キャベツは至る所に

感想文、小説、日記、キャベツ、まじめ twitter ⇒ @kanran

2015年

1月

年が変わった直後、大晦日の朝までの夜勤を終えて、早い段階から飲んだくれたくせにチャンネルNECOでかかっていた『悪の教典』で映画初め。観終わった直後に染谷将太の入籍を知る。イメージフォーラムで『アルファヴィル』と『華氏451』、NHKの深夜枠で『その街のこども』。イメフォの特集を観た影響と友達の勧めから、今年はSFを読み始めた。

ceroの『Orphans』に感動し、後にファンアートとして小説をしたためるほどハマる。北浦和クークーバードで観たmmmとNRQ、渋谷7thfloorで観たストラーダに度肝を抜かれた。mmmが『青い魚』と『時をかける少女』をカバーしたのと、NRQと共演して『白い花』をやったのは忘れられない。V6『Oh,my goodness!』のCDとライブDVDを聴くにあたり、その前作である『Ready?』を聴くが、そっちにもハマる。

空也上人がいた』は、山田太一新井英樹のコラボレーションという、読まない理由が生じない一冊だった。『ダンジョン飯』は作ったことのない料理を作ってみたくなる呪術的な本。

「面白い」劇作というのは、結局ありきたりな起伏を拒否しぬいて、「難解」とか「独善的」とかいう謗りを甘受しながら、おぼろげに視える「面白さ」へと作家が邁進した結果としてだけ成り立つのかもしれない。

 

2月

早稲田松竹ガス・ヴァン・サント『マイ・プライベート・アイダホ』『プロミスト・ランド』。二本とも都市のにおいが薫ってくるような映画で、『エレファント』しか観ていなかった身としては新鮮。

ビルボード東京でファナ・モリーナ。原田郁子曽我大穂とのツーマン。ものすごくスカスカな構成なのに、サウンドに過不足が全くなくてびっくりした。当たり前に流通している音楽が、どれだけの様式を遵守して作られているのか思い知らされるような体験。yukaD『yukaD in the house』をめちゃくちゃ繰り返し聴く。別エントリに感想を載せたが、さりげなさだけが醸し得る情感がある極上のポップス。Satomimagae『koko』は、あまりに日本人離れした冷たい聴き応えのアンビエントフォーク。今年一番「見つけた」という感じで魅了された。西八王子アルカディアyojikとwandaを初めて観た。一気に大好きになる。eastern youthの二宮友和脱退の報を聞いたのもこの月。

『薔薇だって書けるよ』で売野機子を初めて読む。自分が読んできた90年代と2000年代の少女~女性向けマンガの妙味がそこここに染みていて「分かる分かる!」と楽しめる一方で、どこかに新しさが漲っている面白い読み応え。結局短編集は全部買うことになる。完結したので『MAMA』も揃えたい。クンデラ『存在の耐えられない軽さ』を読んで、「こう書くしかない」という畏怖の混じった納得と、「なぜこんな書き方をするのか」という楽しい疑問を堪能する。この頃から海外の作品に対して一律に感じる「洋楽くささ」みたいなものについてまた考え始める。

 

 3月

原宿VACANTでKira Kiraを観る。アンビエント、ノイズ、フォークに類する曲目に含まれているループに、ヒップホップへの造詣もうかがえる。アイスランドの音楽は悠遠にすること・美しくすることに躊躇いがないのが好きでたまらないのだが、ああいうトラックを作る人がどういう風にヒップホップを愛好しているのか、疑問は尽きない。北千住CUBでbutajiのライブを初めて観る。シーケンサー導入後間もない(初めて?)のライブだったようだが、『そして僕は途方に暮れる』のカバーがバッチリはまっていた。Sexy Zone@横アリでジャニーズ初体験。

新文芸坐で『総長の首』『県警対組織暴力』。菅原文太は言わずもがな、『総長の首』のジョニー大倉の足技、『県警対組織暴力』の松方弘樹が超かっこよかった。あと『県警対組織暴力』で、キャリア組でいけすかない梅宮辰夫がたたき上げっぽいベテラン刑事の反抗を受け、料亭の座敷をいっぱいに使って柔道技でぼてくりこかすシーンがやたら印象に残る。早稲田松竹で『恋恋風塵』『童年往事 時の流れ』。リアリズム小説があんまり読めなくなっていたところに興味深く観られたので、リアリズム一般を敬遠するのは間違いだと思う。

