話すことさえある。自分で適当に作ったうまくもまずくない食事のことは、思い出すこともしないし、自分から話すことなどない。

 度肝を抜くパフォーマンスをされれば当然、名前も、ビジュアルも、メロディやリズムの細部も覚えている。そのとき客席にどんな奴がいたかまで覚えていることだってある。総じて癇に障ったが、この曲のここだけは摩擦なく自分の中に入ってきて、しっかり受け取ってしまった、なんてことも時々あって、その記憶だけが全く風化しなかったりする。そうした一方で、歌や演奏は悪くなかった、音源は買おうと思わなかったという人たちのことを、呆気なく、いつの間にか忘れる。

 しかし、そのような、僕が忘れた音楽の中に、ある時点の自分が求める美しさや激しさがなかったか、いつも不安でいる。理想的な環境やタイミングで触れられれば、どんな音楽にも魅力は感じられる。不適切な環境やタイミングで触れてしまい、その音楽に魅力を一つも見つけられなかったとして、そのとき責任は誰にあるのか。僕にあるのか、音楽にあるのか、それとも時間や空間にこそあるのか。

 記録を残しておけば、危険や不正を遠ざけておける。責任の所在があやふやになる危険や、その時どんな態度であったかを忘れて居直ってしまうような不正を。

 バンドをやらなくなって何年も経った今のほうが、自分の全てをかけて音楽を作ろうとしていた当時より、自由に音楽に接していると感じる。しかし、音楽に対して不誠実でありたくないという、自分でも強迫観念に近いと思う意識は、今のほうが明らかに強い。だから、雑でも短くてもいいから、その日に浮かんだ感想は必ず残しておく。

 

 好きな食べ物の話や、どこかで酒を飲んだ話、そこで見かけた人だの出来事だのの話をまめにしていると、職場では音楽の話をしなくて済む。皆がどれだけ金と時間をかけて音楽を聴いているか知らないが、人と音楽の話をしたいとは思わないのだろう。ヒットソングや懐メロ、CMソングが話題に上がることはあっても、結局それは歌詞を使った人生観語りや、詞の中の流行り言葉についての議論、ボーカルの声に関する好みの話に落ち着く。つまり話の核は音楽というより、言語や声なのだ。

 飯や酒の話は、ほとんど予防線を張るためにしている。趣味は何だとか、休日は何をしているんだと詮索されたくない。レコード屋を何軒もはしごするとか、年に百本単位でライブを観ているというのは、畑違いの人にしてみれば奇矯なことだ。ぶしつけな輩などは、何のためにそんなことをするのか、その末に何がしたいのかと尋ねてくる。明確な目的なんかない。したいからするのだ。ああいうことを他人に言える奴というのは、日常とか生活から切り離された忘我の時を過ごしたことがないのだろうか。何かだけになったことが。

 そうした程度のことであれば受け流せるのだが、とにかく面倒なのは、自分では音楽やらないの、と言われることだ。それだけ好きなら、作る側、演奏する側に回らないのかと。僕の中には、音楽を楽しむために演奏をやめたという明確な論理があるのだが、端的に、もしくは言葉を尽くして説明しても、その考えを理解してもらえないことは多い。ミュージシャンとして食えなかった負け惜しみと捉えられることもある。潔く認めろと詰め寄られたことまである。あれは最悪のケースだった。それまで比較的楽しく話をしていたせいもあって、ショッキングだった。あの空気は二度と味わいたくない。

 だからこそ、孝介は僕にとって異質だ。

 孝介との付き合いは、友人の紹介で始まった。その友人というのは小学校からの幼馴染で、大学時代から何年も続けていたバンドのボーカルでもある。バンドの解散は、それを機に演奏をやめた僕を除く他のメンバーにとっては、違った音楽活動へ移行するための建設的なアクションとなった。その友人は今も、弾き語りにソロバンド、楽曲提供などの活動を続けていて、僕も彼の音源を全部ではないが買っているし、去年は彼の結婚式にも出た。解散にあたっては長い話し合いが何度も設けられたが、喧嘩別れにはならず、今もメンバー全員とは仲が良い。

 孝介は彼のライブに足繁く通ううち、打ち上げや何かに出席するようになったという。僕もすぐ納得させられたが、孝介は彼が気に入る性質の子だった。年下ながら物怖じせず、調子に乗りやすいが謝るツボは押さえていて、博識だが知ったかぶりはせず、ロジカルな考えはできるけれど無神経で、何を言い出すか分からない危なっかしさがある。

 初めて会ったのは二年ぐらい前、打ち上げでも何でもない、プライベートな宴会に呼び出された時だった。ある土曜日、いつものように、僕が昼からレコード屋をぶらついているのを友人がSNSで知り、近くで飲み会をやるから来ないか、前から連れていきたかった店なのだと連絡をよこした。僕を誘うのだから無礼講の会なのだろうと、何の気なしに誘いに乗った。その会には、後に彼の妻となった女性(その時点で既に僕も何度も顔を合わせていた)以外に知った顔もいたが、初対面の孝介が異様な表情をしていて、挨拶どころではなかったのをよく覚えている。初めて会うのに、表情を一目見て、目を丸くして固まっているのが分かった。

「一番好きなベーシストは磐木潤だって、今でも言うようにしてます!」

 硬直を解いて猛然と立ち上がり、最敬礼をしながら、彼は僕にそう言った。

 その席で、友人たちと話したのは二言三言ぐらいで、初めて会った孝介と、とにかく音楽の話ばかりした。明け透けなファン意識の放射と、過去の演奏の褒め殺しに、最初はひたすら居た堪れなかったが、次第に他の音楽へと話題が移ると、単純に会話が弾んで止まらなくなり、僕はすぐさま彼の知識量に感心させられた。

 僕をアイドルか何かのように捉える態度には、絶えず嫌なものを感じた。僕がバンドマンだった過去を知る人間と話すこと自体久しぶりで、そういう人間と付き合いを始めたことはそれまでなかった、というか今のところ孝介が最初で最後の例だ。年下との付き合いの経験も、これまでにあまりない。

 だから、数えるまでもなく、断る理由になるものの方が、明らかに多かった。しかし、連絡先を交換してはどうだという外野の声に、僕の方が先に頷いてしまったというのは結局、孝介という音楽愛好家に対して、興味が強く湧いていたためなのだった。

