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キャベツは至る所に

感想文、小説、日記、キャベツ、まじめ twitter ⇒ @kanran

今年聴いてるやつ

音楽

TNT

TNT

向こう10年聴くと思う。「シカゴ音響派の金字塔」という表現を引き出してくると、かえって二の足を踏んでしまう人がいるかもしれないが、まったくアングラとかマニアックに堕していない名盤。
何でもないメロディや、ありふれた音色が使いまくられているのに、聴き返すたびに「この曲にこんな音、入ってたっけ?」「この音は、前に聴いた時にもこういう風に聴こえたっけ?」という気持ちいい混乱が襲ってくる。
音楽に面白さや興味深さを覚えている人になら自信を持って勧められる作品で、けちがつけられない。

ひみつ

ひみつ

綺麗なメロディと、飽きさせない展開の妙と、それらに親和する詞と、その化合が最初から最後まで貫かれている。
スカートのファーストには、その化学反応を澤部渡ひとりが主導して練り上げている感触があり、それゆえに広がりはないが小さく緊密な世界が作られていた。セカンドにはバンド編成を固めて初めてのアルバムであるがゆえの、発展途上の感じが強くあった。だからこそのスキみたいなものが、そのまま未来への希望を意味していた。
サードである『ひみつ』は、その続きのステップだと思う。つまり予感された希望そのものだ。そんな感動を味わえただけでも、『ひみつ』が出る前のライブを2度ばかり観ることができて、その間にファーストとセカンドを聴き込めて良かったと思う(そのライブで、『ひみつ』収録の『おばけのピアノ』も『セブンスター』もバッチシやってたんだけど)。一つの盤としてとにかくいい。リピート再生するのではなく、最後の曲が終わったら息を一つ吐いて、何ならお茶でも飲んでからもう一回再生したいアルバム。

7人編成によるアルバム。カルテットでのライブを観た直後、フルセットで録った音源がいかなるものか気になって仕方なくなって買った。というのは、そのライブというのが、演奏がうまいとかメロディがいいとかより先に、自分の体がバンドの音を浴びているのが心地良いと思えるものだったからだ。
その魅力は生演奏ゆえのバイブスではなくて、音源にもちゃんと宿っているものだった。ひたむきなボーカル、複雑なギターとドラム、曲を彩るコーラスワークと管などの楽器、そのどれもが間違いなく「関係」し合っている。音だけではなく関係そのものが聴こえてくるような素晴らしいバンドサウンド。
もちろんフルセットでのライブを聴いたら、違った感動を得られるだろう。この人たちのいろんな曲を聴きたいと素直に思う。

卒業と、それまでのうとうと

卒業と、それまでのうとうと

宇多丸 says 「すげー敷居ひきー歌唱法」といったジャンルではあるが、(別に宇多さんだって低劣だと思ってラップした訳じゃないだろうが)ラップというのは耳に快い立派な歌唱の一つ、洗練されたジャンルの一つである。泉まくらのフロウはまさにそれだ。ループするトラックの上で韻を踏みながら喋ればラップになるというのは大きな間違いで、トラックや演奏と絡み合う、つまり、リズムの相関によってグルーヴを生み出す所に至って初めてラップなのである。ファンタジックな曲を揃えた各トラックメイカーの仕事もすごいが、それぞれのトラックにノリつつ、リリックの世界観とタイム感を出しながらラップする泉まくらはバリヤバである。新譜早く買いたい。

チムニィ

チムニィ

ここ10年ぐらいヒップホップを聴いてきて、生バンドでラップする人らでかっこいいのはいないのかねえ、と思い続けてきた。韻シストTHE ROOTSもかっこいいけど、そういうのとはまた違った……、と。
ぼくの理想に近いのはチムニィだった。上の泉まくらについてのレビューでも書いたような、ラップ自体のリズムと他の音のリズムでグルーヴが生まれている感覚。さらに、出自がヒップホップではないがゆえの、リリックにB-BOYの感じが希薄なために詞が普遍性を保っている点(もちろんB-BOYとしての姿勢を貫こうとするリリックにカッコよさが宿ることは多くあるが、チムニィにおいてそういう魅力は雑味になってしまうだろう)。
たとえば『スーパーNG』の「サンバ ロック ヒップホップ テクノ 電気切って飲んで踊って」というラインで、ラップと絡み合うギターのような。

わ・を・ん

わ・を・ん

去年の暮れから木下美紗都を聴いていて、「ギターの石塚周太は他にどんな音楽をやっている人なんだろう?」と気になり始めていたので購入。西島大介のアートワークにも目を引かれた。
電子色の強いポップスというのもツボだったんだけど、懐かしい想像力のにおいがした、というのが好きになった最大の理由。うまく説明できないんだけど、90年代〜00年代前半に割とマジで信頼していたセカイ系っぽいリアリティを批評されるような、親密に嘲笑われるような、年長者から修正案を示してもらうような、そういう気持ちになった……特に『ムシバメルモノ』を聴いて。