少しずつ志村貴子青い花』を買い始め、4巻にさしかかる。3巻、4巻で心臓を掴まれたような感じがして「これは全部読まなきゃ後悔する」と思った。

誕生月限定サービスを受けがてら小岩にて大人数で飲んだ時、つい推しカプを暴露して一皮剥ける。正解だったかはよく分からない。いずれ書く小説のために1987年~2005年ぐらいの日本史をざっと調べ始める。自分の生まれ年にオウムが改称していたことに少し驚いた。

 

 4月

渋谷O-nestで月光密造の夜。トリプルファイヤーを観たのは初めて。オリジナル曲の中で披露したミツメ『三角定規』のカバーに、彼らのバンドアンサンブルの魅力が宿っていたと思う。ハイハワの原田君がスカート澤部さんから借りたギターでガンガン弦切ってて笑った。野沢享司『白昼夢』、頭士奈生樹『PARADISE』と廃盤(だよね?)CDを一度に買って節制を志す。志しただけ。1月からちょいちょい聴いていたが、入江陽『やけど feat.OMSB』にハマり、友人知人に触れ回る。yes,mama OK?のベストもこの月に買ってずっと聴いた。ソフィスティケーションという一語でくくられがちな何かをもうちょっと詳しく言語化したくなる。クークーバードで見汐麻衣&mmm。せっかく酒飲み二人のライブなのに、喘息っぽくなって(気管を拡げる)クスリをキメていたので酒が飲めなくて涙した。『柔らかな丘』の音源が欲しくなって買ったキセル『SUKIMA MUSICS』は今年一年中聴いている。満を持してV6『Oh,my goodness!』購入。西寺郷太プロデュースの看板に偽りのない、シンセポップとしての完成度の高さ。恵比寿リキッドルーム鎮座DOPENESS、NRQ、cero。大バコで観るNRQが最高。二次小説を書きあげて初めて生で聴いたcero『Orphans』は筆舌に尽くしがたいものだった。

イメージフォーラムで『恐怖分子』。今年劇場で観た中でベストの映画かも。映画が持っているテンションでスクリーンが微振動していて、それを聴いているだけで背筋や首筋をくすぐられる感じのするような素晴らしい作品。ものごとが一から壊れていく様を淡々と描写しきっている唯一無二の展開。角川シネマ新宿で『さらば、愛の言葉よ』。ゴダールをロードショーで観るのは初めて、3D映画を観るのも初めて。あんまりよく分かりませんでした! でもあんなに分かりやすくコロンブスの卵をやられたのは久しぶりで、感動的ではあった。これぐらいの時期から最寄りのGEOの品揃えが自分好みであることを知り、今まで観てこなかった有名タイトルを観ていく試みを始める。『回路』『キッズ・リターン』『月とキャベツ』。ちょうど金八の再放送を観まくっていたので、第4シリーズで心情揺れる父親を演じていた鶴見辰吾が、『月とキャベツ』で成熟した役柄を好演していて感心する。

 

5月

渋谷クアトロで王舟とAlfred Beach Sandalのツーマン。ギター・潮田雄一とドラム・岸田佳也をバックにした王舟の無敵感。アコースティックなアプローチでしか聴いたことがなかったから、轟音のギターが渦巻くステージに度肝を抜かれる。ビーサンビーサンで久しぶりにバンドで観たらワケ分かんない方へ進歩しまくっていて、満足を通り越してヘンなテンションになった。結果、最寄り駅への終電を逃し、最寄り駅の隣の駅まで辿り着くも、いい気になって適当に歩いたあげく道に迷った。大宮モアレコで買ったI am robot and proud『touch/tone』、goat『Rhythm & Sound』、NETWORKS『DYNAMIC NATURE』、白波多カミン『くだもの』、TOTORRO『HOME ALONE』は全部今年のヘビロテ。カミンさんは六本木新世界でライブも観た。とても良かったが、やはり共演の土井玄臣の印象が強い。去年一番入れ込み、感動されたミュージシャンだけあって仕方ない。『歌にはそれが残る』が収録された特典CDを入手できた喜び。そのライブで観た、その他の短編ズもものすごくよかった。パウル・クレーの天使が奏でるような音楽、これまでもこれからも誰もやらないマイクリレー。DEV LARGEの訃報はショックだし悲しかった。反動でブッダのベストを何かにつけて聴くように。