 

 猛然と踊り狂ったせいで喉が渇き、ステージとは違う階にあるバースペースでビールを飲んでいたところに、孝介がやってきた。

「めっちゃ汗かいてません?」

 自分のビールのプラカップを僕のカップに軽くぶつけながら、彼の方から声をかけてきた。

「明け?」

「いや、朝だけヘルプで。スタートから来たかったんだけど。今何バンド目?」

「3バンド目」

「そっかあ」

 今演奏しているバンドには興味がないのか、孝介はステージを観に行かず、僕と並んでビールを飲み続けた。彼は大学を卒業した後、そのまま同じ安アパートに住み続けながら、施設警備のバイトで生活している(何やかやと言い訳して、いくらか仕送りをもらい続けているとも聞いているが)。夜勤を終えてそのまま来たから開演に間に合わなかったのかと思ったが、どうやら早朝の欠員の穴埋めをしてきたらしい。

 今来ているのは昼から夜までぶっ通しという土曜ならではのイベントで、夕方ごろからは、このバースペースでも演奏が始まる。孝介は基本的に、目当ての出演者が明確にいても、それだけを見に来るということはしない。よほどのことがないと全組観る。というか、そういう融通をきかせるために今のバイトを選んだ、という言い方で、暮らしぶりについて説明されたこともある。

「金欠なの? ヘルプなんて」

「いや、金欠ってほどじゃないんだけど、ちょっと出費かさんだのと、シフト貢献してポイント稼いどこっかな、っていうのと。ていうか潤さん、マジ何でそんな汗かいてんの? そんな踊ったんすか?」

 孝介はいつも、バイトの話を積極的には語らない。仲立ちとなった友人とは、将来の話とか恋愛の話をすることも珍しくないそうだが、僕とは頑なに、音楽の話しかしようとしない。今日も話題を逸らしてきた。

「さっきまで、ずっと下で暴れてたから」

「ああ、やっぱ血が騒ぐ? ああいうの観ると」

「いや、単に、そういうノリの人たちじゃん。かっこよかったし」

「でもさ、好みで言えばドンピシャな人でしょ。好みっていうかルーツっていうか、潤さんがやってたのと近いもの、結構感じるよ」

 さっきまで観ていたバンドは、どちらも初めて観る人たちだったが、共通してガレージロックの影響が色濃かった。二〇〇〇年代に流行ったリバイバル的なガレージではない。ああいう後味の爽やかさというか、古典からうまく引き算をして生まれるシンプルさではなく、もっと古典そのものに近い、何というかとても乱暴に開け放たれたものを感じるバンドだった。オルガンが入ったらそれだけでサイケと呼ばれそうな、管楽器が一つ入ったらポストパンクとかノーウェーヴと呼ばれそうな質感だった。早くて確かなビートはあって、その直線的な快楽で気持ちよく踊れるのだが、そこにヒップホップやテクノのような質の踊りやすさが全然混ざっていない。僕より年下であろうに、演奏や楽曲から、そういう影響を感じないのも面白かった。そのスタンスがどれだけ意識的なものか分からないが、少なくとも音も演奏も、単なる懐古主義に留まっていない。どちらのバンドも、フロントマンに華があり、その人が露骨に扇情するのではなく、その人のテンションの上下だけで観客の様子が変わるようなところが共通していて、そういう要素によって身体が動かされた。とても良いバンドだった。

 僕たちがやっていた音楽も、割と彼らに近しい音楽だった。実際、僕たちの音源やライブについて書かれたレビューや寸評で、ガレージとかニューヨークパンクという言葉は多く用いられた。僕にとっては、楽器を始める前後から一番聴いていたようなジャンルではなく、他のメンバーの志向に合わせてバンドをやるうちに、演奏を通じて僕の中に浸透したものだったが、今では特別好きなジャンルの一つになっている。孝介の言うことは、それなりに的を射ていた。ああいう現行のバンドを既にちゃんと知っていて、なおかつ僕がそうするように、僕らの音楽と対照までしているのだから、孝介の守備範囲には恐れ入る。

 僕がやりたかったのは、うるさくて、猥雑で、何か強いエネルギーが見て取れる、それそのものが美麗でなくてもいいから、それを聴いた人の中に何か美しい色や光を走らせられる、そういう音楽だった。

 ただシンプルにやろうとするのでは、そういうものは作れない。複数の色を重ねて、初めて良い色の黒を作れるというのと同じことだ。集中力を研ぎ澄ませるために綱渡りのような楽曲や構成を作り練習するのではなく、演奏する時なるべく何も考えずにいられるよう、構成や旋律にこだわり抜き、その状態を迎えられるようになるために練習する、そういう考え方を重んじた。ステージの演奏とフロアの踊りが溶け合って、全てが単細胞生物のようなひとまとまりになる一瞬を迎えたいという強い欲動が、あの頃、はっきりとあった。理想に近しい感覚を味わえたことも、何度もあった。

 あの時、ステージ上で感じたのと近い快楽を、さっきのフロアでは味わった。その後もジャンルやテンションの面では通じるところのあるバンドが何組も出て、似たような気持ちよさを複数回感じた。

 懐かしかったが、精一杯手を伸ばして捕まえたいと思うものではなかった。

 

 九時になる前に、トリのアンコールまで終わった。出演者の中の何人かが、近くの別のハコへ移って、オールナイトのイベントでDJをやるために、会場は1.5次会の様相を呈し始めた。多くの人が残って、ドリンクや軽食を注文している。内輪ノリの盛り上がりが騒がしい、という程でもなかったが、もう少し静かに過ごしたくて、僕と孝介は会場を後にした。といっても、近くに良い店も手頃な店もないのも知っていて、結局近くにあるコンビニで酒を買い、店先で飲んだ。会場からコンビニへ歩くまでの間に、今日の出演者についての感想はひとしきり話し終えていて、缶を開けてからは少し沈黙が続いた。何も考えずにいると無口と揶揄される人生を送ってきたので、普段は少し頑張って口を利くようにしている。孝介のような相手といる時に、黙ったり聞き役に徹するのは、僕にとって気が抜ける時間で、苦ではない。往々にして、一緒にいて苦ではない相手というのは、一緒にいて楽しい相手よりも得がたい。

