キャベツは至る所に

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PICKY In thIs PandemIC - 3

 

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オ:何で今時、身銭を切って紙の本を刷るのかって話なんですけど……。今の情勢だからってのもあるんですけど、一回SNSから離れた所に自分の言葉を置いてみたい、っていうのがすごいあるんです。ぬるい交流だけ楽しむには、Twitterにしてもインスタにしても限界が来てるので。今の色んなムーブメント……『テラスハウス』(の出演者の自殺)のこともそうです、誹謗中傷と批判の線引きの議論……あれは「議論」っていうのか、お門違いのことを言ってる人が多過ぎないかって感じますけど……ちょっとそうしたい、っていう。

 

マ:言論の自由っていうか、色んな人が色んなことを思う、それって昔は可視化されなかったじゃん。だから自由に言いたいことを言えた。見てる人も少なかったかもしんないし。誰もが誰もに、自分の言ったことを見られてしまう状況があるってことが、逆に自由じゃないっていうか。様々な意見がどんどん入ってきちゃう。そう考えると今、意見を本っていう一つの形にまとめる方が自由かもしんないよね。「何だこの意見はー」ってなる人も、読んだ人の中にはそりゃいるかもしれないけど、でも(SNSのようには、そういう人が)すぐには見えてこないし、書いた人と読んでくれた人が話したりして意見をもらうとか、そういう方が……健康的というか(笑)。面と向かって言う時に言えない部分があるかもしんないけど、そういうことを言っちゃえるSNSの空気が辛くなってきちゃって。見てるだけでも。

 

オ:「言論の自由」の話すると、「ヘイトスピーチする自由」を言い出す人たちもいますしね。他人を害したり脅迫に等しいことを言ったり、そんな「自由」保証すべきじゃないのに。

ちょうどここに来る時に見たニュースで、小池(百合子)都知事が「自粛から自衛の時代へ」と発言した、っていうのを見たんですね。何というか、言葉を変えれば「何とか食いつないで行けよ、勝手に」っていうだけの話じゃないですか。こうして経済が逼迫した時に自己責任論が肥大していくのって、「人それぞれ」論と同根だと思うんです。「結局、人それぞれだよね」って一番便利な逃げ口上ですよね。

 

マ:そうだね(笑)。

 

オ:人の好みまではどうこう言えないんですよ、それは文字通り人それぞれだから。でも「そう片付けていい話じゃなくない?」っていうことが、「人それぞれ」で切り捨てられ過ぎてると思うんです。

 

マ:生活に対してね、人それぞれって言われても(笑)。そこをちゃんと公平にするのが政治の仕事なんじゃないんですか、って。それを投げっぱなしにされるとちょっと。国政を預かる人たちが、国民を搾取の対象としてしか見てないんじゃないかっていう……。

 

オ:補償の話で「そんなカネどこにあるんだ」って言う人もいますけど、じゃあ何で去年(2019年)台風であんなに大変だった時に消費税上げたんだって話にもなるし。仕事柄、火災保険の話とか聞くんですけど、一昨年の(関西・中部を中心に被害が大きかった)台風で壊れた物の見積がやっと最近出せたとか、今年に入ってからもそういう話ザラにあるんですよ。もちろん千葉の人からも。そんな人たちに、一律で負担を増させるわけじゃないですか、消費税の増税って。まさに去年の台風行った直後に、渋谷の全感覚祭にも行ったから、よけい印象に残ってて。マヒト(ゥ・ザ・ピーポー。GEZANのフロントマン)くんもあの時期、経済の問題とか、今こういうことを勉強してるってことを色んな媒体で話してた記憶があります。世の中には経済という力学があって、そして自分たちには全感覚って場がある、ということを。絶対に支持したい。やり方はすごい無茶ですけど(笑)。それを言ったら森道(市場)もそうですね、あれは利益上げてないわけですから。

 

マ:本当に良いよね、森道……。森道って、良いよね。

 

オ:(笑)

 

マ:最高だよね。

 

オ:トイロック、ウォンブ、全感覚、森道と話してきましたけど、愛日燦々はやっぱり意識してるんですか、それらの存在を。

 

マ:愛日燦々は……愛日燦々は、東の「森、道、市場」になりたい(笑)。俺が読んだ(森道の)主催者インタビューだと「フェスって音楽がメインだけど、市場をメインにしたフェスがやりたいんだ」って書いてあって、それすごく良いなって思って。俺も、音楽のフェスもやりたかったんだけど、地元のお店とか友達のお店とか良いお店がいっぱいあって、そういう人たちと一緒に場を作りたいなっていうのがあって。音楽が好きだからフェスをやってみたい、みたいなことは昔から思ってて、この(クウワというお店の)中でしか企画をやってこなかったから。外でやってみたいなっていうのはずっとあった。やるとしたらどこでやるかなとか考えて、やっぱり出来るだけ自分たちの近くでやれたらいいな、ってなって。

 

オ:むさしの村であんなことするって希望ですよ、埼玉県民からしたら。

 

マ:でも、分かんない、森道の話を聞いてると(笑)。探り探りでやって、自分ちはあれで「やれた」のか? って思うし、フェスとして良かったのかどうかも分かんないし。来てくれた人が「すげー楽しかった」とかって言ってくれるのがたくさん返ってくるのが唯一良かったけど……。アーティストに対しても充分にケア出来てはいなかったところがあったし、手伝ってくれた人たちにもお世話になりっぱなしだったし。お客さんは裏側を知らないけど、我々は実際どうやっていたかを中から知ってる訳じゃん。お客さんは来て「メチャクチャいいじゃん、何このイベント最高だねー」って言って、家に帰ってからも「よかったねー」って思い返して。そうやって言ってくれる人が実際にいた、っていうので「やれた」んだな、っていう実感はあるんだけど、自分の中で、次あれと全く同じものをやるっていうのはちょっとどうなのかってあるし。

 

マ:まあ確かに、内情を知ってる身としては、アップデートしなきゃいけないところがあるとは思いますが……(笑)。

 

オ:そう(笑)。それをやるには労力も時間も必要だし、お金も必要だし。……大変だなって思うよね(笑)。それを全部クリアしていくのは。自分がお店をやりながらそうやっていくのは、かなり大変だなっていうのがあるね。もう一回やりたいけど、今の時点では、全然出来そうな見通しはないね。

 

オ:しかもコロナ禍で。

 

マ:そう。今コロナで、色んな団体であったり場所であったりで、クラウドファンディングで資金を募ったりするのは当たり前になってはきてるけど……。

 

オ:クウワの減収も、かなり厳しいですか?