最寄のイオンシネマで『百日紅』。アニメ映画にしては注目度が低いように思えたけど、リアリティ構築に妥協のない造りで、とても良かった。レンタルで『(ハル)』『LOFT』『CUT』『裸の島』。

沙村広明『ベアゲルター』2巻、『波よ聞いてくれ』。沙村広明に求めるものがギンギンに溢れかえっている。刊行が遅くてもいくらでも待つぞ。三原順展で『はみだしっ子』の原画を観たり、本誌付録の現物を初めて見たり。

 

 6月

cero『Obscure Ride』。あの前作からここまで暗く濃くできるものかと感じ入る。今年本当に何回も聴いた。今見ると「元々ceroは雨に親和するけど、1stや2ndが「雨の情景が浮かんでくる」感じだったのに対して、新譜は「降っている雨に馴染む」感じだ」という自分のツイートは割と的を射ている気がする。クークーバードでMCビル風、butajiのツーマン。二人とも自分と同世代だけあって、笑える「あるある」と示唆に富んだ「あるある」を感じるライブだった。特にビル風さん。WWWでVOLA & THE ORIENTAL MACHINEとゆるめるモ!の対バン。サブセットとはいえドラムをバカスカ叩くアヒトが観られてうれしかった。同じくWWWで入江陽『仕事』レコ発。別エントリにまとめたが、とんでもなくエネルギッシュなライブだった。大谷能生さんがサプライズで誕生日を祝われ、出てきたバースデーケーキを見るなり「こういうの大嫌いで、全然うれしくない」とアンプの前にケーキを置き、「爆音で吹っ飛べばいい」とか言ってて超面白かった。

ceroの新譜を受けて「メンバーが好きだった」と思い出し、『わが星』を観劇。真に普遍的な物語を描くには何をすべきか、どう生きるべきか。演劇のような言葉のライド感・ドライブ感を小説で出すことに興味だけ覚える。実作にはあんまり活かしてない。

レンタルで『アメリカの影』『市民ケーン』『ユリシーズの瞳』『汚れた血』。『市民ケーン』は『CUT』のナデリ監督がベスト・ワンに選んでいたのも頷ける、大作にして名画。

5月・6月と大江『万延元年のフットボール』をひいひい読んでいたのだが、どうしてもあまりの「濃さ」に読み進められず、挫折しかけている。

ゴトウユキコ『水色の部屋』。高校時代、ヤングサンデーの作品群とかを読みまくって免疫を培ったはずなのに、エロの戦慄にもバイオレンスの毒気にももう一度あてられる怪作。

 

7月

ユーロスペースで『息を殺して』。この上なく現代的な映画。キネカ大森で『月とキャベツ』『スワロウテイル』のフィルム上映二本立て。『スワロウテイル』は多分VHSでしか観たことがない。フィルムの経年劣化を肯定できる映画なので、何となくデジタルで観るのを敬遠したくなる良い体験だった。レンタルで『ヴェニスに死す』『カリガリ博士』『息子の部屋』『冥王計画ゼオライマー』。

Zepp東京ceroのワンマン。新譜の曲を鍛え上げたツアーファイナルだった。東京現代美術館コントンレストランでOOIOO。彼女たちのバンドアンサンブルとかグルーヴの魅力は、ぼくには語る術がない。渋谷クアトロで3年ぶりぐらいのMO'SOME TONEBENDER(ワンマン)。本編もカッコよかったが、ダブルアンコールの『未来は今』でブチ上がった。

 

8月

 butaji『アウトサイド』、待ち望んだアルバムだったが、期待以上の名盤だった。今なお聴き続けている。例年通りライジングサン・ロックフェスティバルへ行った。直前に体調を崩していたのであまりシャカリキになれなかったが、どうしようもなく楽しかった。もう体調がどうなってもいいと最終日に食った根室花まるの「炙りえんがわ 焦がし醤油」は今年口に含んだものの中でもう一度口に含みたいもの部門堂々の金賞。北海道から帰った翌日のレコード寄席@クークーバードも楽しかった。ビルボード一位の曲を次々かけて、ビートルズがチャートインした時の衝撃を追体験しようという試み。発見が多かった。月見ル君想フでスカート・ANATAKIKOU UNIT・Controversial Sparkの対バン。どのバンドも超かっこよかったが、山本直樹のDJもすごく良かった。上野水上音楽堂でUBS Summer Jam。NRQを野外で観られたほか、ようなぴミニマム音楽団、SANABAGUNを聴けたのも嬉しかった。モアレコで買った原田茶飯事『いななき』が歌ものとして素晴らしい出来。渋谷O-nestでmmmとoono yuukiの対バン。「mmmと親族」体制のmmm、oono yuukiバンドの復活。感慨深かった。