 そんな奴だから、沈黙の後にそんな話はしてほしくなかったのだが、孝介は、潤さんまたバンドやんないんすか、と言ってきた。

「またかよ」

 孝介がそんなことを言い出すかもしれないという気はしていて、必要以上にとげとげしい返事はせずに済んだ。予想が実現したことに呆れて浮かべだ苦笑いも、年少者の無礼をかわいらしく思ったための反応だと、都合よく解釈されたかもしれない。

「いや、だって、今日みたいな感じのバンド観てると、疼くんすよ、俺は」

 僕としては気まずい思い出となり、孝介に言わせると《人生一番の衝撃》になったという顔合わせの後、僕たちは連絡を取り合い、何度も会った。彼は僕の音楽の趣味を細かく知りたがり、僕も誰かと音楽の話をするのに飢えていた。

 彼は貪欲だった。なるべくたくさん聴き、インプットした楽曲そのものの類似だけでなく、制作国や発表年やセールスまでも考慮し、そうした体系の複雑さに、進んで圧倒されようとする。一方で知識欲だけに支配されることなく、ある一枚・ある一曲がもたらす感興に浸り、偏愛する自由さをも併せ持つ。

 僕などを妄信していなければ、もっとストレートに尊敬できていただろう。彼は折に触れて、僕の演奏を褒めそやしてきた。今はベースに触れていない僕本人に、面と向かって、だ。何回かに一度は、今のように活動の再開を勧めてくる。かつて一心に打ち込んでいたものを称賛されるのはありがたいことだが、嬉しさを感じたのは初めのうちだけだった。こうも繰り返されると、ありがたいことではなくなる。今では気遣いもしなくなった。

「やんないよ。前から言ってるでしょ」

「ごめん。いや、でもね、潤さんのベース入ったバンドの新曲がまた聴きたい、って思ってる奴がいるってのは分かっててほしいんすよ」

 自分でも意外に思うくらい、無性にむかついた。これぐらいパセティックな物言いをされたことは、今までにもあったと思う。なぜ今夜はこんなに腹が立つのかという不思議さが、興奮を妨げた。落ち着いた思考が残ったせいもあってか、その願いは僕には叶えられないということを、きっぱり言わなければならないぞと、妙に責任感を伴って考え、その思考が気持ち悪かった。

「孝介な、前にも一から十まで説明したけど」

「いや、すいません、そうなんだけど」

「分かってるなら、じゃあ、もう一回ちゃんと聴けよ。俺はもう音楽はやらない」

「でも、作りたくないわけじゃないし、弾きたくないわけじゃない、っていう風にも、前言ってたっしょ」

 孝介は一瞬しおらしい顔を見せていたが、きっぱり言い放った僕の言葉に、明確に反論してきた。酔っぱらっているわけじゃないのは見て取れる。本当に懐が寂しいのか、今日はあまり飲んでいなかった。僕の苛立ちは、今日の彼は本気だと感じ取っていたせいで起こったのかもしれなかった。今までも、ボルテージの高さを感じることはあった。僕がどう応えても何度も蒸し返してくるのは、彼の中で諦めの付かないものがあるためだとも分かっていた。臨界したその感情を初めて向けられたから、僕もむかついたのかもしれない。今日の出演バンドが、その契機となったのなら、やはり彼の洞察眼は鋭いと言える。

 彼が本気になるなら、僕も本気で話さねばならない。それは僕が本気でやっていた音楽にまつわる話で、今の僕の人生についての話でもあるのだ。

「お前の良いように解釈するんじゃないよ」

 お前という二人称で孝介を呼ぶのは初めてだったかもしれない。口に出して呼んでみて自分でもそう思ったし、孝介のたじろいだような顔を見ても、そう思えた。

「その時も、ちゃんと言っただろ。曲作りたい、弾きたいって思う瞬間がないわけじゃないけど、聴き専でいて初めて過ごせる時間と天秤にかけて、そっちは選ばないんだって」

「でも、もったいないですよ。あんな風にやれる人が、今もこれだけ音楽聴いてて、アウトプットはしないなんて」

「俺はもったいないと思わない。それだけのことだよ」

「いや、俺も、ファンのわがままだって分かってるけど……」

「じゃあ、もう言うな。二度とその話はしてほしくない、正直」

 言ってから、突き放し過ぎたかと思ったが、遅かった。孝介は一気に気色ばんだ。

「そんな言い方するのって、潤さんの中にも後悔っつうか、未練とかがあるからじゃないんすか?」

 一番嫌な解釈をされた。音楽の話をするのが楽しい友達からこう言われると、心底うんざりする。孝介のように、僕の演奏を心から愛してくれている奴が相手なら猶更だ。そういうつもりで言った言葉だから、感情的に吐き捨てたように聴こえてしまったのだろう。さっきまでと比べて、明らかに孝介もむきになっている。このまま僕もヒートアップしたのでは話にならない。

「それは違う。違うって言っても聞かないんだろうけど、何回でも言う。前にも言ったけどな、やる側に回ってると、どうしても、インプットとして音楽を聴こうとするんだ。ベーシスト観るとつい技を盗もうとするとか、そういう単純な話じゃない。なんかの素材に出来るんじゃないか、自分が育てたいものの栄養になるんじゃないか、どうして俺はこんな風に弾けないんだろう弾こうとしないんだろう――そういう頭がある中で聴いちゃうんだ。それが嫌になったっていうか、そこから得られるものは実際あるけど、俺がしたい集中の仕方じゃないんだよ。それは俺が音楽を聴く時に余計なんだ。それをひっくるめて楽しいっていうミュージシャンも、やる音楽と趣味の音楽を分離させられる奴もいるだろうし、そもそも自分がやりたい音楽を軸にしてれば充足できる奴だっている。でも、俺は嫌なんだ。作りたい音楽ばっかり聴きたいわけじゃない。自分の音楽じゃない音楽だっていっぱい聴きたいんだよ」