 

マ:うちの店で言えばまあ、前年比で言うと三分の一……まで行かないか、半分以下ぐらいかな。まあ給付金みたいなものもあったし、一応何とか続けられるかなあ、っていう感じではあります。うちなんかより大変な所、もっといっぱいあると思うんだよね。飲食店もそうだし、イベントをやる所とかさ、「夜の街」とか? 本当に大変だと思うから。それに比べたら全然マシかなって……。もうちょっとお金くれてもいいんじゃないかとは思うよね(笑)。100万で終わりか、とか。

 

オ:それは本当にそうですよね。100万って、運転資金で言えばね。

 

マ:1か月分にもなんない(笑)。その辺がちょっと……。本当に大変なときにパッと出してくれたら、閉店しなくてよかったお店とかもたくさんあっただろうし。

 

オ:タイムラインにSLANGのKOさんのツイートがRTされてきたんですけど、札幌の打撃がすごいらしくて。どんどんお店が閉業してるし、自殺した経営者の話も聞くって。観光地街のダメージは確かに凄まじいんでしょうね。何ていうか……状況証拠だけで犯人にしてるこの感じ、すごい嫌ですよね。ある場所にいた人から陽性反応が出た、そのお店や居合わせた人に処置を、っていうのは分かりますよ。だけど、その人が実際にウイルスと接触したのは、その場所じゃなくて移動中かもしれないし、帰りに寄ったスーパーとかコンビニかもしれない。それが、条件が揃いがちってだけで、特定の業種とか施設の全体まで十把一絡げに「危険」とされて。ライブにしたって、三密を避けられる公演もたくさんあるのに、実情を知らない人たちが、結構なポストに就いていて「全部危険」「感染リスクがある」って風に音頭を取ってるのが……。

 

マ:オッサンっていうか、もはやお爺ちゃん? の人たちのイメージだけでやってるじゃん、何か。実情はどうなんだっていうのを議論すべきなのに、よく分かってない方々がやってると思うし。共産党の山添(拓)さんとかね、すごいちゃんと調べて、現場とかも見に行ってて。ああいうことを全くしてない方々が、数字だけを見て「はいダメー」「はいキケンー」って決めてるのがすごいよく分かるんで。

 

オ:山添さんは昨日(6/12)の予算委員会の時も、「キュレーターも文化の担い手であるという認識はあるのか」っていう質問の仕方とかをしてましたね。

 

マ:その辺まで踏み込んで言ってくれる人がいるのは、勇気というか希望というか、本当に……。今回みたいな情勢になって、色んなことが変わっていくんだろうなっていうのは思うけどね。我々も今回気付いたことがたくさんあると思うし。このままじゃいけないって思った人はたくさんいるんじゃないかな。

 

オ:仮に今言われてる「ウイルスとの共存」っていうのが現実になるというか、今までのような興行が今後も打てなくなるって風になったら、そりゃあ策を講じなきゃいけなくて、閉業する・事業を取りやめるって判断をする人が出るのはやむを得ないけど、せめてそのカーブをなだらかにすべきですよね。たまたま、こういう情勢でダメージ受ける類の商売をしてたからって、「運が悪かったですね」で食いっぱぐれるっていうのは……自分はそういうこと生業にしてはいないんですけど……近しい人がそうなるのは、本当にキツいので。

 

マ:やってる側としては……すげーお客さんに助けられるっていうことを実感できて良かった(笑)。常連さんたちに生かされてるんだ、って。テイクアウトだけにしてた時期も、よく来てくれる人が買いに来てくれたりして、何とかやってけるなって思えたから。国ももうちょっとちゃんとしてくれよ、っていうことも思うし、周りにいる人たちを大切にしていかなきゃいけないんだってことも強く思ったし。

 

オ:文字通り「特効薬」がない、何をしてれば安全っていうガイドラインもない、気を付けるだけ気を付けるしかないっていうこの状況で、自分の企画のうち2月のものは開催、3月のものは延期っていうことになりましたけど……本当にあの頃……今も状況的にはそんな大差ないかもしれませんけど、やるやらないの決断はどっちも全部英断だったんだ、っていう気持ちです。給付金とかの話もまだ全然具体化してない時で、ライブ全部トバしちゃったら家賃も払えない、食ってけないなんて所もあったわけで。無症状のキャリアーがいるっていう問題もあるから、小規模のイベントでも、人の流れを生むことがそもそもどうなのかっていうのは考えたんですけど。

 

マ:うちも、3月15日のあの混乱の最中(JUN SKY WALKER(S)の)宮田和弥さんの企画は結局やったんだけど、何が正しかったのかは分かんないよね。感染のことを考えると、やらない、出入りをゼロにするっていうことの方が正しいっていうのもあるんだけど……。でも、ミュージシャンにも生活があるし。やらないと生きていけないっていうのも真実であるし。どっちかっていうと、ミュージシャンを「助けたい」じゃないけど、仕事をできるようになってほしい、っていう方がけっこう強くて。このまま出来なかったら、本当に収入がなくなっちゃう人がいるから。我々としてはさ、テイクアウトでも何でもやれるからまだマシだけど、公演自体をやってはいけないっていう状況って超苦しいよなって思って。みんな表立っては大変だって言わないけど、すごく大変だろうから。だから少しは手助けじゃないけど、そういうことができれば……。かといって、マックスでパンパンに人を入れてやれるっていう話でもないし、ミュージシャンにとっても本来もらえてる額のどれぐらいになるのかっていうのもあるけど、やらないよりはやっていきたい、っていう人もいるだろうし、俺も「できればやりたいな」とは思うし。

