キャベツは至る所に

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動画サブスク週記-1

正確に言うと無料トライアル期間中だが、U-NEXTを契約した。観た映画の印象を書き残していく。批評やレビューよりとにかく印象を、という自己満足のためのエントリ。ネタバレにもそれほど頓着してません。

 

 

ヴィム・ヴェンダースパリ、テキサス1984

観たのは2回目。8ミリを観るシーンで、前回はこんなに感じ入っただろうか。再生を予感させる親子の絆と、それに伴って崩れ去りかねない子供と養親の間の絆。それらが揺れながら倒れ切らない様。

「歩く人物を、真横から平行移動で撮る」というショットの中では、役者はいくらでも芝居を出来るということ。歩き方は表情であり、マンガにおける漫符であり、そのとき背景は照明でもありレフ板でもある。

 

ジェームズ・ホエールフランケンシュタイン』1931年

怪物のフレームインのさせ方といい、死体の見せ方といい、むやみにアップにさせない抑えの効いた演出が今観てもヒリつく。子供の死体を抱いた男が歩いていくにつれ、祝祭に沸く村人たちの顔から笑みが消えていくカットの騒がしさと静けさ。

ビクトル・エリセミツバチのささやき』は随分前に観たのに、観たことなかった(※「ミツバチ」の劇中で本作が上映される)。去年読んだ飛浩隆の小説に「ミツバチ」が出てきて、そろそろ観返したいなとちょうど思っていたので、これを機に本作も観た。続編も配信されてるので近々観たい。

 

豊田利晃『ポルノスター』1998年

暴力にしろ何にしろ、ショッキングな画の作り方に関しては特出しているとは言い切れないけど、リスクを引き受けているのが分かるようにチープさを背負い込んでいるところは好きだった。必要/不要という評価基準が執拗に示される中で、最も信用ならない人物が最も欠くべからざる駒になっていく、という構図が独特。

音楽はdip。言わずもがなエレキギターの音が素晴らしい。良い音響で劇伴を聴きたいので劇場でも観たい。昔シネマヴェーラでかかってたことがあったんだよな。

 

ダリオ・アルジェントサスペリア』1977年

全編にわたって建物が、特に壁紙がかっこよすぎる。審美的な話で言えば、画が決まってれば映画はもうほんと何でもいい。よく思うけど、何か一か所好きになれるところがあれば、映画は好きになれる。特に画が好きになれれば。名画とか駄作とかは、そのジャッジとは別の次元のジャッジ。そしてイタリア映画には画を決めることへの美学を見出しやすい。

隠し通路の壁に悪魔の名前と思しき文字列(ネビロスとか)が書いてあったけど、あれの考察ページとかあるのだろうか。シンセを弾くのが好きな身としては、大ボスの名前がそのままタイトルになった『Markos』という曲が一番好きだった。

 

ウィリアム・フリードキンエクソシスト』1973年

話の大筋は知っていたが、展開もオチもよく知らなかった。心霊現象がちゃんとフレームの中に映り込むのが、開始40分頃のこととは。それまでの描写は、梗概の基礎を築いたり、悲劇を暗示したりというもの。2時間の作品としては運足が慎重。怪奇の見せ方も、色んな技を小出しにしたりマイナーチェンジさせたりというのが見て取れた。パロディ元という印象ばかり先立っていたが、作りが細緻。

実は群像劇なのもけっこう好き。悲劇の当事者が主人公なのか、トラブルバスターが主人公なのか。イングマール・ベルイマンの映画で初めて知った役者だったので、「マックス・フォン・シドー、年取ったなあ」という時制の狂った感想を抱いた。というか信仰を失いかけている神父の傍らに、老練した宗教家としてシドーがキャスティングされていること自体、ベルイマンリスペクトといえばリスペクトなのか。

 

鈴木清順陽炎座』1981年

2回目。人物やその動作を、縦横どちらで捉えるか、それだけで観る者を酔わせるような映画。あえて陳腐な表現を使うが、全編万華鏡を覗いているよう。

昔、カナビストの友人から陰で「あいつ(筆者)はネタが要らなくていいな」と言われていたそうだが、実際『陽炎座』とかがあれば今のところイリーガルハイは要らない。

 

ヴィム・ヴェンダース『緋文字』1972年

ヴェンダースも文芸映画を撮っていたんだなあ、という思いで観た。フェミニズム的なメッセージは、(森元首相の発言の直後に観たせいもあって)主張として淡すぎるように思え、感動はしなかった。これは自分の状態の問題という気もする。

植民地時代のアメリカの風景の映され方は美しい。最後の浜辺のシーンだけ画質が違って見えた。フィルムの劣化の問題なのか、明らかに光が強い環境のシーンだったせいなのかよく分からない感じが好ましく目に入った。

 

■ルシール・アザリロヴィック『エヴォリューション』2015年

高解像度の海中映像はそりゃ綺麗ですよね、というオープニングにいきなり差し込まれるグロテスクなモチーフ(死体)、というのは好きだった。生理的嫌悪感を静かに這い寄らせるなら、もっともっと静かにしてもよかったのではないかとも思う。脱出させない映画だったらどうなっただろう。水槽のシーンで終わるとか。

あの緑色のソースのショートパスタみたいな料理は、海藻と海塩のうまみが利いたけっこううまいやつなのではないか。

推進力の結果としてのキス。

 