国立新美術館で「日本のマンガ・アニメ・ゲーム」展。『BLAME!』の原画を見たのが一番の収穫。

ノーライフキング』『想像ラジオ』を読む。続けて読むと、いとうせいこうがシャーマニックに言葉を編む小説家なのだということが分かる。

ライジングを前にしてRojiへ飲みに行った際、髙城くんにスペシャルズのTシャツを褒められるも、その前にビール・日本酒を痛飲していたことが仇となり今年イチの悪酔いをする、っていうか二日酔いになったのは今年あの日だけだ。本当にあの日の自分の人中を一本拳で殴りに行きたい。

 

9月

『井手健介と母船』。隙があるのか完璧なのかよく分からない、不思議な名盤。LOFT ROUNGEでbutaji、三輪二郎など。クークーバードで鈴木常吉&NRQ。常吉さんの歌にぶん殴られるような衝撃を覚える。下北沢インディーファンクラブ。王舟バンド、イースタン吉野さんの弾き語り、柴田聡子、嫁入りランド、ダニエル・クォン、ホライズン山下宅配便、MILK。ライブは勿論、会いたかった人と久しぶりに会え、会ってみたかった人と初めて会えたりした面白い時間だった。MILKでシャカリキになったところ、ポケットに入れておいたスマホが損壊。そのまま北浦和に戻り、butajiワンマン。この人を聴いてきてよかったと心から思える、最高のワンマンだった。六本木スーパーデラックスで、Editions MEGOのパーティー。クリスチャン・フェネスとジム・オルークの空間を埋め尽くすギターデュオ、初来日のクララ・ルイスもとんでもなくよかったが、何といってもPITAのノイズ・パフォーマンス。あんなに一定のテンションで興奮が続くライブアクトは観たことがない。品川グローリアチャペルでヴァシュティ・バニヤン。天上的という陳腐な表現をしたくなる、崇敬の念がきわまるほどのステージだった。黄金町試聴室でカラオケ大会。大谷能生さんの審査委員長としての辣腕ぶりが目を引いた。

レンタルで『13日の金曜日』『万事快調』『ヴァージン・スーサイズ』『少年は残酷な弓を射る』『処女の泉』『ゲド戦記』『旅芸人の記録』『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』。ソフィア・コッポラは少女マンガかもしれない、と思う。『旅芸人の記録』は休日丸2日ぐらい使ってト書きに起こした。

世界樹の迷宮Ⅳ』をプレイし始め、Twitterでフォローしている人の名前でキャラメイクをしてパーティーを組むのを楽しみ始める。キャラが戦闘不能とかになると大変申し訳ない。

 