 

オ:対策を打つにしても、何が公演の魅力を殺いでしまうのかとか、その人のパフォーマンスがどういう性質であるとか、明確なジャッジはしようがないんですよね。さっき言ったように、ガイドラインとかがない以上。

 

マ:だから今、悩み中って感じです。本当に。

 

オ:直近だと、蔡忠浩さんと寺尾紗穂さん・butajiさんのライブが、6・7月とありますね。その時点でそういう安全基準みたいなのが定まってるなんてありえないだろうから……。

 

マ:うん、6月28日が蔡さん、7月11日が寺尾さん・butajiさん。

 

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オ:「これをしてない店に営業させるな」「罰則を」とかってことは、本当に今決めるべきじゃないと思うんですよね。世相もそうですし、政治の中枢にいる人たちの判断見てもそうだし。今ペナルティを先に決めると、抑圧の方が強まっていくと思うんで。いつの世もそうだったんでしょうけど、「これをしとけば安全」っていうものに食いつきがちというか……自分もそういうものにすがりたい気持ちも、もちろんあるんですけど。分かんないんだから慎重になりましょうよ、そして分かんないものの中に他人の生活や判断があることを含めましょうよ、ってことしか言えないと思うんですけど、どうもそこが蔑ろにされてる。

 

マ:考えんのが面倒臭いんじゃない……(笑)? 「俺はこうなんだ」って言って、このことはもう考えたくない、っていうことがすごい多い。

 

オ:勉強しないと優しくなれないと思うんです。「優しさ」っていうのもすごい抽象的な言葉ですけど、誰かの立場を考慮して自分の行ないを決めるのが、きっと優しさじゃないですか。相手の生活であったり優先順位であったり困り方であったり、そういうことを知るのって勉強をするしかない。個人的な関係を築くんであればコミュニケーションを密に取っていくことでカバーできるかもしれないけど、他者一般のことって、勉強しないと普遍的な優しさって持てない。差別の問題もそうです。フェミニズムをもっと勉強しなきゃと思ったのって、自分が性暴力の被害に遭ってこなかったことに気付いたから、っていうのが大きいんです。こんな体格とかをしてると、腕力で屈服させようとしてくる輩とかはそうそう現れないわけですけど、でも近しい女性に聞くと、日常生活の中で当たり前に性被害に遭ったりしてるわけなんですよね。自分が感じてる生きやすさ……というか、自分が感じずに済んでいる生きづらさが、単にゲタを履かされてるようなもんなんだっていうのを、そこで初めて自覚したというか。自分の与り知らないところで生きやすくされてるんであれば、そんな生きやすさは御免だっていうか、間違ってるわけじゃないですか。そういうことは、知るまで自覚できないから。だから勉強しないと優しくなれないってことは、近年よく考えていて……想像力というか何というのか……。

 

マ:そう、想像力だよね……。

 

オ:想像力って、万能ではないと思うんですけど。誰のことも自分のことのように分かることはできないし、そもそも自分のことのように分かろうとすることが……(butajiの『サンデーモーニング』が流れ始める)ちょうど、そういうことを歌っているミュージシャンの曲がかかり始めましたが……。

 

マ:(笑)すごいタイミングで。最終的に教育の話とかになっちゃうけど、自分と他人が違うことに我慢が出来ないからぶつかるわけじゃん。自分と他人は全く違うものであるっていう大前提を誰もがしっかり持ってたら、ケンカとかはなくなるんじゃないかって。相手はこういう立場で、こういう風に生きて来てるからこういう考え方なんだっていう想像をするとか、推し量るとか、みたいなことをもっとちゃんと教育としてやってかなきゃいけないんじゃないかなって、すごく今の時期、思う。想像力ってワードがしっくり来るというか、想像力を持って生きるってことがすごく大事っていうのを、学校や親から伝えないといけないと思う。差別のことも、今の補償のこともそうだし……全ての人にベストにハマる選択は出来ないと思うんだけど。「こうあるべき」を押し付けるのって多分、楽だからなんだよね。考えなくて済むし。簡単にしたいんだよね、何でもね。

 

オ:自分の持ってる枠にはまらないような、理解が及ばないものの方が衝撃が大きいし、そういうものとの出会いを、自分は求めてるところがあるんですよ。それが結局、ライブを観に行くことであったり芝居を観に行くことであったりするんです。動揺したいんですよ、変な言い方すれば。そういう場のことは守りたい……守るほど力はないけど、なるべく。分かってもらえるものともあんまり思ってないんですけど、分かってくれない人には分かってもらえないんですよね。観た映画が衝撃的すぎてどう帰ったんだかあまり覚えてないとか、終わったら飲もうねって友達と話してたけどライブが良すぎて何かまっすぐ帰ることにしちゃったとか、そういう経験って大なり小なり皆あると思うんですよ。そういう空間が今蔑ろにされてるから。

 

マ:でも分かんないんだよね。そういう経験をさ、してない人もいるのかなっていうさ。我々はそういう経験してきてるから知ってるけど。「俺には必要ないから、なくてもいい」っていう意見は少なからずあって。我々にとってはそういう、芸術・文化とかが生きてくうえでとても必要で。なくなった人生が考えにくい、みたいな人たちがいるけど、そういうものに触れてこない人生っていうのもあるのかな、って。だからそういう人たちにとっては、「俺とは関係ないからなくてもいいんじゃない」ってなる。

 

オ:全ての人が、これは誰かの豊かさに通じるのかもしれない、って、色んなものを尊重できればいいんですけど。

 

