キャベツは至る所に

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境界より - From This Boundary -

今晩開催されました、butaji × よしむらひらく 2マンライブ『POPS』のフライヤーに載せた文章です。

 

butajiの歌は遠くを想わせる。ありふれているけれどこの目で見たことのないものがあるのを思い知らされて、私たちのまなざしは遥か彼方へ向けられる――ユートピアを夢見させるようにではなく。ここではないどこかにだって、幸せも不幸せも当たり前にあることを、時に明朗に、時に突きつけるように物語る歌は、聴く者を逃がさない。
よしむらひらくの歌は感情を照らしてくる。太陽のようにでも月のようにでもなく、内視鏡のように。どんな説明よりも雄弁に、聴く者の心の一点を映し出す。忘れる術を奪われる鮮明さで、悲しみや喜びへのこだわりを浮き彫りにされる。それは自分が何を重んじて生きてきたか――魂のありようを示されるということだ。
だから、私たちは彼らの歌で直接幸せになることができない。彼らは私たちを定義もしなければ、左右することもない。視線をどこかへと導いたり、記憶や思想に直に触れたりするだけで、私たちを運んだり固定したりしない。私たちが今どこにいるかさえ、地図を指して教えてはくれない。
しかし、何かを眼に捉えることや、心が疼くことは、自分が生きていることの何よりの証左である。焦点を新しく結び直し続けることで、私たちは他者を知る。歯を噛んで心の疼痛を見つめることで、私たちは自分を確かめる。
そこから外へ放たれるか、内に食らい込むかの別こそあれ、彼らの歌はどちらも、命のありかを知らしめる。誠実であるがゆえに、気が遠くなるほどの快楽だけでなく、粘膜に爪を立てられるような痛みまで伴ってしまいながら。
彼らは真摯に生をうたう。必然的に死までを。言葉として峻烈に、歌として哀しく。だからこそ普遍的に響き渡り、私たちの心を体ごと震わせる。

 

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