10月

渋谷DUOでSpangle call lilli lineとORGE YOU ASSHOLEの対バン。スパングルはそこまで演奏にワシヅカミにされたわけではないが、とんでもなく曲が良かった。微妙な判断ではあるが「何にも似ていない」と言えるほど。OGREはもうぼくがどうこう言えるような状態ではない。とてもトリッピン。Alfred Beach Sandal『UNKNOWN MOMENTS』はこのころやっと買った。前作よりもリズム隊二人の顔が見えてくるほど、バンド感がより精確にパッケージングされていた。UNITでのビーサンワンマンには不満など一切なし。ギタリストとしてのビーサンの進化が著しいとは聞いていたが、期待以上だった。同日の昼、浦和キャッツアイで観た、やく・虎のツーマンも面白かった。正当に日本語ブルージーなやくさん、サイケかつロックンロールな虎。コエドビール祭りでThe eskargot miles、ハッチハッチェルオーケストラ、そしてオオヤユウスケ曽我大穂U-zhaan(このトリオで『Walking in the rhythm』やった時は変な声が出た)。この夜クークーバードに飲みに行ったら合コンに巻き込まれた。渋谷7th floorでbutaji、PROPOSE、ソリッドアフロ&ディア・デ・ロス・ムエルトス(覚えよう)。元昆虫キッズのせきねさんのベースがカッコよかった。yojikとwanda『フィロカリア』を聴いたのも多分10月。どの曲も素晴らしいが、NRQから参加の服部将典コントラバス)の歌声がものすごく効いている。また『The Water is Wide』のカバーも心に残った。月見ル君想フで東京30人弾き語り。初めてライブで観る原田茶飯事さんがトップバッター。トロンボーン声帯模写の巧さにびっくりする。butajiさん、三輪二郎さん、mmm、知久寿焼さんなど敬愛するシンガーの中、予備知識なしで観た双葉双一・戸渡陽太にグッと来た。青山からの帰りしな、友人がBP.(元カウパーズのイチマキさんのバンド)を教えてもらい、好きになる。Everything but the girlのファーストを初めて聴き、メッチャハマる。Rojiの9周年パーティーにてHara Kazutoshi、伴瀬朝彦のライブ。松永良平、見汐麻衣のDJ。伴瀬さんの『階段の登り方』が、まさに二階で飲んでいる自分たちをことほぐような響き方をして、思わず泣いてしまった。持っていったケークサレを厚海義朗さんが食べているのを目撃してきゃーきゃー言ってしまった(誇張表現)。代々木第一体育館でV6。初めて観る自Gのライブで集中力と興奮のエネルギー残量を使い果たし、鑑賞後、腸が激しく蠕動を続けた。

ユーロスペースで『野火』。思想を問われる力作だった。『この世界の片隅に』の予告編がかかったのも印象に残っている。早稲田松竹で『マッドマックス2』『マッドマックス 怒りのデスロード』。デスロード、巷間の熱狂ほどアツくはならなかったが、面白い映画だった。レンタルで『スターウォーズ エピソードⅣ』『マシニスト』。シネマライズ閉館の報にショック。

あらかわ遊園ワニワニパニックにその日のハイスコアを残す。

 

11月

キネカ大森の橋口亮輔特集『二十歳の微熱』『渚のシンドバッド』。大好きな監督の初期作品であるだけあって集中して観られたが、浜崎あゆみの素晴らしい演技がやはり印象的。早稲田松竹で『オープニング・ナイト』『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』。ジーナ・ローランズが天才であることをもう一生疑わない。同じく早稲田松竹で『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』『セッション』。「バードマン」のエドワード・ノートンがめちゃくちゃカッコイイ。『セッション』は凡作、音楽をモチーフとして真摯に、丁重に扱っている感じがしない。レンタルで『夏の遊び』『第七の封印』。原節子の訃報に寂寞の念を覚える。

7th floorでoono yuuki、松倉如子バンド(正式名称で書くと若干ややこしい)。山羊に、聞く?でNRQ・ストラーダのツーマン。どっちのバンドも全くケチが付けられない。特にストラーダの爆発力は本当にもう一体何なんだ。キネマ倶楽部でMO'SOME TONE BENDERワンマン。天使の羽根をつけた武井先生を目の当たりにして功徳を積んだ。WWWで七尾旅人特殊ワンマン『兵士A』。『野火』を観た時と同じか、それ以上に身体性に訴えかける「戦争意識」。「兵士Aくんの歌」のことは忘れまい。忘れられないが、決して忘れまい。O-nest渚にて・頭士奈生樹。世界で一番好きなギタリストが頭士奈生樹になった夜。高円寺メウノータで下岡晃・原田茶飯事ツーマン。茶飯事さんの歌を初めて生でドップリ聴いて、もう虜になったと言ってよかろう。アナログフィッシュは長年好きでいるのに初めて下岡さんを生で観る。弾き語りで聴いた『No Way』の破壊力。

よしながふみきのう何食べた?』11巻で、『こどもの体温』に載っていたケーキのレシピが載り、狂喜。友人宅に遊びに行く折リクエストされ、早速焼く。

 