マ:それがすごく難しいよね。想像力を持つってことなんだけど、想像力にも限界はあるから。

 

オ:でも、さっき「優しさ」って言葉を遣いましたけど、優しさを点検していくには良い道具のはずなんですよ、想像力は。何かすごく、小中の教科書に載ってそうなことばっか言ってますけど。

 

マ:それって、でも、優しくありたいという気持ちを持ってる人はそうだけど、そういう気持ちを持ってない人もいるんだよね。

 

オ:俺は「人に優しくする」っていうことを……こんないい歳になってまで何でうだうだ言ってんだろうって考えてみたんですけど、言葉にするとまあ嘘臭くなるんですが、「それが世界のためだから」って結論になるんですよね。前に友達から、例えば文章を書くとかいうことについて「どうして自分の考えを人に見せられる形にしようと思うんですか?」って、すごい根源的なことを訊かれたんですよ。しばらく考えて出てきた答えが、「世界を良くしたいから」だったんです。それが表現される前より、表現された後の方が、何か少しでもいいから世界が良くなってるのを目指して作ってる。確実に言葉にしようとすると、そこに行き着くというか。全体主義って大っ嫌いだし、属している組織とか国家に個人がすり潰されることは絶対にあってはならないんだけど、でも“全体”のことはもっと考えているべきじゃないか、とも思うんです。……こういうことを的確に言葉にしたくて、小説書いてるようなところがあります。すごく理想論的かもしれないし、稚拙な思想かもしれないけど、そこは曲げたくない。

マヒトくんとかオーリー(折坂悠太)さんとかbutajiさんは「分かりあえなさをもっと考えよう」というスタンスを持ってて、個人の思想について言及したりしてますけど、自分は「他人のことは分からない、でも通じ合える瞬間はある」っていう方からアプローチしたいんです。「限定的だけど分かり合える」の方を前面に置きたいっていうか。その方が、他者を思いやるっていうことについて、自分が思うように語れる。

 

マ:「分かり合いたい」っていうのが多分根本にあるから、他人が違うことに対して我慢ができないんだよね。結局そこなんだよね、人に優しくすることによって世界が良くなるっていう、最終的にね。それは分かる、すごく。皆それぞれ「こうした方がいい」っていう思いは多分違うんだけど、でも優しくするってことは……大事だよね(笑)。自分も優しくされたいじゃん。

 

オ:……優しくされたいように優しくされたいですよね(笑)。

 

マ:(笑)分かんないけど、分かんないのが当たり前だとか、違うのが当たり前だとか、やっと日本の中でも……きっと欧米とかだと当たり前の感覚なんだけど、日本人はまだそこに達してないっていうか、それぞれ自分の心の持ち方を変えていかなきゃいけないんだってことは、今みたいな状況になって身に染みたっていうか。「空気を読む文化」とか「察しろ」とか、そういうのが変わっていかないと、これからの時代キツくなっていくし。

 

オ:飲み屋とかの場で政治・宗教・野球の話をするな、って昔から言いますけど、何をどう評価してどの政党を支持してるとかいうことを、冷静な会話のテーブル上で出来ないといけないんですよね。すぐ「この期に及んで○○支持なんてバカだ」になるんじゃなく。

 

マ:なんで「するな」になったんだろうね。ケンカになるから? 今回すごい痛感したけど、めちゃくちゃ生活に直結してることなわけじゃん、政治って。「マスク届かねー」も「10万入んない」も政治の話じゃん。カジュアルに、普通の日常の会話としてしてなきゃいけない話じゃん。今こういうことになってやっと、仕事しながらでも「アベちゃん、どーなのよ?」とかって話すようになったけど。

 

オ:「空気を読む」とか「察する」力って、SNSとか5ちゃんねるとか、ネット上でもみんな無意識に使ってると思うんですよ。トレンドとか、皆が熱中してる事柄について「ざっと見る」っていうことがすごく習慣づいてる。圧縮された情報が重宝されてるんですよね。でも圧縮の過程では省かれる部分があって、そういうところを見逃すと本当は運動のことって掴めないんだけど。最初にマミヤさんが言ってたアルゴリズムの話にも通じますよね、これがホットとされる情報とかを軸にしてしまったり、盲信っていうか、信頼してる人の意見の風見鶏みたいになってしまう。情報の多さのせいでもあるんでしょうけど、「私はここでいいです」に行き着いてしまって。

 

マ:ボヤーッとしたグレーな所にいるのが辛いっていうか、どこかに着地したいんだよね。

 

オ:そこで迷ったりためらわないと、いつか何かを踏みつけるんですよね。新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』の中で、「世の中には恐らく正しいことと、明らかに間違っていることの二つしかない」っていうセリフがあって、何かにつけて最近思い出すんですよね。自分がこんな俯瞰的な物言いに相応しい人間だとは思いませんけど、そこで意見がぶつかったら対話のつもりで話をしましょうよ、っていうことなんですよね。

 

マ:本当にそうだよね。考えてはいるんだけどね、議論していかなきゃいけないっていうのはあるんだけど、現実的にどうすれば出来るんだろうってなっちゃうところはあるよね。

 

オ:どうしてWeb空間だと、あんなに言葉の刃先をとがらせられるのか、と思う時があります。受け取り手に知性も感情もあるってことを分かってんのか分かってないのか、みたいに思う時……。それも「SNSじゃない所に言葉を置いてみたい」と思った動機の一つで。何かの問題とかテーマに色んな人が言葉を遣っていくと、言葉自体がその人の属性を決めるものになっていくじゃないですか。単なるレッテルと言えばレッテルなんですけど。コミュニティの中で発生した言葉が、だんだんそれを遣う人をカテゴライズするためのものとして読まれるようになっていく。その中で何を言えるだろう、って。何万字単位で書いてると、SNSで書く文章に込められるものはたかが知れてるとも思うし。ZINEとか作る人は今後増えてくんじゃないかと思うんですよね。

 