「でも、弾いてるからこそできる、音楽の噛み砕き方だってあるでしょ」

「そりゃあるよ、それだって、めちゃくちゃ楽しいよ。音楽やるのは超楽しいし、演奏者でいると初めて触れるようになる音楽の部位ってものは確かにある」

「だったら」

「だから――孝介な、お前ん中にいる俺と、実際の俺をごっちゃにするの、もうやめろ」

「そんなことしてません」

「してるよ、お前が言ってんのはそういうことなんだよ。お前は、俺はバンドやってる時が一番輝いてるとか、一番自由に生きてるとか、一番幸せに生きられるとか、そう思って俺を見てるよ。でも、それは間違ってるんだよ。俺のエネルギーは聴くことに費やしたいんだよ。お前だって分かるだろ? 聴き手としての自分を進めるための音楽があるって。俺にだってそれがあって、やる側に立ってると、俺はそれを取りこぼしちゃうんだよ。そういう音楽があるって分かるはずだろ? それが分かるのに、俺の言うことは分からないっていうなら、それはお前が、目の前にいる俺のこと見ないで、お前の中の俺ばっかり見てるからだよ」

 これは自分のために作られたと信じてしまうような音楽が、この世にはある。こんな風に弾かれたら好きになる他ない、というような音楽が。演奏者は、そういうものに満たされる一方で、そういうもので自分を検針しなければいけない。自分の作ったものがデッドコピーでしかなく、しかも何か新しいものを作ろうとしてコピーに過ぎないものを作っていたなら、完成度がどれだけ高くても、何なら高ければ高いほど、それは惨めで愚かしい。僕はその力場から離れたかった。その力場の中で自分を試されるのは恐ろしかったが、自分の能力すべてを種銭にして博打を打つことは、美しい疲れをもたらしてくれた。ただ僕は、結局のところ、僕の可能性よりも、音楽の可能性の方に惹かれた。僕の可能性を広げるためには聴かなければならない音楽があり、それを出来る限り漏らさず聴こうとすると、音楽の可能性を知るために聴くべき音楽を、僕は取りこぼしてしまう。

 大きい力が働いている場所で、その力を供給する側に回るのは幸せなことだったし、何かを完成させたり磨いたりしていくのは掛け値なしに楽しかった。しかし、音楽に対して真摯であるための方法が、やる側に回ることだけだとは、どうしても僕には思えない。

 孝介は何度も喉を鳴らして、缶ビールの残りを飲み干した。僕は自分の持っている缶がだいぶ温くなったのを感じていて、同じように温くなったビールが、孝介の舌の根に苦味をこびりつかせているのを想像した。孝介は缶を口から離すと、眉をひそめて真下を向いた。泣きそうな顔をしていた。

「せっかく、潤さんと……音楽のこと、話せるようになったのに」

 泣きそうな声だった。その声を出させているのは僕だった。しかし、この会話の結果は引き受けなければならなかった。

「もう、潤さんが、音楽やってないのがいつも……何かちょっと、俺は辛くて……」

 ジャズやフュージョンやファンクの超絶技巧や、ハードコアとかポストロックの荒く毛羽立った音。様々なベースを聴いてきていながら、どうしてか孝介は僕のベースが一番だと言い続けてきた。ドラムがどれだけ自由に乱打しても、そこに背骨を通していたと。ギターのボリュームや音色がいかに変化しようと、心地良い厚みをそこに加えていたと。歌の持つ美しさや愛しさが一段増すように、ハーモニーを作っていたと。そうしたことを一時にやってのけていながら、さして難しくはない、しかし他の誰も弾けないような旋律を弾いていたと。良いバンドは誰一人欠いても必ずそれまでの魅力を失うが、この人がこのバンドの核だという人は存在しうる。あのバンドにおいては潤さんがそうで、しかも、そういうことはさておき、とにかくすっげえベース弾いてたんですよ。孝介はそんなことを言い続けてきた。

 インディーズバンドを数年続けただけの僕の音楽など、この世界において、いわば大海の一滴に過ぎない。それでも、そんな一滴にも、何気なく棚や箱からピックアップした盤の中のたった一曲、それどころか一曲の中のほんの短いパッセージにも、音楽を聴いていく甲斐を見つけてしまうことが、誰にだってある。

「分かるよ」

 音楽全体において、僕が成し遂げた仕事など、ちっぽけなものだった。しかし、ある音楽のちっぽけさが、その音楽に見出される偉大さと直接関わらないこともあるのだということを、僕も知っている。そのことが分かるという意味で、分かると言った。

「分かるよ」

 もう一度言った。無責任かもしれなくても、決然と「分かる」と言う他なかった。お前の気持ちは分かるよとか、大好きなミュージシャンが音楽をやめるのが辛いってことは分かるよとか、孝介からすれば、そういう言葉にきっと聞こえるだろう。それは僕が意味したところと違った。違うのも分かっていた。それでも僕には他に言える言葉がなかった。

 孝介は一度鼻をすすると、僕の方を見ないまま、

「ごめん帰ります」

 そう早口に言って、早歩きで去っていった。

 気まずさに耐え切れずに場を離れる、その人物が持っているビールの空き缶のことを、その場にとどまって考えていた。あの缶はどこかで、苛立ち任せに放り投げられるだろうか。目に留まったゴミ箱に捨てられるだろうか。もっと無作為に、どこかに置き忘れられるだろうか。それとも、部屋まで持ち帰られて、流しとか枕元に置かれて、翌朝孝介は缶を見て、僕との会話を思い出すだろうか。

 特別だから好きなのと、好きだから特別なのは、本当は全然別のことなのに、それは混乱してしまいやすい。孝介が僕たちの音楽を好きでいてくれることに疑いはなく、感謝している。だからといって、彼にいつまでもプレイヤーとして見ていられるのが気持ち悪いことには変わりなかった。孝介が僕にバンドをやってほしいように、僕は僕が保ちたい姿勢を、彼に理解してほしかった。

 左手を見つめ、指板に滑らせるつもりで指を動かす。右手にはチューハイの缶を持ったままだが、右手も左手に合わせて、少し動く。孝介から絶賛された、バンドの中でも数少ない、ベースから入る曲の動きだ。実際の曲では、そのリフの後から、単調なキックとギターが同時に入ってくる。そのあたりまで動きをトレースして、止めた。