小島敬太

小島敬太

スタジオ録音のない弾き語りアルバム。宅録だったり野外録音だったり。蝉の声なんかも入っていたりして、いつもウォークマンをシャッフル再生させててその音が聞こえてくると、七尾旅人かザ・なつやすみバンドかケイタニーラブか、ひとりイントロクイズが始まる。
五月の連休に買ったんだけど、本当に買った当初は毎日聴いていた。弱ってた自分を元気づけてもらったとか楽しい暮らしを彩ってくれたとかいう訳じゃないんだけど、ほんとに自然にずーっと聴いていたし、一曲目の『パークロカ』は何かにつけて口の端からこぼれてくるように自分でも歌ってしまうようになった。
弾き語りって、ともすると世界観の押し付けになったり、聴く側がハマりすぎてしまうと没入過剰が起きてしまいがちだけど、このアルバムは歌と自分とに隔たりを持ちやすいと思う。自分の見つけられる良さをじっと見ていられる。それでいて、詞や曲の雰囲気には生々しさが宿っているから、鮮やかな感動がある。いつの間にか「作品」から「自分のもの」に化けている恐ろしいアルバム。

サーフィンオールライト

サーフィンオールライト

ディスクユニオンの新宿中古センターにて600円ぐらいで買っちゃったんだけど、あの値段で本当に良かったのか。
ボアダムスなどにも参加していたヒラをはじめとした、DJやプレイヤーのフリーセッションからなるユニット・AOAの作品。トランスなのにアニミズム。「V∞REDOMS」表記以降のボアダムスのライブを観た人なら感じたことがあるだろう、あの「音楽」による興奮なのか「儀式」による興奮なのか分からないあのハイが包含されていてめちゃくちゃカッコイイ。ループミュージックの体をなしているのに散らかりすぎていて、こっちの理性がどんどん麻痺させられていくのが分かる。
シームレスに曲が続いていく、ほとんど一曲アルバムみたいな構成なのだが、ベタがけしてるだけでめちゃくちゃ踊れる。

Beta Love

Beta Love

前作『Orchard』が大好きだったので、見つけた瞬間に勇んで買った。デジタル色が強まって、好きだった雰囲気が薄まってしまったのは事実だけど、「別物になってしまった」とまでは感じない。
リードトラックと思しき『Binary Mind』とかタイトル曲は、実際「流行りのダンスチューンですね」という感想を抱いてしまうけど、ラストの『I shut off』なんかは、(前作収録の)『BOY』を初めて聴いた時の「ヤバイ!」という感じが蘇る曲。RA RA RIOT、そのポップネスに対して知名度が不当に低い気がするのは気のせいだろうか? ぼくがズレてるだけで、みんな聴いてるけど大したことないと思って話題にしないのか? メンバーの脱退とかが原因なんだろうか。HCWに出るような若いバンドは、パワープッシュのうえ流行ってもいいというか、ひと昔前だったらそうなってると思うんだけど。Cloud Nothingsとか、Team Meとか。

Segundo

Segundo

去年けっこうな頻度で『トレス・コーサス』を聴いていたので買ってみたら、こっちも本当に良かった。
またグルーヴの話になってしまうのだが、「カッコイイ曲を聴けば自然と体が動く」なんていうのは嘘っぱちで、パーティーピープルの「ノる」「アガる」というのは訓練によるものだと思っている。自分が曲の中に見出した「グルーヴ」という錯覚かもしれないものをどんどん自分の中で増幅させた、その波動を運動で表すのが「踊り(≠舞踊)」だと思っている。個々人のノリの成り立ちには環境が密接にかかわってくるから、ジャンルが同じでも国によって曲のノリや流行りが異なってくる。「洋楽」に感じる魅力の多くは「母国の同じジャンルの音楽にはないグルーヴ」ではないだろうか。いや、敷衍してしまえばグルーヴに限った話ではないのだ。同じでないから理解できなかったり退屈だったりする、だからこそ興味が惹かれるもの。
日本の音楽がUSとかUKの音楽をベースにとして採用しているとか、単にぼくがアルゼンチン音楽に明るくないというだけかもしれないが、とにかくフアナの歌には「異国情緒」を感じる。言うまでもなく「南国」の。気候の違いを想像できる音楽なのだ。Newtral Milk Hotelと同じ日だったら、間違いなくHCW行くんだけどなあ。

友人や時々行くレコ屋のラインナップの影響も大きいが、そういう点で、ここ最近は北欧音楽もすげ〜面白いと思っている。みんなも大宮MORE RECORDSに行ってみよう。