マ:ああ、そうかもしんないねえ。中学生とか高校生の頃、地方のミニコミとか作ってる人に手紙出して、ミニコミもらったり交換したりしてたな。

 

オ:「情報を集めなきゃ」ってTwitterを見る時間はまあ、あるんですけど……。そういうこともあって、最近、友達とメールしてます。メル友になってます。クローズドに、任意のタイミングで、字数も気にせず。友達からも「人の言葉を読み返すってことをしてこなかったことに、メールしてて思い至った」と言われました。

 

マ:手紙だよね、それも。それが大事なコミュニケーションになってくのかもしれない。どんどんどんどん、サーッとうわべだけをちょっと掠めてるのがずっと続いちゃってるみたいなね。文章を読む力もなくなってるだろうしね。

 

オ:そうなんですよね。何万字も文章書くことがすごく酔狂なことになってきてるんじゃないかって、最近思うことが増えてしまっているんですけどね。

 

マ:いや、尊敬するけどね。本当にすごいことだと思うよ。俺にはできない……(笑)。あなたは最近は音楽もやってるしさ、すごいよね。

 

オ:それは今、どうしたもんかなとも思ってるんですが……。

 

マ:どうしたもんかなって?

 

オ:歌やってる暇あったら文章書けよ、という気持ちが、自分の中にないではなくて。

 

マ:いやあ、それはいいんじゃない(笑)? 星野源も言ってたよ。音楽もやりたいし文章も書きたいし芝居もやりたいんだって。それでいいじゃない。

 

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(2020年6月13日、閉店後の久喜カフェクウワにて)

 

 

PICKY In thIs PandemIC - 2

 

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オ:今更なんですけど、マミヤさんって、どういう感じで飲食業界に入っていったんですか? 

 

マ:学生の時とかも、バイトは飲食のしかしてなくて。ラーメン屋とか居酒屋さんとか。食べることがまず好きだったから、美味しいものが作れるようになりたいとも思ってて。自然にそうなったっていうか、仕事にするつもりとかなかったんだけど、自分にできることって何なのかって考えていくと、出来そうなのが飲食だった(笑)。「普通の会社とか入っても絶対やってけないな」と思って……。

 

オ:クークーバードの二人と同じようなこと言ってますよ(笑)。クークーも最初は「うちの居抜きで店やらないか」って誘われて、そん時は飲食のバイトとかしてたんで「じゃあやってみます」で始めた、って聞きましたから。そんな感じでしたか、マミヤさんも?

 

マ:自分がずっと、自分に自信がない人だったから。「俺の取り柄ってなんなんだ」「取り柄ねーな」って感じで。高校生の半分ぐらいまではずっと暗かったしね。小学生の時とかもいじめられてたし、どっちかっていうと暗い感じの子で。だから多分、自分の中で、音楽が精神を保つためのものになってたのかな、っていうのがある。別に得意なものもないし、勉強もまあ普通ぐらいだし、何もねーなって感じで。でも、その中でも捻り出して何か出来るか、って言われると、料理が好きかな、って。

 

オ:クウワのようなお店の店長さんをやるっていうのは、そういう音楽を想うところと、飲食って仕事が交わるポイントだった、っていう感じなんですか?

 

マ:音楽はずっと好きだったけど、仕事として音楽に携わる、っていうのは考えなかったな。

 

オ:それは例えば、レコード屋さんやるとか、ブッキングスタッフやるとか?

 

マ:今ほど、そういう職業のことも見えてこなかったっていうか。今だったら、割と何でも自分でも出来ちゃうじゃん。音源自分で作るとか、ライブの企画を一から組むとかも、どんどんやりやすくなってるじゃん。俺が若い頃って、そういうのが全部見えない世界っていうか。音楽やりたいなってのはあったけどね、大学も軽音のサークル入ってたし。でも音楽の才能も多分ないから(笑)。それで食ってくってのは考えづらかったし。出来るとしたら飲食かなって。だから就活をしなかった。当時は、フラフラしててもいいかな、ぐらいの気持ちでいた。奥さんとは大学のサークルで出会ったんだけど、奥さんの実家が、お姉さんがやってる飲食店なんですよ。

 

オ:あ、そうなんですか。それは知らなかった。

 

マ:お付き合いしたらまあ、お店にも行くでしょ。で、イタリアンなんだけど「美味しいし、おしゃれだな」って思って。居酒屋とかラーメン屋でしか働いてなかったから(笑)。卒業してそのお店で働かせてもらうってなって、2年ぐらいやって、一旦やめて違うものも見てみたいってなって、カレー屋さん行ったり、また別の居酒屋さん行ったり。で、「2店舗目でカフェやるんだけど、一緒にやらない?」って話をくれて、それが26,7ぐらいの時なんだけど……ちょうどその時ニートみたいになってて。

 

オ:!?(笑)

 

マ:超ヤバかった。コンビニのバイトをたまにするぐらいで、人生に迷ってた時期で。どうしようもない人。「もうオレこの先どうしよう?」ってなってて。その時に話をくれて。それがなかったら腐っていっていたかもしれない(笑)。

 

オ:原稿のチェックは最終的にお願いしますけど、このへん包み隠さず書いて大丈夫ですか(笑)?