12月

ギャラリーセプチマでネス湖+NRQ。美しく雷鳴をとどろかせ続けるようなネス湖アンビエント、そこからシームレスに始まったNRQ。完璧に限りなく近い室内楽の接続。クークーバードにてサラダ+大島輝之。二人それぞれの歌もさることながら、二人ともが別の歌を同時に歌い、バラバラにMCもして、最後に同じ曲へと合流していく「歌合戦」と称したパフォーマンスが忘れられない。不調和から調和への道筋の発明だった。同じくクークーバードにてbutajiワンマン。全編ギターだけで繰り広げられた、butajiさんの歌のフルコース。幸せだった、そうとしか言えない。翌日もクークーバード、井手健介と伴瀬朝彦。二人とも無国籍というか多国籍というか、という雰囲気を日本語でしっかりとまとめ上げている稀有なシンガーソングライター。ライブ納めにはうってつけの素晴らしいライブだった。

テアトル新宿で『恋人たち』。結末をきれいにつけすぎ、という批判が散見されるが、あれは希望的なエンディングなんかじゃちっともなくて「あのエンディングのあとにも作中以上の絶望が起こりうるかもしれない」という暗示であり、「それでもああいう晴れた気持ちは人々に訪れ得る」という祈りだ。好きな作家に下駄を履かせる意図もあるかもしれない。しかしぼくはあのラストを支持したい。BSプレミアムで『赤線地帯』。誰からも本当には理解されない苦界の辛苦を精緻に描いている。レンタルで『パッション』。モチーフの強調の連続に、美術を勉強したくなる。

高野文子『棒がいっぽん』

棒がいっぽん (Mag comics)

大学時代、先輩の家に泊めてもらった時に読ませてもらい、それから自分でも買った短編集。当時別の友人にガロを教えてもらっていたのに、『絶対安全剃刀』を先に読まなかったことは幸か不幸か。何にせよ一冊単位で言えば、自分のマンガの趣味の中で挙げざるを得ない本だ。

 

◆『美しき町』

きわめて静やかなテンポのコマ取りで描かれる、同居して間もないお見合い夫婦の日々の物語。夫婦の心情を淡々と語るモノローグ、「同じ工場に勤める家庭が集合する団地」というロケーション、リアリズムにのっとったセリフ回し、線自体は簡素でありながら丁寧に陰影をえがく描画。繰り返し読んでいると、紙面を撫でたくなるほどに、静かで、戯画的で、しかし生活の色は鮮やかだ。

安直に過ぎるが、松の木に背を凭せかける妻の姿とか、きれぎれにさえ見える生々しいセリフの数々、放り投げるような人の表情の描き方に、小津映画の雰囲気を嗅くことができた(初読のときには小津を一本も観たことが無かった。ほんとうに安直な感想だと自分で思う)。

この作品ではひとつだけ「トラブル」と呼べる事件が起き、それが静謐なストーリーの中でクライマックスを作り上げる。その点について、個人的な思い出がある。この作品が好きな友人が一人いるのだが、彼はこの作品を絶望の物語だとした。閉じられた生活の中で、きっとこれからもつまらない出来事には見舞われ続けるのだという、倦怠の物語だと。ぼくはそのトラブルに見舞われながら、それをいつか二人なら笑い話に消化できるだろう、それを信じようという、希望を遠くに見る物語だと読んでいる。いろいろな表現に対して共感することの多い友人と、意見が真っ二つになっただけあって、このエピソードには強い印象がある。今になってみれば、ベターハーフというものに対してのぼくたちの価値観の違いが、如実に出ただけとも言えるが。

しかし何度読んでも、この作品の結末で、九月の明け方に夫婦で口にするホットミルクとクラッカーに、ぼくは幸せの薄い味を思い描かずにはいられないのだ。

 

◆『病気になったトモコさん』

小児病棟に入院している子供の視界を描いた掌編。時系列や空間の連なりを無視して挿入される、病室ではない《トモコさん》の自室のカット、遠くを走る電車の窓のカットなどが、子供独特の思考の飛躍をえがいているようで面白い。そのスケールの小ささから、こうしてレビューを書く時にはどうも文字数を割けないのだが、すとんと飲み込めるくせに高野文子以外の他に誰が、病室のむなしさをこう描けるだろうと思わせる佳作。

 

◆『バスで四時に』

結婚相手の家を訪ねる道のりの、女性のお話。これも一人称的な視点で物語が進む。順路の進み方を頭の中で繰り返しながらバスに乗る、そうしながら、目に入ったり脳裏をよぎったりする由無し事に気を取られ続ける……。思考が走ってしまっているとき、つい独り言を心で編み続けるような人は、深く共感できる物語だろう。そうした癖がなくても、前触れなく蘇った幼い頃の記憶が今の境遇と混じって展開し、顔を思い出した友達のフルネームが思い出せないというパートの不思議な緊張感は、きっと誰の目にもビビッドに映るはずだ。