りんたろうカムイの剣』1985年

角川アニメ映画。抜け忍が地球を半周して戻ってくる。主演が真田広之なのだが、けっこう井上和彦的主人公ボイスだな、と思ったり。

本作は132分。長尺のフルアニメは体に影響しやすい。体調が良くなる悪くなるの話ではないのだが、コンタクトレンズを替えたような感じというのか。コンタクトしたことないけど。漢方みたいに「そういえば最近むくまない」という感じじゃなくて、エナジードリンクとか市販の鎮痛剤みたいに「きつかったけど何とか寝ずに仕事が出来た」「頭痛が引いてきた」という感じに近い。

義体を替えたらこんな体感なんじゃないか。この比喩もアニメの話だから出てきた比喩。何にせよ2時間超の忍者アクションはよく効いた。何かに。

オープニングクレジットに福島敦子梅津泰臣の名前。

 

井坂聡『Focus』1996年

浅野忠信の、最近じゃなかなか観られない芝居が観られそうだと思って観てみたら、映画としても良かった。「テレビ番組のロケ中のカメラ」という視点で映される、人によってはコンセプチュアル過ぎると敬遠しそうな作品ではあるが、試みは成功していると思う。エンディングも乾燥していて好き。製作はエースピクチャーズ(98年の合併でアスミックエースに)、そして西友。この映画に金が出る時代のことを思い、セゾンの歴史を何かの本でちゃんと読みたくなる。

EPOが歌うエンディングテーマ『夢のあとについていく』も良かった。

 

成瀬巳喜男『めし』1951年

2回目。普遍的な素材を使って、定型のつまらなさからことごとく逃れている。演技、画角や構図、どういうところを取っても勉強になる。

大阪でロケ地となったのは難波・天神橋といった辺り。去年、その付近に滞在していたが、自分ごときの洞察では「ああ、あの辺りかな」とは分からない。ロケ地めぐりに行ってみたいものだ。

 

■長谷川康雄『ライディング・ビーン』1989年

OVA。音楽はデヴィッド・ガーフィールド。性描写にしろ暴力描写にしろ過激な部類に入る。車体の光の反射にしろ、背動にしろ、豪奢な作画。

跡で調べたら作品としてはスピンオフに近く、本チャンのシリーズでは、運び屋・ビーンではなく、相棒であるガンマン・ラリーが主役なのだと知って、へー、となった。知らないシリーズいっぱいある。

 

黒沢清『CURE』1997年

たぶん4回目。友人と同時視聴で観た。『CURE』を初めて観た人と話すことが出来てうれしかった。

萩原聖人洞口依子のシーンは何度観ても震え上がる。フラッシュカットのお手本。

 

大森一樹ゴジラVSビオランテ』1989年

友人と同時視聴で観た。そんな姿勢で狙撃をするな。去年大阪にいた時の職場一帯が壊滅した。鈴木京香豊原功補が、それほどセリフが多くはない自衛隊員役で出ていたのが意外だった。

関空の建設現場にあるフロートに、ゴジラと対峙するべくエスパーの少女が残るシーンで、飛び去って行くヘリの視点でフロートを映すカットが、孤軍奮闘をクリアーに表現していて良かった。

 

崔洋一『月はどっちに出ている』1993年

いつまでも生きていたい日記で「とてもよかった」と書かれていたので観たかった。とてもよかった。

強者と弱者の間に引かれた線をかき乱す、その面白さ。黒板に引かれた白墨の線を乱暴に拭って、全くの無にするでもなく目を背けるでもなく、不定形の濃淡にしてしまい、それをこそつぶさに撮るということ。

岸谷五朗が良い体をしている。『ポルノスター』と本作に出てると知らず、『陽炎座』を入れて、1週間のうちに3回麿赤児を観た。キャラクターとしては本作のが一番好き。

音楽は佐久間正英。ピアニカで吹いてみたくなるメロディがいくつかあった。

 

■ドン・コスカレリ『ファンタズム』1979年

このガジェット(シルバースフィア)をシリーズの代名詞にしたのがすごい。本作だと単なる惨殺機械なのに、最新作のトレイラー観たらめちゃくちゃ巨大化して地球を滅ぼす脅威になってて笑った。

 

小林誠『Dragon's Heaven』1988年

OVA。背景に鳥山明を感じたのだが、どういうポイントからか。雲の形とか塗り? Zガンダムバウンドドックみたいなメカが出てきた、と思ったら実際バウンドドックのラフデザインは小林によるものだった。

渋さとおちゃらけを行ったり来たりする家弓家正が観られて良かった。オープニングが実写(監督自作のラジコンロボの映像)なのも、こだわりが前面に出てる感じで、もはや目に新しい。

 

■『伝説巨神イデオンTVシリーズ

子供のころ再放送でちょっと観たのと劇場版を観ただけで、ちゃんと全編観たことがなかった。並行して同時期のロボアニメシリーズを観ているために、一貫して「組織」をちゃんと描いているシリーズなのだと感じる。「そんなこと聞いてないよ」とか「気楽に注文つけてきやがって」みたいなセクション同士のちょっとした摩擦の描写が、子供の頃は「何でこんなにピリピリしてるんだろう」ぐらいにしか感じてなかったが、今ではそれがリアルに思える。富野由悠季の性格には多少知識があるので「なるほど」という感じで、人物の動作の作画とかも、アニメのお約束ではなく実際的な所作を意識しているのも感じている。

イデオンはサルファ(第三次スーパーロボット大戦α)でよく使ったので、敵メカの硬さの差が、ゲームでもよく再現されていたなと感心した。