 ケータイを操作して、記憶に間違いがないか確かめると、店先のゴミ箱に缶を捨てて歩き出した。さっきまでいたハコは、ラブホテルや水商売の店も居並ぶエリアにあったが、駅を挟んだ逆側の飲み屋街に、小さなライブスペースがある。ちょうど開業何周年だかのアニバーサリー週間で、週末の夜はオールナイトのイベントをやっていると知っていた。昼からのイベントとハシゴをする余裕はないだろうと思い、見送るつもりでいた。

 しかし、そうもいかなくなった。

 

 同じぐらいの規模の店が密集しているエリアで、初めての店ではないが、何年も前に一度行ったきりで、行き過ぎてしまわないか不安だった。念のため、速さを落として慎重に歩いたが、看板はすぐに見つけられた。

 出入口の扉を開けてすぐの一画に小さいテーブルが出ていて、そこが受付になっている。予約をしていない旨を告げ、当日料金を払い、ドリンクの引換券を一枚受け取る。その最中に店員から、お目当ては、と尋ねられる。訊かれると思っていなかったが、口をついて出る答えがあった。

 ちょうど夕方の部から深夜の部への入れ替わりのタイミングらしく、まだ演奏は始まっていなかった。炭酸の入った酒を勢いよく飲みたいという気分ではなく、強いものが欲しくて、チケットはウイスキーに換えた。

 人入りはまあまあで、落ち着いて座れそうな場所はいくつか目に付いた。演奏がよく見えそうな席でちびちび飲んでいると、彼の姿が目に付いた。以前、孝介と褒め合った、あの若いシンガーソングライターだ。他の出演者らしき、派手な帽子の男と親し気に話している。受付で告げたのは彼の名前だった。

 今日一日、それなりに立ちっぱなし、踊りっぱなしだったので、足はくたびれ切っていた。このイベントも、最後まで意識を保って観ていられるか分からない。それでも、もう少し、演奏の場に留まっていたかった。そこで誰かが出している音に接触していたかった。

 トップバッターだったらしく、程なくして彼は演奏スペースに移り、ギターのチューニングを始めた。もっと深い時間の出番だったら、彼の演奏のテンポにしても音像の柔らかさにしても眠気を誘ってきそうだった。少し安心すると同時に、目当ての人が思いがけず一番手だと、二番手以降で集中が途切れがちなんだよな、という心配も芽生えた。

 彼がスタッフに合図を送ると、客席が暗くなり、誰もが演奏スペースへと、その目の焦点を合わせ始める。店内にかかっていたBGMの音量が絞られていく。

 普段、眠りへと落ちていくための傾斜でしかない酔いや疲れや暗闇が、音楽を受け止めるための柔らかな網に変わっていく。今の気分も、これまでの記憶も、その網の目を繋ぎ合わせる指に過ぎない。

 BGMが消えた。

 もうすぐギターが鳴り始める。僕はただそれを聴く。

備忘録など

2020年、そして今年2022年と、小説集を作った。それまでに書いたものから、出来映えや文字数、内容を勘案して3本を選った『世界はいつも』。そして最近作2本を入れた『海の中のプール・空想』という2冊である。

作品の出来については、多分考えることは年々移ろっていくので、モチーフだとかディテールについて、いま何か書き残しておきたいとは思わない。しかし、刊行の動機や制作の過程にしろ、それぞれを作ったあとの感懐にしろ、そうした記憶はおぼろげになり出しているように思うし、ようやく次のものを書き出しもしたので、久しぶりにこのブログに何かしたためておくかと思った(そもそも、せっかく自分のブログがこうしてあるのに、「本を作った」と発表していないのも何かだらしない)。言ってしまえば利己的な文章になるが、ご興味があればお付き合い願いたい。

 

どちらの本も、文庫本の体裁を模して作っている。理由は二つある。持ち歩いて読みつぶしてほしいというのと、適した紙を知ったという二点だ。文庫本の本文ページには「ラフクリーム」「淡クリーム」といった紙がよく用いられる。同人作家諸氏からすれば初歩的な知識なのだと思うが、この紙の存在(というか名称、つまり発注のためのコード)を2018~19年ごろに知ったことが、書いたものを本にしようか、と思うきっかけになった。『世界はいつも』に着手する前に、試しにラフクリームを使って詩集を刷ってみて、手ごたえを感じたことで踏ん切りがついた。

ある時期まで、自費出版には興味がなかった。新人賞へ応募していた時期が長くあったからだ。誌面に載ることができなかった書き手が、自分で本を刷って人に作品を見せようとするのは、道から逸れるような、勝負から降りるようなことではないかという念が、どこかにあった。実を言うと、2冊の収録作の中には、新人賞などに応募して落選したものも含まれている。

そうした思いの一切が掻き消えたわけではない。ある種の規格に合格するものを、何年かけても作ることができなかったという意識が消えることは恐らくない。文学の先端にあたる部分(があるとして、そこに)立って、先導して何かを突き詰めるような立場が自分には任されず、それはひとえに、自分にそのための力がなかったためなのだという挫折感もあるし、実際そんな才覚を今の自分には感じないことへの絶望、残りの人生を費やしてもそんな事業の末席に加わることすら出来ぬのではないかという絶望もある。

しかし、著者自刊本を出すことへの抵抗について言えば、今はまったくない。同時期に音楽ライブの小会場に足繫く通い、ミュージシャン自身と親しくなったり、数回ライブ自体を企画したりして、自主制作活動の魅力、その人たちの努力や意識に触れたのも一因であれば、アートワークの部分を任せたいと思えるクリエイターや、真摯に本を扱ってくれる店舗との出会いも大きい。できるだけたくさんの人に屈曲なく何かを届けるにはどうすればよいかという問題は、現代においてとてつもなく難しいものだが、自分の今のタームは間違ったものではないと思っている。

それに、書かない理由も、今のところない。先に述べた挫折感や絶望は、言ってしまえば私事なのだ。ぼくよりも小説全体の方が「大きい」ことは疑うべくもない事実であり、先述のような実感のゆえに書かなくなるというのは、いくら自分の人生だからとはいえ、結局小説よりも自己を大きく捉えているための態度だとも思う。その捉え方は正確ではないし、正しくないことは出来る限りしたくない。

 

制作の手順だけ言えば、2冊ともシンプルだ。収録する作品を見つくろい、文書作成ソフトで文庫サイズ(B6)に原稿を調整。印刷業者に依頼して文庫本の本体を刷り、刷り上がったものをデザイナーにパス。採寸の上で表紙などを制作してもらう。