ぼくはこの話が、短編マンガの中で一二を争うほど好きだ。偶然に起きた出来事を話の基礎にしてはいるが、この物語は未来の幸せを暗示しているからだ。何も約束してはいないが、きっと彼女の結婚は幸福なものになるだろうという予感を、予感のまま確かに読者へ伝えてくる。しかも言葉ではなく絵だけでその祝福を作品へと招じ入れている。

 

◆『私の知ってるあの子のこと』

「子供は複雑である」ことを描破している作品。絵本調のモノローグで綴られている示唆に富んだ物語であるため、梗概に触れることは敢えて避けたい。つまるところ、孤独とか無力といったたぐいの真理に気付いてしまった子供の話だ。

子供の頃には戻りたくない。現実逃避の術を持たない時に世の中の心理を垣間見るような拷問にはもううんざりだ。しかしそれを書きたいと思う。

 

◆『東京コロボックル

上記の四作はいずれも少女誌に載ったもの(『病気になったトモコさん』はLaLa別冊、それ以外はプチフラワー)だが、本作はHanakoに掲載されている。東京のイマドキの夫婦宅に寄生しているコロボックル、という設定で読ませる2ページ1話の連載作品。たまにはスパゲッティを食べようと、スパゲッティの切れ端を(寄生先のおうちの)フライパンに転がして味を付けたり、人間のオフィスのほっぽらかされてる紙袋の中にコロボックルのオフィスがあったり、いちいち描写がかわいらしい。マガジンハウスの雑誌に載っていたようなマンガは時々の流行りのアイテムや語彙がちらつくので、ぼくのような古本読者にはそれだけで面白かったりする。

 

◆『奥村さんのお茄子』

頭脳がポンコツなので、何度も読み直して、色々な方のレビューを読んで、ようやく話の筋というか語られているものの輪郭を掴みました。

漬け茄子・うどん・炊飯器、ガジェットはいちいち当たり前のものなのに進んでいく梗概がどう見てもSF、という設定が実にSF。

薄れた記憶を寝技のごとくしつこく多角的に突き詰めていく、しかも記憶の主は子供もいい歳になった電器屋の店主、記憶を探るのはどうやら人間じゃないスーパー店員の格好のお姉さん。もうこれだけで何が何だか分からないが、一コマ一コマ丁寧にアクションとセリフを織り重ねていく叙述を丹念に読んでいると、分からないなりに読んでやれという気概が湧いてくる。十年弱前に読んで以来、折に触れて読み返している。

精緻な考察はWeb上にごまんとあるので、もっとピンポイントな掬い方をしたい。「お茄子」と題に採っただけあって、本書の作品群の中でも食事の描写がとりわけ鮮明な一篇だ。とろろ芋から生えた毛のシンプルな描き込み、それを丸かじりする時のオノマトペ「しゃか」、セリフで説明が添えられない、しかし必然的にしょうゆ皿に添えられたチューブわさび。単に食い意地が張っているせいなのだろうが、こういう描写に「萌え」を感じざるを得ない。そうして描かれる茄子が、いかにもしょっぱそうな、弁当に詰められた白飯に汁気を吸わせてがつがつかき込みたくなるような茄子が、この物語では凶器として描かれる。この不気味さ。

 

 

余談だが、福田里香『まんがキッチン』には、本書から着想を得たお菓子のレシピが収録されている。福田女史が唱える「フード理論」≒物語の食べ物の描写は、演出を読解する大いなるヒントであり、作家の価値観を物語るものという論には大いに賛同している。『ハウルの動く城』で、ソフィーがマルクルにベーコンエッグを焼くが自分の分は焼かない、それだけで「ちゃっかりした子ではない」と表現している……物を食うのは生きている証拠であるが『西洋骨董洋菓子店』で小野だけ物を食べておいしいと言う描写がないから、小野が一番ミステリアスに見える……などなどの考察には頷くばかりだった。高野文子のみならず、様々な作家・マンガを面白く読むヒントがたくさん盛り込まれているので、一読をお勧めする。

まんがキッチン