 

マ:ハハハ、いいですよ(笑)。でも全然、何かさ、誰にでもそういう時期はあるじゃないですか。落ちてる時期とか。

 

オ:今聴いてる限り、概ね同じですからね、俺。通ってきたレール(笑)。

 

マ:そういうのがあるから、今も仲良くしてるっていうのがあるじゃん、多分(笑)。どっかしらで感じてるわけですよ、喋らなくてもさ。それは多分ね、パッと会った時に分かるものがあるんだよね、きっと。

 

オ:クークーとかちどりで仲良くなる人って、大体そういう人なんですよ。「どこかで何かをどうとも出来なかったことがある人」っていうか。その話、けっこう色んな人とするんですけど。こういう話を他人とこういう風に話せたことあんまりなかったな、みたいなのがあるんですよ。

 

マ:大人になってね、ようやく自分を解放できる場所が出来たみたいなさ。あの頃、そういうこと話せる友達もあんまりいなかったし、情報の集め方も分かんなかったし。

 

オ:Pickyにも愛日燦々にも来てくれた高校の友達がいるんですけど、この前そういう話しましたね。「30近付いて友達が出来てさ、こんな風に他人と関われるんだったら、当時もっと明るかったし人生を肯定できたよね」って。

 

マ:本当にそうだと思う(笑)。当時は自分だけの世界でさ、どうにもならない思いを……。

 

オ:何年かにいっぺん会えるか会えないかのウマが合う友達としか、コアな話が出来ないっていう。

 

マ:そうそうそうそう(笑)。高校の時も、最初は軽音に入ったの。でも(コピーされているのが)ラルクとかGLAYばっかりで、すぐ辞めちゃって。でもその中でもブランキーやったりマッド(・カプセル・マーケッツ)やったりしてる子とかがいて、ちょっと仲良くなったりとか。それとは関係ないんだけど、何か生徒会に入ってたの。先に生徒会に入ってた友達と仲良くなって「お前も来れば」ってなって。そこで知り合った子が今、福岡で「三月の水」っていうお店をやってる子で。一緒にミッシェルのライブとか行ったり、エアジャム行ってたりとかして。それが今、お互いお店やってるっていうね。青春を共にした人が、今こうやってやってるんだ、面白いなって。

 

オ:ちょっと強引にトイロックに繋げるんですが、「コアな話が出来る友達なんて滅多にできない」って話で。自分はインターネットに触れるようになってもオフ会的なものにほとんど出てこなかったんですけど、ネット上で知り合った人と会って話すことをするようになったのって、確実にTwitterと、そこに更にトイロックが合わさってのことなんですよ。トイロックで現行のミュージシャンを数多く知って、それぞれのライブを観に行ったり、感想ツイートしたりしてるうちに、だんだんフォロワーが増えてきたり、その人と顔見知りになって飲みに行ったり。だからトイロックは、けっこう「開眼した」って経験だったんですよね。クークーの二人にインタビューした時もベラベラ喋ったんですけど、当時決まった人のライブしか行ってなくて「今の音楽つまんない」ぐらいのスタンスでいたんですよ。それで初日U-zhaanを観に行った時の対バンが、Water Water Camelceroで、どっちも初めて観てドカーンとやられて。それで「この後もなるべく来よう」と思って、春・冬と2回やったうちの春は5daysでしたけど、最後の2日も何とか観に行って、冬の方は3日間全部行ったわけなんですね。

そもそもクウワはどうして冬のトイロックに出店することになったんですか? タッツさん(仲原達彦。トイロック主催)との接点とかって?

 

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マ:それまで仲原くんと、接点は全然なかった。彼も新しいお店とか、新しいミュージシャンもそうだけど、発掘していくのが上手い人だから、やっぱり。仲原くんから誘ってくれたんだよね。うちでライブもやってる、っていうのを見てくれてたのか。仲間づてに聴いたのか。

 

オ:トイロックの出演ミュージシャンが、その時クウワに出てたっていうのはあるんですか?

 

マ:まあまあ、何組かは。簡単に言うと「界隈」のミュージシャンが出てる、っていうので見つけてくれたのかな、って。

 

オ:いや、あの、今TOTEに載せてる小説でクウワ書いた時に、ちょっと書きましたけど……めちゃめちゃうまかったですよ、あの時のフード。

 

マ:あざす(笑)。

 

オ:未だに、コエド(ビール)の何と何の料理を合わせたって、全部言えますからね。

 

マ:すごい(笑)。いや、もう、こっちは……もうよく分かんないまま終わったから(笑)。

 

オ:(爆笑)

 

マ:あんなイベントも初めてだったし。あんだけの人が来て、しかも3日間ああやってやるって初めてだったから。やりたいって気持ちだけでやってた。(トイロックのスケジュール表を見て)2012年の11~12月だから……。2011年の3月ぐらいには、クウワに王舟とあだち麗三郎が来てライブやってて。その時、ceroの荒内(佑)くんも来てて……。

 

オ:あだカル(あだち麗三郎クワルテッット)で? この(トイロックの)時のあだカルが、確かあだちさん・あらぴー(cero荒内)さん・厚海(義朗)さん・光永(渉)さんなんですよ。

 

マ:あだカルじゃあなかったんだけど、あだち麗三郎と、荒内くんと……。ダメだ、ちょっと調べないと(笑)。

(※マミヤ註:このときのメンバーはあだち麗三郎with 荒内祐(cero)(pf),厚海義朗(ex.GUIRO)(ba),田中佑司(bonobos、world standard)(perc)でした)

あと、倉林(哲也)さんが出た時に(MC)sirafuさんが来てたな。あと麓(健一)さんももう出てたし、森ゆにさんも出てた。あとDJで出てたfolidayは、大学の時からの友達で。

 

オ:この時、誰がかけてたか忘れましたけど、オザケンの『back to back』をかけてる人がいて。踊りながら口パクしてたら、見知らぬお姉さんが「この曲いいよね!」って言ってくれました。

 

マ:すごい(笑)。でも何かトイロックは、みんないい人……。何て言ったらいいんだろう(笑)? お客さんもとにかくみんないい人っていうか、居心地が良かったっていうか。割と同じ人が集まってたっていうのかね? 内輪感が出てもおかしくないじゃん、そういうのって。でも内輪感がない。そういうのが何ていうか、居やすくって。ウォンブ(『月刊ウォンブ!』。2013年の1年間、渋谷WOMBで開催された月例イベント。仲原氏が主催)ぐらいになると、もうちょっと仕事感になってくるというか、空気が出来上がっててくるんだけど。プチロック(日本大学藝術学部の学園祭内で開催されていたイベント。仲原氏が主催)みたいな、学祭の空気感がまだあるというか。