表紙の制作は2冊とも Tact Sato 氏にお願いした(『世界はいつも』ではしおりも作ってもらった)。どちらについても、できれば内容を読んでもらい、その上で湧くイメージから作ってほしいと頼んだところ、承諾してもらえた。大忙しのタクトさんに申し訳ないとは思ったが、装画は内容を踏まえて描かれてほしいというこだわりから、わがままを言った。結果、書き手としては空恐ろしくなるような精緻な汲み方でもってビジュアルイメージを作ってもらえた。感謝に堪えない。小説集とは別に、タクトさんとは違う方たちにCDのアートワークやイベントのフライヤー、冊子の表紙を作ってもらった時にも感じたことだが、そうした自分の手の及ばない作業を、自分の意図を汲んで全うしてもらった時の感動というのは、筆舌に尽くしがたい。

店内での個展を観に行ったり、タクトさんが直接パイプを繋げてくれたりして、茨城の書店・つくばPEOPLE BOOK STORE に、どちらの本も置いていただいている。無名の書き手の自刊本を扱ってもらえるだけで光栄であることに加え、2冊目の制作が佳境にさしかかり、次も置いてもらえるかと店主の植田さんに恐る恐る打診した時、「もちろん」と即答してもらえたことは、いま作っているものが何とも連絡しないものではなく「2冊目」として扱われるものなのだと初めて実感できたタイミングで、大変励みになった。下にリンクを貼ったエントリも心底嬉しかった。

people-maga-zine.blogspot.com

 

何か書こうとすると謝辞が先走る。仕方のないことだ。しかし、もう少し他のことも書く。

 

『世界はいつも』は、古いものは2013年ごろ書いたもの、最も新しいものでも2016年ごろの作品で、収録した3作ともかなり手を入れたが、完成に至っても「書き上げた」という感慨はほとんどなく、感慨の多きを占めたのは「これでやっと手を放せる」というような解放感だった。一度完成を謳おうが本を刷ろうが、文章を直すのは書き手の権利だが、ただ文書ファイルがPCに残っている状態と、すでに本を刷った状態とでは、手を入れたときの責任が異なる。漢字の開きや読点の位置といったごく一部の変更も、文章全体のリズムや質感を変える。読み手を時計に喩えるとき、小説は時計の動力に過ぎないことを考えると、本として人が見られるようにした後に文章を直すというのは一大事だ。

だからこそ、書き手の立場からむしろ無責任に言うと、内容をこき下ろされようが雑に読み飛ばされようが、「出来た」と宣言してしまえば、もうあれに触り続けなくてよいのだという解放も感じる。ぼくが進歩、または変節し、今後大幅に改稿をすることもありえないとは言わないが。

コロナ禍においての刊行となったことは、棄民政策と呼ぶべき国の態度や自己責任論を振りかざす言説(当時に始まったことでも収束したものでもないが)に疲弊し切り、落ち込んでいた精神状態を保つ意味で、支えになった。一方で、PEOPLE以外にも置いてくださる書店はないかと思いつつ、感染問題を考えるとおいそれとは書店巡りにも出られず、また一度もお店を見ず/利用せずに自著の取り扱いをお願いするというのも気が引けて、そうしたステップに進めないことへの苛立ちもある。そのため、書店のご紹介など頂けると、誠にありがたい。

 

『海の中のプール・空想』は、書くペースが全く異なった2本である。『海の中のプール』は2019年の暮れにプロットを思い付き、およそ1か月で4万字強の初稿を書き上げた。その後しばらくほったらかし、2020年(別のエントリに書いたが、仕事の関係で自宅を離れ、大阪に居留していた時)手すさびに直して、約5万字に膨れて完成した。一方、『空想』は着想だけ何年も前からあり、書き出しを書いてはボツにするということも一二度やり、ようやく肚を決めて2021年のほとんどを使って7万字書いた。

この話は何万字になる、何万字ぐらいにしたいと思って書き始めて、想定した字数から数千字の誤差が出るということはほぼない。『空想』は初めて1万字以上ずれた。しかも、最近作ではあるが、文章そのものにしろ梗概にしろ、「まとまり」みたいに呼ばれる点は他作品のほうが優れていると思う。小説として、自分の普段のバランスを欠いた作品であることは確かだ。しかし、そのバランスこそ自分の欠陥ではないかという疑念もあり、満ち足りた思いもどこかにある(直近の作というのは、自己弁護に過ぎないのだが、どうも贔屓してしまう。脱却するには次を書くしかない)。読む人がどう思うかは分からない。バランスを失っているのを承知で書き切った身としては、多くの人に認められずとも、気に入ってくれる人がわずかでもいてくれると幸福になれる。

2冊出すというのは、そういうバランスが可視化されることでもある。むしろ『空想』をぼくの本道と捉える人もあるかもしれない。それはそれで楽しい。

 

また本を作る気はあるが、今のところ同じ体裁で作る気はない。ストックや書こうとしているものに対応して、2冊の形が出来た。今は掌編から少し足が出たぐらいのサイズの短編を散発的にたくさん書きたいと思っていて、そういうものを収録するなら造本ももっとラフにしたい。

短編と長編の違いについて考えたことのある人なら分かると思うが、この二つは構造にしろ読み手に与える印象にしろ、全く異なる。書く側からすると、求められる能力というか、使う筋肉まで全く違う。

長編はアイディアやギミック、メッセージだけでは書けないとされる。骨組みをしっかり作らないと、そうしたものをうまく中心に据えられず、転倒する――とされているが、逆の言い方のほうが正しい。骨組みをしっかり作って核を支えようとするために、そのぶんの質量によって、作品が長編と呼ばれるサイズに行き着くのだ。そして時として、苦労して作った骨組みのほうが、構成要素として優先される。一方、短編は核だけで自立させられる。他の要素をぶら下げず、芯さえ立たせることができれば、重心が傾ぐことはない。

まとまった文字数のものを去年書いた反動もあるが、着想とか仕掛けだけのもの、もしくはその逆に、これというアイディアも仕掛けもなく徒然に書いたもの、そういうものをしばらく書きたい。これはアスリートの体づくりと技術練習のバランスのようでもあるし、酷使した乗り物のオーバーホールのようでもあるし、しばらく暴飲暴食してたから節制するか、という気持ちのようでもある。