 

オ:月例だったっていうのもあるでしょうしね。ウォンブは。

 

マ:仲原くんとしても、割と手探りだったんだろうなっていうのはある。トイロックぐらいの時期は。

 

オ:まだタッツさんが、Twitterのbioに「無職」って書いてたような時期。

 

マ:(笑)実際まだ仕事としてこういうことをやるって決めてなかったんじゃないかな。でも、素人からやる気だけで出てきた人としては、ものすごいちゃんとしてたから。興行的にうまく行ってたかってのは分からないけど、イベントとして、こうして誰かが語り継いでいこうとするようなイベントを、あの歳でやってるっていうのが、やっぱりすごいなと思って。手探りながらもそういう風にやってきてるっていうのがすごいな、って。……私も手探りなんですけど(笑)。お店でライブやるとかっていうのも、これでいいのかとか思いながらやってきたので。もっと機材とかね、拘るようなこともした方がいいのかとも思うんですけど。手探りで12年。

 

オ:趣味が広がったのもあるし、ceroがどんどんネームバリューを大きくしてったってのもあるんですけど、トイロックはまっすぐ見らんないっていうか、目が眩んじゃうフェスでもあるんですよね。この年(2012年)なんですよ、ceroのセカンドが出るのが。自分が初めて観たこの3月の時にも、『cloud nine』とかやってたので。シラフさんとあだ麗さんは、この時もceroサポートしてたし。

 

マ:この頃は、色んな人を「cero周辺」みたいな感じで捉えてたのはあるかも。

 

オ:トイロックでは特にそういうのがありましたね、「この人はこのバンドにも入ってるんだ」みたいな驚き。主にシラフさんとか光永さんに対して。

 

マ:まずcero、とんちレコード、って感じがあって、それとちょっと別に、七針に出てる人っていうのが関わり合ってるっていうのを知って「めっちゃ面白い」「一つのシーンみたいなものが出来てるんだ」って感じだった。でもこういう括りは、最初何で知ったんだろうな? もう覚えてないなあ。

 

オ:自分は完全にトイロックが入りなので。ceroにしたってトイロックで初めて観たんですけど、2011年の年末に、ニカさん(二階堂和美)の『にじみ』のツアーファイナルを観に行った時に、ファーストのフライヤーをもらったのはよく覚えてます。「カクバリズム 期待の新人!」みたいな宣伝のされ方で。

 

マ:カクバリズム期待の新人みたいに言われるのも、ひとつの衝撃だったな。しかも自分たちだけでCDを完成させてるって感じで、なおかつこのクオリティのが出てくるんだってのが衝撃だった。(ザ・)なつやすみ(バンド)のファーストもそうだし。「四人だけでこれを作ったのか」っていうのが、もうこんな時代になったのか! って感じの衝撃だった。

 

オ:トイロック冬の後にモアレコによく行くようになって、日本の現行の宅録の人を色々聴くわけですけど、ビーサン(北里彰久/Alfred Beach Sandal)のことは最初そういう眼で見てましたね。『DEAD MONTANO』を出す前だったので……。まあ『ONE DAY CALIPSO』はゲストミュージシャン、一楽(誉志幸)さんとかシラフさんとか、色んな人が参加したりしてますけど、「一人でこんな狂った音楽をやってる人がいるんだ」みたいな。宅録の名作って言われるものも、そもそも全然聴いてきてなかったんですけどね。

 

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マ:宅録ってそんな好きじゃなかったんだよね、どこかに限界があるって思ってたんだよね。中村一義みたいになったらすごいけど、結局出来ることって限られちゃうじゃん、みたいなのがあったから。宅録って言葉が劇的に変わって、歴史が開けていったっていうのがあって……。

ああ、俺、あれだ。多分にせんねんもんだいだな。にせんねんもんだいからkitiレーベルを知って、麓さんとかを知ったのが先かもしんない。

 

オ:mmmとか。

 

マ:mmmとか。それが先かもしんない。そこからとんちレコードとかに当たったのかもしんない。学生の時から、にせんねんもんだい観に行ったりしてたから。石橋英子+アチコとかも。ネスト(渋谷O-NEST)に学生の頃とかもよく観に行ってて、円盤ジャンボリーとか。呼び屋の人がいたんだよ、ドットラインサークルのカトマンさんって人で。海外からミュージシャン招聘する時に、にせんねんもんだいが対バンしてたりっていうのがあった。Toeとかのほんっとに一番最初の頃も、ドットラインサークルのイベントで前座に出たりとかしてて。そういうところで知った人たちが、トイロックで知った人たちと繋がっていったのかも。

 

オ:今日、本になった『ウォンブ!』持って来ようと思ったんですけど、片付けやら引っ越しやらのドサクサで家の中で見当たらなくなってしまって。出演者もまとめて来ようと思ったんですけど……。

 

マ:え? サイトとかで、まとめてる所ないの?

 

オ:それがなかったんですよ。

 

マ:ないんだ!

 

オ:トイロックにしてもウォンブにしても、公式のホームページがもうドメイン切れちゃってるので。これ(トイロックの出演者リスト)にしても、トゥギャッターとかCINRAのニュースとか、あと自分の記憶でまとめてて。

 

マ:「何でも調べられる時代になった」って言うけど、闇に埋もれちゃってる情報ってメチャクチャあるから、どうにかしてかないといけないよね。ホントに。

 

オ:この発想もTwitter脳と言えばTwitter脳なんですけど、もっとアーカイブ力と検索性に優れたSNSとかが生まれないと、どんどん情報が埋もれていくんじゃないかと思うんですよね……それはSNSってものじゃないかもしれないですけど。そうしないと、すごく低レベルな言った言わないの水掛け論が生まれていくんだろうなと思うんで。魚拓っていうか、有志のスクショでやるには限度があると思うんで。アーカイブに入った情報の真偽をどう担保するか、っていうのも問題なんですけど。