 

・2022年9月追記

People Book Store が間借りしているWebショップ『平凡』でも、拙著をお求めいただける。

hey-bon.stores.jp

動画サブスク週記ー2

今週はわりあい仕事に時間を割かれたのと、本を読む時間が多くなったので、映画は全く観なかった。その代わり、生活の隙間にアニメを観ることが多かった。

イデオン」を最後まで観た勢いで、並行気味に『宇宙戦士バルディオス』を観た。スパロボファンからすると「イデオン」と「バルディオス」は近いポジションの作品である。どちらも結末がカタストロフで、そのお陰で原作を再現した特殊エンディングが採用された。放送時期も近いこともあって、ゲーム抜きに比較されがちな作品だ。

ガンダムシリーズを初めとして、富野由悠季作品には数多く触れてきたので、アニメがおたくの力学から逃れないことへの苛立ち、そこからなる作劇や台詞回しへのこだわりは多少知っているつもりでいる。「イデオン」というアニメの身体にも、そうした意識が、体液として循環していた。「バルディオス」にも、劇画調の作画・メロドラマ的な描写など、当時のロボットアニメとしては逸脱的だと感じる要素はあるが、今のオタクの目で観るとどうしても紋切り型に過ぎないと思えてしまうところがある。そこを「イデオン」と比べた時、脚本より、ロボットや戦闘機の動きの作画にこそリアリティの差を感じた。イデオンの動きには、大質量の人型機械が動くことへの疑いがある。「こんなものがこんな風に動くのは不気味だ」という風に描かれていて、観る者もそう思う。そこに「巨大ロボ」の恐さがちゃんとある。この「ちゃんと」が重要なのだ。全く別の設定・力学・規格が採用されてはいるが、「ガンダム」で提唱されたモビルスーツ=人体の延長という感覚は、すでにこの時点で輪郭を持っている。バルディオスはむしろ、人間まねびの動きをする。しかし「ダイターン3」が同様に人間まねびの動きを取る時、それはコメディックな表現、つまり「本来メカはこんな動きをしない」というのが諧謔としてある作画だった。

ところで小川徹との対談を読む限り、「イデオン」の劇場版公開当時、吉本隆明は「イデオン」と「ガンダム」を、《一種の宇宙教》みたいなものを理念とした同質の作品としてとらえていたようだ(潮出版社『夏を越した映画』参照)。宇宙には強大な意志のかたまりのようなものがあり、それと人間が通じ合うことで奇跡的な力を発揮する。ファンからすると差異を列挙したくなる指摘だが、確かにこの点は二作に共通している。「イデオン」から「ガンダム」へのストーリーとしての移行を、宇宙戦争の大きさから第二次大戦の大きさへの焦点移動とだけとらえるのは凡庸だし短絡だが、宇宙にある強大な意志の体現者のスケールの変移についてだけ言えば、こういう見方はまんざら的外れなだけではないかもしれない、とも思う。デウス・エクス・マキナ(イデ)から、社会におけるカリスマ(ニュータイプ)への変移。

 

そのあと『超獣機神ダンクーガ』と『赤い光弾ジリオン』を行ったり来たりした。どちらもまだ最後まで観切ってはいないが、いつか観たいと思っていたシリーズだしレンタルにもないしで、配信作品数でU-NEXTを選んだ甲斐があったという思わせてくれる作品である。あくまで個人の目に違って映るというだけの話だが、「イデオン」「バルディオス」との間には明確な境界線が引かれていると感じる。

イデオン」と「バルディオス」の放送年が80年、「ダンクーガ」が85年、「ジリオン」が87年の作品。予算とか単純な作画枚数の違いだけで説明がつくのか、全く別の要因があるのか分からないが、自分が子供のころ何気なく見ていたような90年代のリミテッドアニメと比べ、「イデオン」「バルディオス」は古いと感じ、「ダンクーガ」「ジリオン」は懐かしいと感じる。そんな中でも、「バルディオス」のスタッフクレジットにいのまたむつみ、「ジリオン」のクレジットに黄瀬和哉など、今も昔もその仕事に触れてきたアニメーターの名前を認めたりして面白い。どんな視覚効果のせいだというのだろうか。光沢や陰影による立体感の出し方が最大のポイントのような気もするが。制作費は参考にならないかもしれないが、作品ごとの総作画枚数とスタッフ人数は、どう調べるのが最も効率的なのだろうか。

 

その後ふと目に留まって、そういえば1期は観ていたからと思い『僕のヒーローアカデミア』の2~4期を観た。ジャンプを読まなくなって久しいので、物語やキャラクターに関する知識は、アニメ1期とSNSに流れてくるキャプチャや二次創作だけで培っていた。悠木碧の演じ分けの凄さの片鱗に触れた。梅雨ちゃんの中の人が、「まどマギ」のまどかとか『ペルソナ5』の双葉と同じ人だとは思えない。

あっという間に続けざまに観てしまった理由は分かっている。原作付きだからだ。これまでに上げたようなオリジナルアニメとは、次の回へのヒキの強さが違う。週刊マンガのエピソードを放送の尺に合わせて切ってつなげてしないといけない以上、「いいところで終わらなければいけない」し、それを配信で一気に観られる身の上では、ここで終わられちゃこのまま観ないといけないじゃないですかと次回をそのまま再生してしまう。一話ごとにエピソードが完結するような作品からこういうのに移ると、観やすさが違う。睡眠時間が削れた。

また、一話一話に詰め込まなければいけない起伏やセリフの量が違う。これは実際に詰め込まれた情報量というよりも、「詰め込まなければいけない」「詰め込めないものは削ぎ落とさねばならない」という危機意識、それを観る側も承知しているためではないか。

1シリーズの途中からオープニングやエンディングが変わる、というアニメに触れたのも久しぶりだ。OPもEDも、観ているとだんだん儀礼になっていく。学校のチャイム、ラジオのジングル、そういうものと同じ、それ自体で一個の作品ではなく、始まるから /終わるから表れるもの。だからこそ、シリーズ中に差し替えがあるとアガる。あの時の「変わった」「移った」という雄弁な感触。しかもヒロアカは、大体1シリーズの前半後半で別々のタームが展開するような作りで、前期後期のOP・EDは、それぞれのタームの主要人物を強調するものになっている。これは端的にワクワクさせられる。

ネームドキャラの人数の多さから色々な声優の演技に触れられるのも楽しいし、作画にしてもクライマックス時には劇場版もかくやという出来。馬越嘉彦をフックにすると、自分の目に快いアニメと出会いやすいのかもしれない。回想シーンの使い方がズルい、ボスの倒れ際にボスの過去を持ち出してくるというパターンが多すぎたとは思う。回想シーンの連発は構成力の弱さの露呈である、というのは何で読んだんだっけ。これは原作の進行をどれだけ再現しているものなんだろう。

 

そのまま最近のジャンプ作品に触れたくなって『ハイキュー!!』を観始めている。最近といってもハイキューは完結しているし、ジャンプの中の《流行の最先端》に、今ヒロアカはないのだろうとも思うが(人気とか作品としての質が雑誌の中で劣っている、と言いたいわけではなく、何というか時代性の話だ。連載開始時期にしろメッセージ性や表象的要素にしろ、鬼滅・呪術・チェンソーマンなどとは異なる)。

思ったよりヒロアカとキャストの被りが多くて楽しい。大声を出すシーンが多いという共通点はあるが、岡本信彦による爆豪・西谷の演じ分けが特に面白い。あと『この世界の片隅に』で痛感していたことだが、細谷佳正は落ち着いた声質とか気弱なキャラの方が、人の耳に残る質の声が出ていると思う。

バレーボールという競技の性質ゆえバンクシーンが多いんだなと思ったが、これはヒロアカを先に観ていたせいだろう。思えば少年マンガをアニメにする時、変身ヒーローもの・ロボットものと比べると、バンクシーンの使い方が案外難しいものなのだと気付いた。例えばバトルものにおいて、必殺技は話の華だ。アニメにおいても作画の頑張りどころということになる。

必殺技は華。つまりそれは、誰かを勝たせるためにあり、同時に破られるためにあるということだ。

 

よしながふみがかつて指摘したように、ジャンプのマンガは主人公が勝てるようにルールをいつでも変えられるように出来ている(太田出版(文庫版は白泉社)『あのひととここだけのおしゃべり』参照)。もちろん例外や大小の違いはあるが、勝敗を軸とする少年マンガにおいて、基本的に共通している力学だろう。

今、最もシンプルな意味合いで「強い」キャラを主人公にするというヒーロー像の設定に、ポップな求心力はそれほどない。才能や体格で他のキャラに劣るが、自分の個性を伸ばして打ち勝つ。そうしたストーリーラインにこそ、読者をひきつけるリアリティやカタルシスが見いだされ(がちになっ)ている。

よしながの言がフェミニズムからなるもの――そうして「勝つ」道筋が見つけにくい、様々な抑圧にさらされる少女という存在に、何らかの道筋を提示するものとして少女マンガはある――ということは明記しておきたい。この問題について色々思うことはあるし、ここから発進して『NARUTO』や『BLEACH』が『ドラゴンボール』から受けていた影響(ルール変更の根拠としての血統)について考えることも出来るが、今はヒロアカとハイキューについて書く。

ヒロアカではヒーローが人材として育成されていく様が描かれ、その中で「必殺技」は、キャラ自身の「個性(語義通りの意味でもあり、作中での特殊能力の言い換えでもある)」を、プロのレクチャーのもとで伸ばしたものだったり、敗戦やつまづきを課題としてクリアした結果だったりする。また主人公・デクは、能力が低い(「個性」がない)存在として表れ、ストーリーの中で最強とされる存在から能力を受け渡される。かといって、冒頭からデクが最強キャラとなるわけではなく、デクが能力に馴れていく過程、そして暴発した能力で成果を収めつつもその身が傷つくという過程を経ることになる。

「この力でいつでも勝てる」という設定はヒーローの絶対的な力の根拠たりえるが、下手な見せ方をすれば、主人公にご都合主義の札をかけさせて戦わせるのと変わらない事態を招く。ヒロアカはそこに「デメリットは大きいが、うまくやれば勝てる」というように束縛を設けることでスリルを保つ。そしてそれとは別に、「主人公の工夫と努力が、能力の自由度を向上させていく」というポイントで話が盛り上がる起爆剤も作っている。

いつの間にかヒロアカ絶賛記事になっていた。バンクシーンの話に戻るが、つまりヒロアカには(例えばかめはめ波・霊丸のような)お定まりのモーションがない。主人公を初め、どのキャラも能力を上げていく/ブラッシュアップさせていく時期にあり、動作やビジュアルの変化=成長のあらわれなのだ。バンクにし甲斐がない。かえってハイキューのようなスポーツもの、しかもサッカーやバスケのように流動的ではないスポーツだと、動作の再現性の高さが、成長とイコールになってくる。だからこそ変人速攻や強力なサーブといった、目立つ選手のその選手たるプレイのバンクシーンが鍵となってくる。

 

主人公には弱点を作れ、踵が無防備であってこそのアキレスだというのは昔からある鉄則の一つだが、主人公(たち)の弱点が「地力」になったのは、特にジャンプでスタンダードになったのはいつからだろうか? 自分の記憶だと、一番古いのは『スラムダンク』で、一番エポックだったのは『アイシールド21』かもしれない。スラダンには「粗削りだがツボにはまると滅法強い」みたいな形容が作中にあり、『アイシールド21』は一芸に秀でた者の集団が努力と奇策によって、地力や体格や才能で優るジェネラリストたちに抗い続けるストーリーだ。

 

あと昔一話だけ観ていた『NO.6』をまた一話だけ観て、音楽が鈴木慶一だと知ったのでちゃんと観たい。ここにも細谷佳正、そして梶裕貴が出ていて、何か意外だった。梶裕貴という人の声と名前を初めて認識したのは『イナズマイレブン』のはずで、イナイレの初回放送は2008年。『NO.6』の3年前だ。一ノ瀬と紫苑の間には、同じ役者が演じていることを疑わせるほどの波形の違いはないと思うのだが、『NO.6』を初めて観た当時の自分には気付けなかった。そういえば細谷佳正をちゃんと認識したのって何だっただろうか。『黒子のバスケ』か。