 

マ:やっぱり自分の年代的に、そういうのは本にしたくなっちゃうんだよね。ネットの情報の真偽の問題もあるし……書籍にしたら正しい情報になるのかってのもあるんだけど。覚悟のレベルも違うじゃん。ヘタなことは書けないじゃん、本にするとなったら。やっぱり文章として紙で残しておくっていうのが大事じゃないかって思っちゃうんだよね。

 

オ:この流れで言うとものすごく告知っぽくなるんですが……ちょうど最近、小説集を刷りまして。

 

マ:おっ。(現物を見て)これはいくらで売るんですか。

 

オ:500円です。

 

マ:安い。

 

オ:めちゃめちゃ赤字が出ます(笑)。まあ、どこの馬の骨とも知れない奴の小説集に、1冊1,000円出さないよな、っていうのがあって。

 

マ:これからね、実績を作っていくわけだからね。

 

オ:そうですね、だから撒く用というか、とにかくまず読んでもらいたいので。覚悟って言葉が出てきましたけど、本当に金もかかれば手間もかかる……(笑)。何冊店置きしてもらえるかも、めちゃめちゃ未知数だし。

 

マ:紙媒体への信頼感って、今の若い人たちからすると、どんな気持ちなんだろうね。「七針系」みたいな言葉もあったけど、元々あの界隈ってボンヤリしてたじゃない。誰がどこまで七針系なのかってけっこうボンヤリしてると思うし、それを整理する人もあんまりいなくて。これ絶対何か文章とかにした方がいいな、ってずっと思ってたの。

 

オ:今までの回ではやってこなかったですけど、ちどりで、従来みたいなやり方でPickyがまた出来たら、トイロック回をやる時は文字起こしをしたいと思ってました。せっかくマミヤさんとやれるんであれば。メンバーがそれぞれの道を歩んでるようなバンドもあるし。ホライズン(山下宅配便)とか。そういうことをちゃんと残しておきたい。

 

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マ:なかったことのようになってしまうからね。どういう風にシーンが形成されてったっていう歴史とかって、日本のヒップホップのそういうのを本とか読んでくとすげー面白いじゃん。何のジャンルでもそうだけど、歴史があって今があって、みたいなのを知れるとすごく楽しいから。

 

オ:例えばECDの曲に触れたのって、高校の時にブッダとか聴いてた頃より、かなり間を置いてのことだったんですよ。で、ストラーダがあるじゃないですか。トイロックでNRQを知って、NRQからストラーダ知ってドラムの久下(惠生)さんのことも知って、さらに後になってECD + イリシットツボイ + 久下惠生の存在を知って。そういう繋がりを知るのって、むちゃくちゃ感動するんですよね。そういう色んなものを跨いだ接続って、本とか記録があればスムーズに、立体的に入ってくる。

 

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PICKY In thIs PandemIC - 1

このブログの管理人であるぼくことオオクマシュウと、久喜カフェクウワの店長であるマミヤジュンイチロウさんとの交流が生まれたのは、北浦和居酒屋ちどりのオープン間もない頃だった。浦和の酒飲みたちと共にちどりへ来ていたマミヤさんと初めてお会いして、クウワが出店し、ぼくが足しげく通ったTOIROCK FESの思い出話に花を咲かせると、一気に距離が縮まったのを感じた。その流れに乗って、と言えばよいのか、クウワとは色々な接点が生まれた。

お店までご飯を食べに行ったりライブを観に行ったり、ということもあれば、埼玉を離れて愛知県のラグーナ蒲郡で――ぼくが1ステージの手伝いをしている「森、道、市場」の会場で――顔を合わせたなんてこともある。クウワがむさしの村で「愛日燦々」を開催した時には、ぼくもスタッフの一員になったりした。TOTEで連載している小説シリーズ『NOWHERE』の舞台として、クウワを描写したこともあった(⊂[TOTE | NOVEL | NOWHERE])。

ついには、我々二人で(一応の)ホストを務めるトークイベント「Picky」まで始めた。過去に3回「Picky」を開催した中で、自分の趣味を爆発的に広げたトイロックの話をしたい、という願望が強まっていった。我々二人の結節点としては、恐らく一番大きいものだったからだ。2019年末から、マミヤさんに打診はしていた。しかしトイロックは、それ単体について話せば本質に迫れるイベントではない。本質を捉えようとするなら、大きな樹形図の一部について話すような意識が必要になる。そんなことについて話す語り部に我々がなれるだろうか、という不安はあった。そう考える一方で、そろそろ誰かがあの辺りのことをたくさん話すのもいいんじゃないか、という思いもあった。

 

そんな中、新型コロナウイルスパンデミックが起こった。

ぼくもブッキングを担当したライブの一つを延期し、クウワも予定した公演の実施体制を大きく変更した。「Picky」のような、不特定多数の人間が一堂に会して飲食をしながら話すというイベントも、開催は躊躇せざるを得ない。会場の環境や規模が、どのようなものであるにせよ。

しかし、こんな現状だからこそ余計に、マミヤさんとトイロックの話をしたくなった。トイロックは良い「場」であった。ぼくたち観客は今そうした場から切り離されており、マミヤさんはそうした場の運営を生業としているからだ。状況は特殊だ。まとまりはつかないかもしれない。しかし、どのような着地点を見つけるにせよ、今話しておくべきだと思った。「Picky」は誰がいつ話し出してもよい、時には脱線も是とするトークイベントである。今の二人の考えを記録に残しておきたかった。

 

以下は2020年6月13日、営業終了後のカフェクウワにて、ぼくとマミヤさんが交わした会話を文字に起こしたものである。

博識であるとか卓見に富むとかいう自負は、ぼくにはない。今求められているのは、そういう力にもとづく言葉や記事かもしれない。ただ、どう困り、どう悩んでいるか、誰かのそうした情況を記録しておくことには、かならず何かの意味がある。

 

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